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とまどいながら【10】

『後から飲み物持っていくから』というご主人におしぼりとお箸の乗ったお盆を渡され、俺はシンさんと細い通路を進む。 入り口こそ普通の大衆的な居酒屋だけど、その通路から先はまるで趣が違っていて、想像以上の高級感が漂っていた。 こういうのを料亭って言うんだろうか...行ったことがないからわからないけど。 足元に置かれている和紙のフロアランプや、所々に配置された花器が驚くほどセンスがいい。 さすがあの勇輝さんや充彦さんのお薦めの店だけある...と辺りをゆっくりと見回し、これは料理も期待できそうだと思うだけで少し腹の虫が鳴った。 「ここ...みたいですね」 通路の一番奥に一つだけある襖。 それをゆっくりと開くと、中は肩肘を張らなくても済みそうな、ごくシンプルな和室になっていた。 広さにすれば6畳あるかどうかというところだろうか。 頭を下げてシンさんを先に通すと、俺もその後に続く。 シンさんには奥の席を勧め目の前におしぼりと箸を置くと、そのまま向かいに膝をしっかりと畳んで座った。 「何飲まれますか?」 そう尋ねると、いきなり目の前にニュッと腕が伸びてきた。 そのまま俺の前髪をクシャクシャと乱すと、ニコリと微笑む。 「そない敬語いらんてば。もうちょい肩の力抜きいな」 「いや、でも...とりあえず、飲み物決めましょう?」 俺の敬語がちょっとやそっとじゃ崩れそうにないとわかるとシンさんは少しだけ苦笑いを浮かべ、次の瞬間別人のように真剣な表情になった。 「腹も減ってるし、勿論さっさと乾杯したい気持ちはあんねんけど...あのな、俺そない酒強い事ないねん」 「あ、はい......」 「航生くんと腹割って話しすんのにはほろ酔いくらいの方がエエと思うんやけど、俺は先に大事な話がしたい。仕事の事......」 シンさんの言わんとする事を瞬時に理解する。 一度だけ頷いて俺は部屋を出ると、ご主人に料理と酒は後でいい旨を伝え、代わりにグラスに入ったウーロン茶をもらって部屋へと戻った。 ********** 「航生くんは謙介のイメージ固めてきたんやろ? 瞬と悠は?」 「はい、自分なりには考えてみました。最初のセックスも再会後のセックスも、どちらもシンさん...いえ、瞬と悠から誘ってますし、受け身の人間というか、流されやすいのかなぁって......」 「そうやな、俺もそんなイメージやった。そしたらちょっと合わせてみようか? とりあえず高校生の謙介と瞬から」 物語は、俺...謙介の過去の回想とモノローグから始まる。 夏休みに入り、瞬の部屋で宿題をやっていた俺に向かって不意に瞬が口にした言葉から俺達の関係は動き出した。 『なあ、謙介......』 テーブルに肘をつき俺をそう呼んだ瞬間、目の前の人は『シンさん』ではなくなる。 いくらか表情は幼い物になり、けれどその全身には儚くも見える繊細な空気と艶かしい独特の色気を纏った。 俺もカバンから取り出した台本を参考書に見立て、それを見ながら眉間に皺を寄せる。 『うん...何?』 『あのさ...謙介はしたことあるの?』 『だから、何?』 『......セックス』 突然投げかけられた言葉に俺は驚いて参考書から視線を外し、慌てて瞬を見つめた。 なんて事は無いという顔で俺を見たまま笑顔を崩さない瞬。 そんな瞬の笑顔に、ひどく喉が渇く。 『そんなの...したこと...無い』 『そうなんだ? じゃあさ...俺としてみない?』 その言葉を聞いた途端、何故か俺は謙介から航生に戻った。 どうしてもその後のセリフが続かない。 そんな俺に怒るでもなく、瞬もゆっくりとシンさんに戻っていく。 「どしたん?」 「あ、あの...えっと......」 「セリフ忘れたわけやないんやろ? 何考えたん?」 胸に浮かんだ気持ちを、そのまま言葉にして良いものかがわからない。 芝居に関してまったくの素人のくせに、えらそうに先輩に意見するなんて許されるわけがない。 「遠慮せんとって。あのね、今謙介に合わせて瞬やったみて、実はちょっと感じる部分があってん。せえから航生くんの正直な感想聞きたい」 じっと俺の言葉を待っているシンさんの視線が痛くて、なんだか顔が上げられない。 とりあえずウーロン茶を口に含み、一旦気持ちを落ち着かせる。 何か言わなければ一切先には進ませてくれる様子も無い事に、渋々腹を括った。 「えっと...さっきの瞬だと、俺はきっと親友にはなれないっていうか...謙介は戸惑ってしまって逃げ出しちゃうような...気がして」 「うん、そう? どんな風に?」 「俺の中での勝手な思い込みなんですけど、謙介って元々は結構明るくて一生懸命で真っ直ぐなタイプなのかなってイメージしてたんです。それが瞬との別れで人付き合いが苦手になって、あまり周りと関わりたがらない人間になったんじゃないかって。付き合ってる彼女にも本当の自分を見せられないような人間が、悠に会った事で昔の感情と同時に、見失ってた自分らしさを思い出すんじゃないかって思ってたんですけど......」 「さっきのんやと違う?」 「はい...一緒になって遊んで笑って怒って泣いてってできる人間だったからこそ、謙介は二人でいる時間を無条件に心地いいって思えたんじゃないでしょうか。でもさっきの瞬だと、謙介はきっと欲情する。欲情はするかもしれないけど...そこに心地よさは感じないと思うんです」 「なるほどねぇ......」 頬杖をつき、シンさんは手持ちぶさたな様子でテーブルをカツカツ指で鳴らす。 自分がひどく生意気な話をしてしまった事に気付き、俺は慌てて姿勢を正して頭を深く下げた。

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