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とまどいながら【12】

お互いに改めて謙介と瞬や悠の雰囲気を掴んだ所で役の擦り合わせを切り上げ、『乾杯だけはビールがいい』というシンさんの希望をご主人に伝えにいった。 ちょうどタイミングよく仕込みも終わったらしく、瓶ビールとグラス、それに豆鯵の南蛮漬けを乗せたお盆を渡される。 食べ物に好き嫌いはあまり無いというシンさんの言葉を伝えると、ご主人はとても嬉しそうな顔をしてくれた。 俺はお盆を手に座敷へと戻る。 俺の前にはもう瞬でも悠でもない、元の通りのシンさんの笑顔。 しっかりと霜がつくほどに冷やされたグラスを嬉しそうに受け取ってくれる。 その笑顔に、やっぱり胸のドキドキが大きくなった。 俺は謙介じゃないのに...どうにもまだ擦り合わせの時の気持ちが抜けない。 いや、違う。 初めて会議室でシンさんを見た時からだ。 違う...ほんとは...ほんとはもっと前から......? 「航生くん、どしたん? 早よ乾杯しようや」 明るい声に、遠い記憶を呼び起こそうとしていた俺は我に返る。 「す、すいませんっ!」 俺は付き出しの南蛮漬けを机に置くと、慌てて自分の席へと戻った。 ********** 自分で『酒は強くない』と言っただけあって、シンさんはビールを2杯飲んだだけで顔を真っ赤にし、ヘラヘラと笑い始めた。 胡座をかいていたはずの脚はいつの間にか立て膝になり、そこに顎を乗せたままで俺を艶っぽい瞳で見つめてくる。 それでも飲む事自体は嫌いじゃないようで、ビールよりはマシだろうと頼んだカシスソーダをチビチビと舐め続けていた。 「そしたらな、航生くんはぁ、ゲイビ出てる頃にエッチで感じた事って無かったん?」 「本当にお恥ずかしい話なんですけど、キスもフェラもセックスも、欠片も気持ちいいと思えた事は無かったです。プロとして、もっと感じさせる努力も感じる努力もするべきだったって今なら思えるんですけど...あの頃はなんだか、色々子供みたいに拗ねてて」 俺はご主人のお薦めだという大吟醸の冷酒を出してもらっていた。 手酌でグラスに注ごうとしていると、向かい側から伸びてきた手にボトルを奪われる。 「いやシンさん、それは......」 「エエやんかぁ。二人でおんのに手酌とか寂しない? てか、そんなんさせてる俺がイヤやわ。それにな、実は俺も一口欲しいねん」 おとなしく小さなグラスに酒を注いでもらうと、シンさんはそのままビールが入っていた自分のグラスに少しだけそれを注ぐ。 ちびりと口に含むと、急に目をキラキラさせてさらに酒を足そうとした。 「旨いぃっ! これ、めっちゃ旨いなぁ」 「シンさん、ダメですよ。もう結構お酒回ってるんですから」 「まあ大丈夫やって」 それほど強く止めるわけにもいかず、仕方なくボトルを取り返すと俺がグラスに少しだけ注いでやる。 ちょっと不満そうにしながらも、シンさんはまた立てた膝に顎を乗せながらちびりちびりとその酒を舐めだした。 「まあ、あの会社のビデオ出てたら、拗ねるんもしゃあないと思うで。あそこ、モデルにどんどんハードな事させて、じきに潰してまうって有名やったしな」 「俺も、あのタイミングで助けてもらって辞められなかったら、たぶんボロボロになってたと思います」 「助けて? ああ、そうか...恩人がおるって言うてたもんね」 「はい。最初は本当に失礼な態度取ってて、その人を怒らせちゃったんです。だけど結局、えっと...セックスする時のポイント教えてもらったり、ちゃんと気持ちよくなる方法教えてもらったり......」 「ふーん...実践で?」 笑いを含んだその声に、『からかわれてる』って思った。 だけどシンさんの俺を見る目には艶と優しさがいっぱいで、その瞳の意味を測りかねる。 そういえば、さっき会議室でも一瞬こんな表情になったような...... 「その恩人に、ちゃんとしたエッチって気持ちエエって教えてもうたんやろ? ビデオでされてたエッチなんてただの暴力でしかなかったってわかったんやろ? その恩人てさ、めちゃめちゃエッチ上手いんちゃう?」 「そう...です...でも、どうして...え、ほんとに...なんで......?」 「...ふふっ、ナイショ。でもまあ...いつか教えたるわ。で、その人の助けでゲイビ卒業して、普通のAV行ったんや?」 「はい。ビー・ハイヴさんの専属にしていただいて、いつもは女性相手のビデオに出演してます。もっとも、まだまだ俺は下手くそですし実力も人気もありませんから、全然独り立ちできてない状態なんですけど」 そう、そんな状況だからこそ俺は今回の仕事を引き受けた。 この先引退を控えてる充彦さん、そんな充彦さんの穴を埋める為にますます忙しくなるであろう勇輝さん。 いつまでもそんな二人に頼りっぱなしというわけにはいかない。 いつか夢を叶えた充彦さんの側に堂々と並んで仕事をする為に、そして俺自身の夢を叶える為に、ちゃんと自分の足で歩けるようにならなければいけないと思ったのだ。 だけど自分の中で、この仕事を引き受けた理由がそれだけではない事になんとなく気がついていた。 それこそがたぶん、今俺の中で収まらない動悸の原因...... 「瑠威の名前捨ててからは、男との絡みとかしてへんねやろ? その恩人さんとエッチしたんが最後?」 「......はい」 「そんなん、えらい俺プレッシャーやわぁ。下手くそ過ぎて気持ちが入れへんとか言われたら、これから仕事続けられへんやん?」 「そんな、そんなわけないです! シンさんと言えば、タチでもネコでも本当にイヤらしくて綺麗で、いつでも相手が本気で気持ち良くなってるのが見ててわかりますもん!」 「まあ...俺はほんまもんのゲイやからね。航生くんみたいなノンケに比べたら、観てる人欲情させるコツみたいなん知ってるだけやと思うで。あ、そうや。航生くんが苦手なんやったらさ、今回本番は無しで頼んどく? まあ、ガチゲイの俺からしたらそれはちょっと残念やけど、あんな昔のビデオの時みたいな顔させてもうたら、それこそ映画の内容が狂ってまうやろ?」 正直言えば、本番は怖い。 シンさんがテクニシャンだというのは間違いないと思うけれど、これまで俺は...勇輝さんに触れられ、そして勇輝さんに触れた時しか気持ちいいと感じた事が無いから。 けれどこれは仕事なのだ。 気持ちいいとか悪いだとかそんな事ではなく...仕事だから大丈夫。 それに俺は今、シンさんに触れてみたいと...触れられたいと思いだしている。 ああ...違う。 相手役がシンさんだと聞いた時にはかつて見たあの痴態が甦り、できるなら肌を合わせてみたいと考えていたのだ。 そしてこうして話をし、穏やかな笑顔やクルクルとよく動く瞳に、間違いなく俺はシンさんに惹かれている。 「本番あっても...大丈夫です。映画であるのと同時に、これはれっきとしたゲイビデオですから」 自分がシンさんにあらぬ感情を抱き始めている事を隠すように、撮影での本番を正当化する。 まるでそんな俺の気持ちを見透かしているように、シンさんはクスクスと笑いながらグラスの中身を一気に飲み干した。

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