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とまどいながら【13】
「お待たせしました!」
会計を終わらせて、急いで店の外へ出る。
充彦さん達の紹介だからと随分勉強してくれたのか、それとも元々それほどは高くない店なのか、ご主人がそっとおれに渡してくれた伝票の数字は驚く金額だった。
その数字次第では、一旦シンさんを部屋に残してATMまでダッシュする事まで考えていたけれど、これならありがたいことに帰りのタクシー代を考慮しても財布には札が残る。
恐縮気味にお礼を言う俺に向かって最後にご主人がニコニコとお釣りの小銭を渡しながら言った言葉に、胸が大きく跳ねた。
「また二人でおいで」
......二人で来る機会が作れたら、どんなに楽しいだろう。
けれど、実際シンさんと過ごせる時間なんて僅かなもので...順調なら来週の今頃にはクランクアップだ。
そんな事を考えだすとなんだかちょっと切なくなってしまって、俺は曖昧に笑いながら改めて頭を下げ、そのまま店を出た。
シンさんはこの店に来たときと同じように、入り口に積まれたビールケースに腰を掛けている。
ニコニコと笑い、フラフラと体を気持ち良さそうに揺らしながら、湿度の落ちてきた夜風を受けていた。
この透き通るように綺麗な人を見て、誰がゲイビデオのトップモデルだなんて思うだろう。
いや、これほど涼やかで甘い容姿を持った人が、あれほど激しく狂おしいほどの痴態を見せるからこそのトップなのかもしれない。
「航生くん、おそ~い」
横顔に見とれていた俺に気づいて、シンさんがフワフワと歩み寄ってきた。
腰が砕ける程も泥酔はしていないらしいけれど、一人で帰らせるには何やら危なっかしく思える。
これほど酔う前に住所を聞いておいて良かった...偶然にもシンさんが口にした地名は、俺のアパートからそう離れていない所だった。
そっと隣からその体を支え、呼んでもらっていたタクシーへと押し込む。
隣へと座り、運転手にマンション近くのコンビニを告げると、体を深くシートに沈み込ませた。
肩と肩が、ピタリと触れ合う。
そこがひどく熱くて恥ずかしくて、意味もなく俺は窓の外を眺めた。
不意に肩へと掛かる重みが増し、俺の右手が取られた。
ドキドキしながら隣を見れば、シンさんがまるで甘えるように俺の肩に凭れ、そっと指と指を絡ませている。
「な、何を...」
「航生くんはぁ...真面目なエエ子やなぁ......」
ふと顔を上げたシンさんと目が合うと、空いた方の手で俺の頭をヨシヨシと撫でてくれた。
「こんな俺がくっついてんのに、嫌な顔一つせえへんのな。ほんまにありがとね」
「それは...嫌だなんて思ってないからです」
「ん......」
俺の答えをどう受け止めたのか、そのまま黙り込んでしまったシンさんの姿が少しだけ苦しくて、俺は絡め合っていた指先にギュッと力を込めた。
**********
シンさんのマンションから最寄りのコンビニの前でタクシーを降りると、二人で並んで歩きだした。
ゆっくり、ゆっくり...このままマンションになんて着かなければいいのになんて考えながら。
タクシーの中で繋いだ手は、お金を払う瞬間以外一度も離していない。
しっかりと指を絡めたまま、少しずつ進んでいく。
酔うとシンさんは...誰にでも...こんな風に甘えるんだろうか?
俺だから甘えてるって思いたい。
だけどそんなわけがないって事はわかっている。
他の人にもこんな顔で、こんな距離感で甘えているのかもしれないと考えると、そんな資格があるわけでもないのに嫉妬してしまいそうだ。
「航生くん、うち...ここやで?」
驚くほど身長が違うわけでもないのに、何故だか上目遣いにも見える顔でシンさんがちょっとだけ首を傾げる。
「シンさんて...お酒飲むと、いつもこんな感じですか?」
「こんな感じってぇ?」
さらに甘えるような色気は強い物となり、不思議そうに首を傾けたままで顔を寄せてくる姿はあざとくも思えるほどだ。
「お酒飲んだら...誰にでもこんなに...無防備に甘えるんですか......?」
それを問う立場にも無い俺が何を言ってるのかと情けなくなる。
けれど、今日初めて話をしたばかりのこの人の、こんなにフワフワとした姿を、他の誰にも見せたくないと本気で思った。
シンさんは、俺の物言いが『自分を非難している』とでも思ったのかもしれない。
片眉をピクリと動かすと、嫌みをたっぷりと含ませた笑顔を浮かべて俺の手を振り払った。
「まあ別に誰にでもってわけでもないけどぉ、とりあえず酒飲んだらヤりたなるもん。しゃあないんちゃう? ノンケに比べたらチャンス少ないんやし、体持て余してたら無理にでも隙作って男引っかけることも...ま、あるやろ」
思わず逃げていった手を掴み直し、その体ごと強く引き寄せる。
呆気ないくらい簡単に腕の中におさまった体をギュッと抱き締め、そのまま唇を合わせた。
ああ...あれだけ勇輝さんに注意されたのにな...唇も口の中も大事な性感帯なんだから、丁寧に優しく愛撫しないとダメだって。
けど今の俺はどうしても目の前の体を離したくなくて、柔らかい唇をもっと味わいたくて...ただ必死だった。
殴られるか蹴られるかする事も覚悟していたけれど、何故かシンさんの腕は俺の背中をしっかりと掴んでいる。
ひたすら唇を貪り合った俺達の顔が離れる頃には、バカみたいに夢中になった証のように二人ともすっかり息が上がっていた。
「......すいま...せん......」
慌てて体を離そうとしたものの、背中にしっかりと回されたシンさんの腕がそれを許してくれない。
「責任...取ってや」
「え!?」
「甘えてる俺にまんまと引っ掛かってチューしたんやろ? 責任取ってぇや。チューしたせいで俺、ヤリとうてムズムズしてきたやん。航生くんが責任取ってくれへんねやったら、今から男引っ掛けに行く」
悪態とも取れる言葉とは裏腹に、俺の背中を掴んだままの手はまるで『行かないで』と縋っているように思えた。
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