52 / 128

悋気は恋慕に火を灯す【30】

「これ終わったら、親睦深めるためにもメシでも行こうや」 俺のそんな言葉に、少し恐縮しつつも表情を嬉しそうに和らげる航生くん。 ちょっとトゲトゲしてた気持ちがスーッて落ち着いてきて、やっといつもの調子に戻れそうな気分になってきた。 キャップを取り、どうにかこうにか軽口を叩けるようになった所で、航生くんがまだ立ったまんまやって気づく。 「まあ細かい事は後で聞くし、瑠威くんも座りいや」 少しは周りを気遣えるだけの余裕が出てきた...そんな風に思って、いつものチャラけた口調で笑いかけた。 けど、航生くんの顔は僅かに固くなる。 俺の向かいの椅子に静かに腰を下ろすと、すっと綺麗に背中を伸ばした。 「シンさんにお願いがあります」 少しだけ緊張しているかのような物言いに、何事かと俺の方こそ緊張しそうになる。 脚を組み、前髪を掻き上げながら平静を装って『ん?』と小さく首を傾げた。 途端になんでか航生くんの首筋がちょっとだけ赤くなった。 ......そんな顔したらあかんやん。 ゲイビにAVにと、裸とセックスを売り物にしてきてるくせに、航生くんの反応はまるでウブな高校生が好きな人を前にして戸惑ってるみたい。 なんなら俺に誘惑でもされてくれるんちゃうかって、勘違いしそうになる。 「お願い? 何?」 言いづらい事なのか、声を掛けられて慌てたみたいに目をパチパチさせると、急いで手元の麦茶を口に含んだ。 改めて俺を見るその顔からは、さっき感じた照れみたいな物は消えている。 「シンさんが『アスカ』の名前と決別したように、俺も『瑠威』の名前は捨てました。あの頃の過去を捨てるつもりはありませんが、今は別人のつもりで頑張っています。なので不都合でなければ...俺の事は、『航生』と呼んでいただけないでしょうか?」 意を決したような言葉。 その言葉が純粋に嬉しい。 俺が惹かれ焦がれた、強い意思と光を秘めた瞳の『瑠威』 その『瑠威』という名前は捨てても、あの過去自体を捨てるつもりは無いと言う。 過去を背負った上で、今別人のつもりで頑張っていると。 てっきり俺は、瑠威時代の記憶は封印しようとしてるんやと思ってた。 実際、思い出したくもない事だらけやったやろう。 けど、それはそれで忘れへんて言うてる。 エエ思い出のわけは無いけど、きっと忘れたらあかん教訓として生きていくつもりなんやろう。 俺が惹かれた瑠威の存在は消えへんし、無かった事にせえへんでもいいんや...... でも...... あれほど心惹かれた瑠威が霞んでしまうほど、今目の前で俺に言葉を選びながら必死に思いを伝えてくる航生くんが...愛しい。 思わずそんな気持ちに口許が弛んだ。 「ごめん、ごめん、そうやったなぁ...もう瑠威ちゃうのに、俺えらい失礼な事言うてたわ。ごめんなぁ、航生くん」 あ、胸の中で『航生くん』て思ってた時は違和感しか無かったのに、口から出してもうたら...なんかスルッと案外普通に言えた。 航生くん...航生くん...航生くん...... めっちゃエエ名前やな...... 「いえ、俺の事なんて呼び捨てで...」 呼び捨て!? そんなん、イヤやん。 だって『航生くん』て...ちょっと甘えてるみたいで、胸の中がキュンてする。 今までそんな呼び方したんて勇輝くんだけやもん...... 心から甘えられたんは...あの人だけやったもん。 呼び捨てになんかしてもうたら、ほんまにただの先輩後輩に、共演者になってしまう。 いや、そりゃあただの共演者なんやけどさ。 「そしたら、俺の事も呼び捨てにする?」 これが航生くんにとって無理難題なんはわかってる。 だって、あんなになついて心を許してるはずの勇輝くんの事ですら『勇輝さん』て呼んでるの知ってるもん。 俺のが格上やらなんやらわけのわからん事言うてる航生くんが、俺を呼び捨てになんかできるわけがない。 「んふふっ、航生くんてなんや真面目で可愛いなぁ...昔はあんなにボロボロに犯られながらも暴君やったのに」 不意に心の声が口から漏れてしまった。 途端に航生くんの顔色がさっと青くなる。 しまった...忘れるつもりは無いとはいえ、思い出したくは無い過去のはずやって、ちゃんとさっき考えてたのに...... その過去を乗り越えて別人として頑張るっていう言葉に嬉しいと思ったばっかりやのに...... 背中をピンて伸ばしたままで俯いてもうた航生くんに申し訳なくて、俺は使えない頭をフル回転させながらその顔を上げさせる言葉をひたすら考える。 「 俺も航生くんも、この会社ではおんなじ新人やで? そうやろ? せえから、俺は『航生くん』、航生くんは『シンさん』呼びでええやん。まあ『シンくん』でもかめへんねんけど、航生くんにはそれもハードル高そうやから、今は『シンさん』で勘弁したげる」 傷つけるつもりなんかなかってんで? ただ真面目で一生懸命な航生くんが可愛いって思っただけなんやで? そんな思いを言葉に、そして声に丁寧に乗せる。 伝わったんやろうか...俯いたまんまでカチーンて固まってた航生くんの顔が、ギギギギッみたいな感じで不自然に俺の方に向いた。 傷ついたと恨みがましい目で見られても仕方ないと思って少しだけ覚悟してた。 あの目で睨まれたら怖いけど、それはそれで仕方ないって。 せえけど俺に向けられたその目は少しだけ潤んでて、頬っぺたはほんのり赤くなってて...航生くんはまたあの『誘われたってもええで』みたいな勘違いさせる顔をしてた。

ともだちにシェアしよう!