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悋気は恋慕に火を灯す【32】
少ししたら航生くんが戻ってきた。
......っていうか、いつの間にか後ろに立って俺を見てた。
声がかけられへんかったって事は、あかんかったって事かな?
なんも気にせんでもええようにって、できるだけ優しい見えるようにニコッて笑う。
「別の店探す?」
口に出すと、航生くんは慌てるみたいにブンブンって首を振った。
「ここ、俺の大恩人が紹介してくれたんですけど...」
「恩人?」
「ああ、はい。今の俺を全部作ってくれた人達...かな。苦しくて寂しかった生活から、俺を助けだしてくれた人なんです。で、その人達がちゃんと連絡入れてくれてて、座敷を用意してくれるそうです」
「航生くんを助け出した人...か......」
胸がキューッて締め付けられる。
さっきまでの、少し甘酸っぱくて幸せな苦しさやなく、これは嫌な苦しさやった。
ほんまは俺が助けてあげたかったのに...
もっと早い時期から航生くんの寂しさも苦しさも、俺は気づいてたのに......
結局俺には、助けてあげられるだけの力も才覚も無かった。
どういう経緯かは知らんけど、勇輝くんと出会った事で航生くんは救われみっちゃんに助け出された...どれほど願っても望んでも俺にはできへんかった事を、勇輝くんはあっさりやってのけた。
あかん...また俺、嫌なヤツになる。
航生くんと一緒の空間におれるだけで幸せってさっき考えたばっかりやのに。
落ち着け...今は木崎さんのおかげで、こうして航生くんと仕事ができる事になったんやないか。
それもこれも、勇輝くんが航生くんを助けてくれたからや。
感謝こそすれ、恨んだり妬んだりすんのは筋が違う事くらい俺でもわかる。
とにかく今は二人の仕事を完璧にこなして、俺が相手役でならゲイビもそない悪いもんやないって思ってもらわな。
ノーマルのAV以外、今後はやっぱりやりたないって思われたら、そこでもう俺と航生くんの接点は切れてまう。
ちょっと戸惑ったみたいな顔で俺を見て口を開きかけた航生くんを遮って、立ち上がりきわにその手をギュッと握った。
「そしたら早いこと通してもらお。俺、喉カラカラやねん。何より...ますます航生くんと話したなった」
思わず漏れた本音。
一瞬ビックリしたみたいな顔をした航生くんは、それでもそんな俺の言葉を嫌がる風でもなくギュッて手を握り返してくれる。
たぶん、なんて理由はないんやろう。
俺が手を握って引っ張るから、ただ握り返しただけ。
でも俺の手を包み込むみたいな大きな手の温もりが嬉しい。
なんやねん...俺。
手を繋ぐだけでこないワクワクするとか、どんだけウブやねん...俺。
こんな気持ちは知らん。
でもなんか、そない悪うないって思うとか...ほんまに俺、なんなん?
今まで手握るよりチンコ握った回数のが絶対多いはずやのに...こうやって手ぇ繋いでるだけでワクワクフワフワしてるとか、武蔵とかにバレたら絶対笑われるんやろうな。
そのまんまで縄のれんをくぐって店に入る。
そこそこ体の大きな男二人が手を繋ぎながら入ってきたってのに、大将らしき人はニコニコしたまんまで顔色一つ変えへんかった。
俺らみたいなんに何の偏見も無いか、それとも普段からこんな姿を見慣れてるんか?
まあ勇輝くんが選ぶ店やし、たぶんこの大将のこんな人柄込みで惹かれてるんやろうな。
おしぼりと箸の乗ったお盆を渡され、俺らは示された細い廊下を進む。
見た目はなんてことない...いや、むしろ綺麗とは言えんような大衆居酒屋やと思ってたのに、薄明かりに照らされたそこは上品で格式を感じる。
紹介はされたものの航生くんもどんな店なんか聞いてなかったみたいで、ちょっと緊張しながらキョロキョロ周りを見てるのが頭グリグリしたいくらい可愛い。
奥まで着いたとこで、一つしかない襖をそーっと航生くんが引いた。
「ここ...みたいですね」
中を確認すると、航生くんは俺に先に入るように促す。
どうも俺に上座に座れと言うてるらしい。
ほんまのとこ、上座も下座もどうでもええし、なんなら隣同士に並んで座りたいってのが本音やねんけど、俺が座るまでは本人も座る気ゼロみたいなんで、しゃあなしに奥に腰を下ろした。
予想通りっちゅうか予想以上というか、向かいに座った航生くんはお手本みたいな正座で飲み物を尋ねてくる。
店員ちゃうやろと思って、きちんと頭を下げる航生くんの前髪をワシャワシャって弄くり倒したった。
「そんな敬語、いらんてばぁ」
「いや、でも...とりあえず飲み物決めましょう」
緊張してるだけか生真面目すぎるんか、どうやら敬語は簡単には崩れそうにない。
まあ、もうちょい俺らの距離を縮まらないと、この固さを取るのは無理なんかもしれんな。
それならば、この距離を縮めて仕事を良いものにする為にも、俺は一旦けじめを付けなあかん。
「腹も減ってるし、さっさと乾杯したいとこやねんけどな、俺あんまり酒強い事ないねん」
「あ、はい......」
「腹割って話すにはほろ酔いくらいのがええと思うんやけど、先に大事な話がしたいねん...仕事の事......」
そこを伝えただけで、航生くんは俺の言わんとする事を即座に理解したらしい。
返事もなく小さく頷くと、すぐに部屋から飛び出していく。
「よう仕込んであんなぁ...勇輝くん......」
......『一を聞いて十を知る』くらいじゃないとお客さんの求める物はわからないんだよ......
それは、昔よう勇輝くんに言われた言葉。
店でも、ベッドの中でも。
航生くんは客を取ってるわけではないけど、それでも勇輝くんから同じ事を教えられてんねやろうか?
本音を言えば、あれは持って生まれた航生くんの性格なんやって思いたい。
また俺の胸には黒くて重い感情が広がってきて、なんかやけに喉が渇いてきた。
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