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悋気は恋慕に火を灯す【37】
「あのさ...」
できるだけ雰囲気を変えんように、できるだけ軽くてふざけた空気が滲むように意識して、ヘニャと笑いかける。
「瑠威の名前捨ててからは、男との絡みなんてしてへんねやろ? その恩人さんとエッチしたんが最後?」
頷く航生くんに、そらそうよなぁと納得せざるを得ない。
こんなビデオの出演依頼なんか無かったら、きっともう死ぬまで男の体になんか触りたなかったと思う...勇輝くん以外は。
『そんなのプレッシャーだ』『下手くそって言われたくない』なんて言葉を砕けた口調で言いながら、一番大切な事を告げるタイミングを図る。
俺のビデオ見て、相手も俺もメチャメチャ気持ち良さそうってずっと思ってくれてんて。
俺の事も、イヤらしくて綺麗って思ってくれてんて。
なんやろうな...そんな風に思ってもらえてたってだけでちょっと嬉しいかも。
それを口にするなら、今のこのタイミングなんやろうなぁ...ってなんとなく思う。
「航生くんが苦手なんやったらさ、本番無しで頼む?」
上手い事やったら、擬似本番って撮影もできん事はないはずや。
普通ゲイビでは『挿入場面はアップ』みたいなんがお約束やし、当然俺はそんな経験無いけど、AVの世界では稀にあるって聞いた事がある。
ビー・ハイヴは元々ノーマルのAVメーカーなんやし、そんなノウハウも持ってるやろう。
「ガチゲイの俺からしたら残念なんやけどさ、んでも昔のビデオ出てる時みたいな顔させてもうたら映画の内容が狂うてまうやろ?」
嘘、そんなん嘘やし綺麗事。
俺がガチゲイやから残念なんちゃう。
『俺』がただ航生くんと繋がりたいって思うてたから残念やねん。
それに、昔のビデオの時みたいな顔させたないってのはほんまやけど、それ以上に『やっぱり男同士のセックスなんて最悪』って思わせたないだけ。
せっかく勇輝くんに快感教えてもうたのに、それと比べた時の俺とのセックスにガッカリされたないだけ。
容姿にもテクニックにも、結構自信あってんけどなぁ...さすがに勇輝くんと比べたら、色気も含めて俺なんてたぶんペラッペラやろうと思うもん。
俺の言葉に航生くんは一瞬目を丸くすると、そのまま口をつぐんで俯いてしまった。
航生くんの長い指がそっと形のいい唇に触れて、そこをトントンと叩いてる。
難しい顔して、眉間の皺を深うして、ずーっとトントン、トントンて。
そない悩ませるような話やったんかな?
嫌なら止めとこうってだけの簡単な話やで?
考え事してる時の癖なんかな...ゆっくりと航生くんの目線が上がってくるのと同時にトントンが止まった。
改めて俺を見つめてくる航生くんの目に、息が止まりそうになる。
それは俺が焦がれて焦がれて憧れてときめいた、あの強い光を放つ瞳。
いや、あれよりももっともっと強くて、そして今までよりもずっと艶を帯びている。
それは初めて見る航生くんの目やった。
「本番あっても大丈夫です。これは映画であるのと同時に...れっきとしたゲイビデオなんですから」
仕事やから割り切れたって事?
嫌でも我慢できる決心がついたって意味?
いや違う、たぶん違う......
勿論仕事やからできるって思い込もうとしてる部分もあるやろう。
でも...でも、俺のゲイとしての目が間違えてないんなら...
航生くんは、俺に少しだけ性的な興味を...持ってる?
......あかんあかん、そんなもん勘違いや。
やっぱり俺、飲み過ぎてんねやわ。
航生くんが俺の事エロい目で見てるように感じるとか、ほんまあり得へんし。
せえけどさ...ちょっと酔ってる今だけでも...そう、今だけはアルコールのせいにして、自分に都合のええように解釈してもかめへんかな?
仕事は仕事としてちゃんと頑張れよって、神様が一瞬だけエエ夢見させてくれてんのかな?
航生くんの目に今、俺だけが映ってるんやなぁって考えるだけで幸せで泣きそう。
「もう、お腹いっぱいになりましたか?」
あのキリリときつい目が一気に柔らかくなり、俺を優しく包み込んでくれるみたいな雰囲気に変わった。
これもまた...見た事の無い表情。
俺なんかよりずっと大人の男らしい、めっちゃ穏やかな笑顔。
少し冷めてたはずのアルコールが、なんかまたグルグル体の中を回りだす。
「......もうお腹...いっぱい」
「料理もお酒も本当に美味しいお店で、すごく良かったですね。じゃあそろそろ、俺会計して......」
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
立ち上がりかけた航生くんよりも先に俺が立ち上がる。
「先に俺、オシッコ行ってくる」
そのまま部屋を急いで出ると、細長い廊下を抜けた。
カウンターの中に大将の姿を認めて声をかける。
「すいません......」
「はいはい。料理、まだ足りなかった?」
「いえ、そうじゃなくて...お会計を......」
大将は『なるほど』という顔をすると、少しだけ奥に入ってから計算を始める。
しばらくすると、丁寧に一品一品名前と値段を書き込んだ、長~い伝票が渡された。
どれもこれも、たぶんめっちゃ安いと思う。
少なくともあのクオリティーの物をこの値段で食べられる店が東京にあるやなんて、正直思えへんかった。
「あの...電卓お借りしてもいいですか?」
不思議そうな顔をしながらも、大将は電卓を貸してくれた。
航生くんに不審がられないうちに...と、急いで伝票の中から飲み物の料金を足していく。
俺も珍しくアルコール飲んだし、航生くんはびっくりするくらい酒が強うて次から次におかわりを頼んでた。
指を動かすたびに、どんどんデジタルの数字が跳ね上がっていく。
最後の一枚の、俺のカシスソーダと航生くんの日本酒を打ち終わり、小計を押した。
その数字を大将に見せながら、俺は財布から福沢さんを取り出す。
「すいません。ほんまやったら俺のが先輩なんで全部払いたいとこなんですけど、自分の紹介した店で先に会計終わらせてもうてたら、彼ちょっと気ぃ悪いと思うんです。なので、飲み物代だけ先にこっそり受け取ってもうてもいいですか? 面倒かけて申し訳ないんですけど」
「ああ、それは全然問題ないけど......」
「それで、できたらこの明細の書いてある伝票出さんと、残りの金額だけの請求書出したってほしいんです。今日は全部彼が支払った形にしてあげてもらえますか?」
「お兄さん、お金払ったって言わなくていいの?」
「......はい。あくまでも彼にご馳走になった形の方が、紹介してもらってまで俺を連れてきた甲斐があると思うんです」
素直に話せば、大将はすぐに俺の出した金額に対しての領収書を切ってくれた。
頭を下げ、急いで部屋に戻る。
「ごめ~ん、ちょっと飲み過ぎたんかなぁ...めっちゃいっぱい出た。ジョジョジョーって」
「んもう、そんなのわざわざ教えてくれなくていいですってば! じゃあ、帰りましょうか。タクシーも呼んでもらうんで、先に外で待っててもらってもいいですか?」
カバンを肩にかけ、航生くんがパタパタと部屋から駆け出した。
俺は航生くんのグラスにちょっとだけ残ってた日本酒を飲み干して後を追う。
先に店を出ていく俺と一瞬目が会うと、大将は航生くんに見えへんように『また二人でおいで』と口を動かして指でオッケーサインを作ってくれた。
航生くんを待つ間、来た時みたいにビールケースに腰をかける。
「また二人で来れたら...ええな......」
ひんやりとしてきた風に吹かれながら、俺はそっと目を閉じた。
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