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悋気は恋慕に火を灯す【38】

しばらく風に当たってると、居酒屋の扉の開く気配がした。 出てきたんやなぁと思いつつ、髪を揺らす風の心地よさにうっとりと目を閉じる。 ......ん? 出てきたやんな? いつまでも声の一つもかかれへん事を不思議に思ってチラリと目を遣れば、航生くんはちゃ~んとそこにおった。 なんかそれだけで嬉しなって、顔がフニャフニャって弛んでいくんがわかる。 「航生くん、おそ~い」 ビールケースから下りて航生くんの隣に立つと、苦しそうに顔をしかめてちょっとだけ目を逸らされた。 ......どうしたんやろ? ......俺、なんかしたんかな...寂し...... せえけどまあ、目を合わせてくれへんからって文句言うわけにもいけへんし、航生くんが俺を見たないんならしゃあないもんな。 さっきまではあんなに熱い視線を俺に向けてくれたのにって思うだけで涙が出そうになるけど、ここで泣くわけにはいけへん。 別になんも気になんかしてへんでって笑顔を作り、呼んでくれたらしいタクシーの方に向かう。 乗り込んで、『バイバイ』って手ぇ振ったら今日一日が終わってまうんやな...そんな事を考えると、タクシーのドアの前でついぼんやりしてしまってた。 ふと、突然俺の腕が取られる。 「へ? な、何?」 気づけば開きっぱなしやったドアの中に押し込まれ、隣には航生くんが乗り込んできた。 「シンさん酔ってるみたいですし、送ります」 「そ、そんなんわざわざエエって......」 「あ、いや...別にわざわざじゃないですから。シンさんのマンション、俺のアパートのすぐ近くなんで......」 うそっ!? 航生くんの家、俺んとこの近所なん!? あ、いやいや...今驚くべきはそこやないわ。 なんでうちのマンションとか知ってんの? 俺が疑問を口にする前に航生くんが運転手に告げた地名は、間違いなくうちの近所。 絶対驚いた顔で見てたであろう俺に一回笑いかけると、またなんか思い出したみたいに航生くんはプイッと横を向く。 「本当にだいぶ酔ってますね...さっき、『航生くんてどの辺住んでんの~?』なんて話になった時、自分で教えてくれましたよ、住所」 あ、あれ...? そうか、俺自分で住所言うてたんや...ほんまに全然覚えてへんわ。 やっぱり、酔うてんのかな...... またチラッと航生くんを見ると、体を深くシートに沈めて窓の外をじーって見つめてる。 ていうか...もしかして、俺を見んようにしてる? そんな悪い事したんかな...避けられなあかんくらい、嫌われてもうたん? せえけど、さっき一瞬だけ目が合うた時は、全然俺の事嫌がってなかった。 それどころか、ものすごい優しい笑顔で俺の顔見てたで? どっちなんかな...... 俺の事、嫌なん? それとも嫌やないん? 俺、ほんまに酔うてるんなら...今だけアルコールのせいにしてもかめへんかな? 航生くんの気持ち...確認してもかめへん? 腕同士が触れるか触れないかという距離に座っている航生くん。 少しだけ距離を詰め、航生くんの肩にコトンと頭を乗せてみる。 一瞬航生くんの体は強張ったけど、俺の体温を嫌がるような気配は無い。 そっと右手を取り、そこに指を絡めてみた。 やり過ぎかな? 振り払われるんかな? かなりドキドキしてたけど、これも別に嫌がる感じはない。 ただちょっと焦ったみたいな顔を向けて『何?』ってぼそって言った。 「航生くんは...ほんまに真面目なエエ子やなぁ」 困ったみたいな顔してる航生くんの頭を、ヨシヨシってしたげる。 「こんな俺がくっついていってんのに、嫌な顔とかいっこもせえへんのな...ありがとう」 わかってんねん。 俺が自分の都合のええように考えようとしてるだけで、航生くんは先輩であり酔っぱらってる俺に気を遣ってくれてるんやって。 だって、普通男に凭れ掛かられるだけでも鬱陶しいやろうに、ノンケの男が男の俺に指絡められて気分エエはずないもん。 けれど、俺のそんな考えを見透かすみたいな低い声が耳に小さく響く。 「嫌だなんて...思ってないからです」 それは小さいけれど、きっぱりと言い切るような強い口調。 トクトクと鼓動が早く大きくなり、目許がじわりと滲んでくる。 何か喋ったら声がブッサイクに震えてしまいそうで、それに『うん』とだけ答えると顔を航生くんの肩に押し付けた。 航生くん...航生くん...好き、めっちゃ好き...... 胸の中でそれを繰り返すだけで、幸せ過ぎて身体中が熱うなってくる。 自分の言うた事が嘘やないって俺に伝えるみたいに、航生くんは絡めた指にギュッて力を込めてくれた。

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