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小悪魔モンモン【2】

「ただいま~。遅くなりました」 充彦さんと勇輝さんと同じマンションに住むなんて畏れ多い!...なんて思ってたのはいつの事だったか。 ピカピカで重厚なこのドアを開けるのにももうすっかり慣れた。 合鍵をカバンのサイドポケットに押し込み、玄関で靴を脱ぐ。 「ただいまで~す」 ......ん? 返事が無い? 今日の仕事はインタビューと写真撮影だけで、午前中には終わるだろうと聞いている。 すぐに帰ってきて部屋で絵を描いてるつもりだと言っていたし、何よりリビングには明かりが点いていた。 留守ってわけじゃないだろう。 部屋にいる時ならいつだって、俺が帰った瞬間『航生く~ん』なんてリビングから飛び出してきてくれるのに。 ......実はそれが、仕事終わりの一番の楽しみなのに... 訝しく思いながら、そーっとリビングへと続くドアを開ける。 「あ、いるじゃないですかぁ。慎吾さん、ただいま」 「うん......」 フローリングにペタンと座り込んでいる背中に声をかけてみたものの、生返事があるだけでこちらを向こうとすらしてくれない。 どうしたんだろう...... 体調が悪いのか、それとも機嫌が悪いのか? 俺、何かしちゃったのかな...... 今までこんな姿見たこともなくて、なんだか胸のざわざわが抑えられず泣きたくなってくる。 「慎吾さん、ただいま。ご飯、ちゃんと食べましたか?」 できるだけ優しく優しく言いながら、まるで俺を拒んでいるかのような背中のすぐ後ろに膝をついた。 「もしかして、カレー辛かったですか? ごめんなさい。明日は休みだし、慎吾さんの食べたい物何でも用意しますよ。何がいいですか?」 「......ほんまになんでも?」 慎吾さんがチラッと俺の方を窺うように見る。 はっきりとはわからないけど...目元が少し赤い? まさか泣いてたの? ほんとに何があった!? でも、明日のメニューに食いついてくるくらいなんだから、やっぱり作り置きしといたカレーが少し辛過ぎただけのかも。 俺は無理にその顔を覗く事はせず、そっと背中を撫でながら笑みを作った。 「はい、勿論。もし作り方知らなくても、一生懸命調べて慎吾さんのリクエストに応えますからね」 「どんなんリクエストしてもエエん?」 「いいですよ。あ、今日のが辛くて嫌だったんなら、明日は何か甘~い物用意しましょうか?」 俺の言葉に、ようやく慎吾さんの体がゴソゴソと動いた。 ゆっくりと俺の方を向いて、じっと目を見つめてくる。 気づけば赤いのは目元だけでなく、何故か頬も首筋もうっすらと色付き、少し開き気味の唇の隙間からは赤い舌がチロチロと覗いていた。 おまけに俺に向けられた瞳はウルウルと涙の膜で潤んでいて...... あ、これはニブチンの俺でもわかるぞ。 慎吾さん、カレーが辛くて拗ねてるわけじゃないんだ。 何がきっかけかわからないけど、どうも完全に夜のピンクモードに入ってる...... 思わず溜まったツバを飲み込めば、『ゴクン』と情けないくらいに大きな音がした。 「航生くん...俺、甘いのんいらん......」 「慎吾...さん......?」 ゆったりとした動作で腕を伸ばすと、その腕を俺の首に回してくる。 そのまま体ごとフワリと凭れてきて、気づけば慎吾さんは俺の胸にしっかりと頬を擦り寄せていた。 「なあ、航生くん......」 胸元にかかる吐息の中に混じる甘い香り。 正体を無くすほどではないけれど、少しだけワインか何かを飲んだらしい。 いつもより微かに体温が上がっているように感じるその体をしっかりと抱き締める。 「なんで...今日の撮影の事...黙ってたん?」 ドキッとした。 別にやましい気持ちがあったとか出来事があったとか、ついでに内緒にしなければいけない大人の事情があったとか...そんな理由があるわけじゃない。 ただ、あまりに俺に似合わない役柄を無理矢理演じるというのを伝えるのが恥ずかしかったのだ。 慎吾さんに『合わない』と笑われ、ガッカリされるのが嫌だった。 『こんな役をやるなら、やっぱり勇輝くんでないと』って比べられるのが...どうしても怖かった。 「黙ってるつもりはなかったんですけど、わざわざ言うほどの事でもないかと思って...すいません。それに俺、あんな役似合わないから...なんか恥ずかしくて言えませんでした」 「俺、羨ましかった...あの女優さんが羨ましかった......」 「え!? 慎吾さん、何......?」 「航生くんにあんな目で見られて、あんなに激しくされて...ほんまに羨ましかってん......」 慎吾さんが何を言ってるのか、なんだかよくわからない。 だけど、抱き締めているその体が震えるほど興奮しているのはわかる。 「航生くん...俺もあんな風に...優しく激しく...調教して」 そんな言葉に驚いて、慌てて慎吾さんから体を離す。 甘えるように、だけどちょっと寂しそうに慎吾さんが俺に向かって差し出してきたのは...... 俺がついさっきまで手にしていた物とそっくりな、革製の首輪と鎖だった。

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