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フィクションの中のノンフィクション【7】
「ほ~んと、ビーハイヴの木崎さんから電話もらった時は、まあ驚いた驚いた」
打ち合わせってほどのもんやないけど、ここからの流れを簡単に把握し合っておこうって事で、まずはアリちゃんに部屋に入ってもらう。
何が入ってんの!?ってくらいでかくて重たいバッグを肩にかけてたから、それを下ろさせてあげたいってのもあった。
航生くんがお茶の用意してくれてるから、その間に二人で並んでソファに座る。
「ちゃんと『旦那の方じゃないんですか?』って聞いたのよ。みんなとも仲いいし、AVってわけじゃないけどみっちゃんと勇輝くんの絡みも撮影したことだってあるじゃない?」
「俺もてっきり中村さんやと思ってたぁ。まさか中村は中村でもアリちゃんの方が来るとは......」
「でしょ? でもね、木崎さんが『航生くんがアリさんがカメラマンじゃないならやりませんて言ってる』なんて言うからさぁ」
航生くんから言うた話やったん?
なんでそないアリちゃんに拘ったんやろう?
なんで無理を通してまでアリちゃんにカメラマンやってもらおうと思うたん?
「でね、この日曜日からまーくんイタリア行くのよ」
「まーくん?」
「あ、やだ...恥ずかし。うちの旦那の事ね。雅文だからまーくん。出版社からミラノコレクションの撮影と取材依頼されてて、コレクションウィークの間向こうに行きっぱなしになるから、アタシも着いていく事になってるのよ。それで今日しか空いてなくて、ちょっと無理言っちゃった。急な話でごめんね」
「いや、俺は別に撮影がいつとかは何とも思えへんねんけど...航生くんが無理お願いしてもうたみたいで、こっちこそごめんね」
「アタシね、航生くんの真意が聞きたくて直接電話したのよ。素人のアタシがプロよりいい画が撮れるとは思わないけどほんとにいいのかって。でもね、アタシに撮ってもらいたいって理由聞いたら、んもう航生くんが可愛いやら慎吾くんが愛されてるやら、なんかすっごい嬉しくなっちゃって! だから、全然無理じゃないの」
「航生くんが可愛い? 俺が愛されてる?」
「アリさん!」
目の前に紅茶と焼きたてのホットケーキを並べながら、航生くんがわざとらしく『ゴホッ、ゴホッ』と咳払いをする。
アリちゃんはそれを見ると、しまった!みたいな顔で首をちょっと竦めペロッと舌を出した。
「恥ずかしいから、少なくともデートシーンが終わるまではこの話NGだって言われてたんだった。だからこの話はまた後でね」
「えーっ!? そんなん、俺めっちゃ気になんねんけど」
「慎吾くんは気にしながらもちゃんとニコニコできるけど、先に話しちゃうと航生くんは恥ずかしくて普通の顔で笑えなくなるんですって~。あっ、このホットケーキ美味しい! 何、このシロップ、レモン風味?」
「はい。煮詰めて少し酸味をまろやかにしたレモンシロップにグラニュー糖で甘みを付けて、熱いうちにフレッシュミントを浸しておいたんです。生地にも砂糖漬けのレモンピール刻んで入れてるんですよ」
「すごく美味しい。みっちゃんのお菓子はしょっちゅう食べさせてもらってるけど、航生くんもなかなかね」
「俺はまだまだ本格的なケーキはあんまり得意じゃないんですけどね。今時々充彦さんからお菓子を教わってるんです」
「みっちゃん仕込みかぁ。結構スパルタなんじゃない?」
「スパルタどころか、基本放置ですよぉ。作ってみたい物言えって言われて作りたいお菓子伝えたら、目の前でいきなり作り出して...俺はひたすらそれ見てメモ取って。まあ、充彦さんのレシピノートは見せてくれるんで、それと見比べながらひたすら感覚を目で覚えてる感じです」
「昭和の職人かよっ! でもまあ、それに航生くんが着いてこれると思ってるからできる事よねぇ...すごい師弟関係じゃない。ま、アタシはまっぴらだけど」
「そんな事言いながら、勇輝さんに料理教わってるじゃないですか」
「勇輝くんは教え方優しいものぉ。それにね、海外だと日本食でホームパーティー開くって言うとすごく喜ばれるのよ。まーくんがこれから向こうでも仕事していく事になるなら、いろんな所にコネクションは持っておきたいじゃない? 実際今回のミラノでも、岸本さん主催でファッション関係の有力者集めたパーティーやるって言うから、アタシその時ホストの一人として料理作るからね」
アリちゃんも中村さんも、なんかすごい。
海外にまで活躍の場を広げて、もっともっと高いとこ目指してて......
すぐに小さい事で凹んで動かれへんようになる俺とはえらい違いやん。
いつの間にか上手い事笑われへんようになってたんやろうか...アリちゃんが俺の頭をギュッと抱き込んできた。
「アタシはアタシよ。どこに行っても、いつも慎吾くんとヘラヘラ笑ってるアタシのまんま。だからね、慎吾くんは慎吾くんのまんまでいいのよ。可愛くて男らしくて、エッチで寂しがり屋さん...ついでに、自分の独占欲の行き場に困っちゃうくらいの不器用さん...そのまんまでいいの」
「っ...ど、どうして...それ......」
「アリさんっ!」
俺の髪を撫でてくれてるアリちゃんに向かって、慌てたように航生くんが名前を呼ぶ。
アリちゃんは余裕綽々の顔でチラッと航生くんを見ると、パチンてウインクしてみせた。
「わかってるってば。慎吾くん、後からすっごい幸せに、ちょっと恥ずかしい!ってしたげるから、今はちゃんと笑って撮影入りましょ」
「俺はかめへんけど...アリちゃん、そもそも撮影なんかできんのん?」
俺の質問に、アリちゃんは持ってきたあのアホみたいに重いカバンを得意気にガバッて開けた。
中からは大量の録画用ディスクにハンディカム、それにいわゆるハンディよりもずいぶん大きい本格的なビデオカメラまで出てくる。
「任せて! インタビューはね、こっちの大きいので超クリアに撮っちゃうわよ。ちゃんと使い方教わったし、一応練習もしてきたから」
「いや、大きいのんとかインタビューとかはさ、まあ撮り直しもできるから別にかめへんねんけど......」
「あ、エッチシーン? そっちもちゃんと練習してきたわよぉ...散々まーくんとハメ撮りで」
ハメ撮りの言葉に航生くんは焦ったみたいに紅茶のカップをひっくり返し、俺は呆気に取られた。
俺らのエッチシーン撮影する為に...自分らがハメ撮りして練習!?
あの男らしくて懐深くて、どっか飄々としてる中村さんとハメ撮り!?
アリちゃんがカメラ持って、中村さん映してたって事?
そんなん、自分らのエッチを撮影すんのが練習になんの!?
ほんまなんか冗談なんかはわかれへんけど、それをわざわざ俺に言うてくれるアリちゃんの気持ちが嬉しい。
俺とバカな話もエッチな話もできるアリちゃんのまんまなんやって言ってくれてんのが...ほんまに嬉しい。
「よっしゃ、航生くん、アリちゃん。買い物行こ。撮影開始!」
目一杯笑って立ち上がる。
アリちゃんは急いでバッテリーとディスクをセットしてカメラを持ち、航生くんは...ごく当たり前に俺の左手をギュッて握った。
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