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フィクションの中のノンフィクション【25】

ちゃんとアイスピックがエエとこに入った感触があった。 久しぶりやったし内心ドキドキしてたけど、こうやってみたら案外感覚は鈍ってへんらしい。 丁度上手い事野球ボールくらいの大きさに割れた氷の塊を手のひらに乗せ、アイスピックの先端に近い場所を握り直す。 「うん? 何するの?」 「はい、この氷やと、まだこのロックグラスには入れへんやろ? これを今からちゃんと入るようにします」 「そんなの別に、割ればいいだけじゃ......」 「ちゃうんやなぁ、それが。ちょっと俺が元バーテンダーらしいとこ見させてな」 しっかりと氷の表面を、そして氷の断面を見つめた。 手の中からピックの先を3cmほど出すと、一度グラスの口を確認して頭にそのイメージを叩き込む。 まずはここ...塊の角を躊躇う事無く突いて落とした。 一度手を動かし始めれば、驚くくらい落とすべき場所が次々と見えてくる。 氷の塊をコロコロと転がしては大きな角をのすべてを大胆に割り落とす。 それは自分でも思ってた以上にスムーズに進んだ。 いびつなただの氷の塊は、何回かアイスピックを動かしただけでずいぶんと綺麗な丸に近づいてくる。 「へぇ...器用なもんねぇ」 「まだまだやで。こっからが本番......」 ちょっと目付きが変わったと思う。 結構本気の顔になったやろうって。 航生くんもアリちゃんも口を閉ざし、ただ俺の手元だけを見つめた。 さあ、ここからはカクテルとおんなじで時間勝負。 一回だけフゥーッて息を吐いたら、寝かせ気味に握ったアイスピックを、今の俺ができる最大限の速度で動かしていく。 シャッ、シャッて一定の速度で響く音が心地ええ。 この音がしてるって事は、丁度の角度でちゃんと氷が削れてるって証拠。 気を抜かんように右手の動きはそのまま、左の手のひらで塊ををちょっとずつ転がしていく。 カンナでもノミでもなく、細いアイスピックで表面を丁寧に削る...当然下書きもなんもあるわけのない、ほんまの一発勝負。 少しずつ溶けた氷の雫が左手の肘の方まで垂れてきた。 表面はエエ感じに溶かさなあかん。 せえけど、溶かしすぎてもあかんのが難しい所や。 時間をかけたら溶けすぎるだけなしに左手の微妙な感覚が鈍なる。 とにかく急がな...... 表面を削り続けてるうちに、航生くんは俺がやろうとしてる事がわかってきたらしい。 手元だけを見てたはずやのに、俺自身にビンビン視線を感じる。 ......俺でもやったらできるんやって...『すごいっ!』って...思うてくれるかな? 作業はそろそろ終盤。 まだ少し粗めに残ってるピックの痕をさらに薄く削り、手の中で塊を転がしながら細かい筋は溶かしてしまう。 粗いピックの筋と削りだした氷の粒で真っ白になってた氷の塊は、俺の手のひらの上でキラキラ輝くクリスタルになった。 こんなもんやろうとその輝きに納得して、それをグラスの中へと放り込む。 照明を受けて美しい乱反射を見せる切子のカッティングに、それに負けない透明感で光を放つ氷。 それでもやっぱり離れてた時間のせいか、腕は少し落ちてもうててため息が出た。 「うそ...え? すごい...丸氷ってこうやって作るの!?」 「うん、まあね。最近は機械とかで作ってる店も多いみたいやけど、俺が昔おったとこはロックには手で削った丸氷入れる事になっててん。せえけどあかんわ...さすがに下手になってる。もうちょいいけると思うててんけどなぁ」 「え、これで下手なんですか? でもこんなに綺麗な球になってるのに?」 航生くんが指先でその氷をクルンと回した。 確かにそれは限りなく球に近いと示すように、グラスの中でいつまでもクルクルって回ってる。 せえけどそれではあかんねんなぁ...... 「丸氷ってね、このグラスにぴったり嵌まる大きさに削るんが技術やねん。隙間があるんか無いんかもわかれへんくらい、ぴったりね。最初に割った時の大きさはたぶん間違いなかったと思うてんねん。てことは、この状態まで削るのに時間がかかりすぎたんやろうなぁ...そうやってグラスの中でクルクル回せたらあかんねん、ほんまは」 「い、いやでも! ほんとにすごいです! 氷がこんなに綺麗になって...まん丸になって...それもあのアイスピック一本でできちゃうなんて」 「アタシもすごいと思う。何より、アイスピックで削ってるなんて思ってなかったもの。でもこれってさ、包丁とかじゃだめなの?」 「どうなんかなぁ? まあ、あかん事はないと思うんやけど、氷って...なんて言うんか...面積の大きいもんで削ってまうと、表面に氷の目とか流れみたいなもんがハッキリ出てまうねん。そしたらどうしてと透明度が落ちるから。あ、でもこれは俺が思うてるだけね。それに、ザクッて一気に削れてしまうと細かい修正がきけへんやん? ピックと自分の手のひらだけでちょっとずつ確実に削っていく方が、間違いない大きさでやめられるし」 航生くんは早速そこにお気に入りのバーボンを注いでいく。 「ちょ、ちょっとぉ、これから慎吾くんのカクテル......」 「いや、絶対こんなんで酔いませんから! 一杯だけ! この一杯だけ飲ませてくださいって!」 指先で改めてカラカランと氷を回し、どうやら好みの温度になったらしいそれに航生くんが口を付けた。 たっぷりウイスキーを口に含むと、目を閉じてゆっくり喉へと流していってるらしい。 航生くんの男らしいて、んでめっちゃイヤらしい喉仏が小さく上下してる。 「またうっとりしてる?」 「うん、うっとりしてる。あの喉仏、何時間でも舐めてたなるんよなぁ...って」 「ま、もう驚かないけどね。でもさ、これ航生くんが知らなかったって事は、二人が会ってから初めてやったの?」 「うん。店辞めてからは、大阪おった頃に一回ビデオの中でバーテン役やった時以来かな。シェイカーだけならほら、昔イベントでみんなの前で振ったけど、あの時はアイスピックは持てへんかったからね」 「そんなに久しぶりでもここまでできるもんなんだ...体が覚えてるってくらいになるまで、ずいぶん練習したんでしょうね」 「......うん、これだけはめっちゃ練習したかな。ほら、俺酒強ないからさ、カクテルを自分の舌で勉強するってできへんやん? それでなくても抜群にセンスあって、おまけにアホみたいに酒の強い勇輝くんにはさ、どんだけ頑張ったところで追い付かれへんのよ。そしたら俺自身が頑張る事で勇輝くんに追い付ける事って何かなぁって思うたら、この丸氷作りくらいしか思い浮かべへんかってん。俺、ありがたい事に手先はわりと器用やからさ、これやったら練習でどうにかなるんちゃうかって、そら必死やったよ」 「やっぱりそこに勇輝くんが出てきちゃうんだ?」 「まあね...あの頃の俺の価値観は全部勇輝くん基準やったし。せえから絶対に越えられへんはずの勇輝くんの壁を一つでも越えられるかもしれんて思うたら、もう店の氷無くなるんちゃうかってくらい練習しまくってた」 「んで? その練習の成果は?」 「丸氷作らせたら、俺より上手い奴なんか店におれへんかったよ」 「ちゃんと越えてるんじゃない、自力で...勇輝くんて壁」 「氷だけね」 「何もかもできないわけでも、最初から全部諦めてるわけでもない...でしょ?」 「そらそうやねんけどねぇ...航生くんがみっちゃんを意識してまうみたいに、やっぱり俺は一生勇輝くんの背中は追いかけるんやと思うよ」 「そこは追い越さないの?」 「あー、無理無理。それはさすがにアリちゃんやったらわかるやろ。なんていうんやろ...もうね、色んな意味で持って生まれたもんが違いすぎる。あの人はほんまに別格。たださぁ、俺ね...あ、天狗になってるとか身分わきまえてないとか言わんとってな...俺、航生くんと一緒にさえおったら、背中追っかける事しかできへんかった勇輝くんにもね...並べるんちゃうかって思うてんねん。隣に並んで、一緒に前を向いていけるんちゃうかって」 「バカねぇ、今更気づいたの?」 「うん、今更気づいた。俺、航生くんおったら最強ちゃう?」 「最強で最高よ、二人なら。慎吾くんがそうやって胸張って『隣に並ぶ』って言ってくれるの、勇輝くんも待ってると思う」 「笑われへんかな...お前ごときがふざけんなって」 「嬉しくて涙ポロポロに決まってるじゃない。誰だと思ってるのよ...慎吾くんを一生懸命引っ張ってきたあの勇輝くんよ?」 「あ、そっか......」 「そうよ」 俺、ほんまに航生くんがおってくれたら最強やと思うねん。 勇輝くんに負けへんなんて思えへんけど、勇輝くんにもできへん事ができるようにはなるんちゃうかな。 航生くん、ほんまにありがと...... 「慎吾さ~ん、あのねあのね、これすんごい旨いです。でね、でね...すごいワガママなんですけど、この氷また作ってもらえますか? 今度はバーボンのハニーをね、これで飲みたいんです。ね? ダメですか?」 約束の一杯を飲み干してもうた航生くんは、別に酔うてるわけでも無いはずやのに、なんやちょっと可愛いなってる。 よっぽど酒が旨かったんかな? いや...少しは氷削ってる俺の姿をかっこエエと感じてくれたからやと嬉しいんやけど。 「いつでも作るから、その時はこの塊の氷用意しといてな?」 ぱぁっと表情を明るくする航生くんに触れるだけのキスをすると、俺は今度こそ本格的に氷を割り始めた。

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