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春と秋 #1
お線香を手向けた後、通された部屋は僕の想像を遥かに超えていた。達彦さんはリビングと言っていた。けれど、そこはまるでちょっとしたホールのよう。おまけにグランドピアノまで置いてある。想像を超えていたのは、リビングだけではなく、達彦さんが淹れてくれたお茶もだった。随分手慣れた様子で、ティーポットから丁寧に淹れてくれたお茶は、口に含んだ途端、清々しい香りが一気に鼻に抜け、かなり美味しかった。レンジも使えない人が淹れたとは俄に信じ難い。
「美味しい!」
「そうか、それは良かった。」
「茶葉が良いものっていうのが前提なんでしょうけど、こんな風に丁寧に淹れると、香りも風味も断然違うものなんですね。やってみようかな。でも、一人暮らしには贅沢かな。道具もないし。」
達彦さんは少し考えて、離席することを詫び、キッチンへと消えた。五分ほど経って戻ってくると、紙袋を僕に差し出した。
「何です?」
「持って帰ると良い。母に線香を手向けてくれた礼だ。」
中を見てみると、そこにはティーポットとティーカップが二脚、無造作に入っていた。白地に小さく何か植物のような物が描かれていて、見るからに高そうな代物で、僕は辞退を申し出る。
「こんな高価な物、僕、受け取れません。」
「いや、古いものだが、そんなに高価なものではないだろう。母曰く、パイロットだった父が、どこかの国の蚤の市で購入したものらしい。私が生まれる前の話だ。」
「でも…」
「大丈夫だ。遠慮なくもらってやってくれ。それは母のお気に入りでね。パイロット時代の父から母への唯一の贈り物らしい。」
「ならば、余計頂けません。」
「供養だと思ってくれないか。」
「供養…ですか?」
「恐らく君はそれを見る度に母を思い出し、この先ずっと大切に使ってくれるだろう?」
「ええ。それはもちろん。」
「だったら、それだけで良い供養になる。私が持っているより、遥かに有意義だ。」
「はぁ…」
改めて中身を確認した。白地に縁の辺りにネイビーのラインと、小さく樹木らしき緑と黄色の花が描かれていた。ネイビーのライン、樹木と花の色が相互的に引き立て合っていて、上品さと可憐さを兼ね備えていた。
「とても可愛らしいですね。こういった物がお好きだったんでしょうか?」
「そうかもしれん。しかし、そういう話はあまりしなかった。正直、断言は出来ない。たが、父がこれを購入した気持ちは何となく理解できる。」
「お父様のお気持ち?」
「私はパイロットの仕事のことはよく分からんが、家にはあまりいなかったと記憶している。一緒に過ごす時間が短い夫婦だったと思う。それと恐らく、父がそれを購入したのはフランスだ。」
「どうしててすか?」
「そこに描かれているのはミモザの花。ミモザはフランスでは春を告げる花なんだ。そして、母の名前は千春。」
「ああ…」
なかなか会えない愛しい妻。彼女への贈り物は春を告げる花、ミモザが描かれたティーセット。自分にもこの国にも、もうすぐ春が訪れる。そんな気持ちを託して贈った品。そして、妻の名前は千春…
無意識に涙が一筋、頬を伝っていた。
「どうした?大丈夫か?」
達彦さんは心配そうに見つめた。
「あっ……大丈夫です……すみません。そうですか…何か良いですね、こういうの。僕にはこういう風に、自分以外の誰かの歴史を語ったり、誰かの思い出を垣間見たり出来る相手がいないので…素敵だなって思って…ああ、すみません。僕、孤児院で育ったんです。」
「えっ?」
「赤ん坊の頃、孤児院の門の前に置き去りにされていたそうです。名前と生年月日が書かれたメモと一緒に。ああ、すみません。こんな話。そうですか…お名前…千春さんだったんですね。お名前、早くに聞いていれば良かったなぁ。」
「何故?」
「またお得意の『何故?』ですね。」
「……」
「冗談てす。僕の名前、『千秋』なんです。だから何だって言われればそれまでなんてすけど…『千春』と『千秋』ちょっと似ています。お話していたら、何だかとても喜んでくれていた様な気がするんです。ああ、ごめんなさい。勝手なことばかり言って…えーっと…香月さんにしてみれば、迷惑な話ですね。」
「達彦だ。私は香月達彦(こうづきたつひこ)。」
達彦さんはそこで自己紹介し、右手を差し出した。僕も右手を差し出し、それに返す。
「山室です。山室千秋(やまむろちあき)です。自己紹介が遅れてしまって申し訳ありません。」
「それはこちらも同じだ。ああ、それと山室君。」
「はい。」
「君はもうすでに私の両親の歴史を知った。私と一緒に話が出来る。気が向いたら、また線香でも上げてやって欲しい。」
達彦さんは少し照れ臭そうに頬を緩めた。そして、それはやっぱり、そうしているだけで充分絵になった。
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