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山室千秋 #2 side T

高山さんの衝撃的な話はまだまだ続いた。 「千秋の父親はその当時、若手政治家のリーダー的存在でした。母親は父親の考えに感銘し、父親の選挙事務所でアルバイトを始めたました。二人はそこで出会い、恋に落ちました。父親は既婚者で、二人はいわゆる不倫関係でした。母親は千秋を身籠ると事務所を辞め、父親の前から姿を消しました。そして誰にも何も告げず、千秋を産みました。しかし、千秋が8歳になる年、どこで嗅ぎつけたのか、父親側がアクションを仕掛けて来ました。ある日の帰宅途中、父親の側近と思われる男に連れ去られ、車に押し込まれているところを友人が目撃しています。この時は数十分ほどで開放されています。しかも孤児院の門の前で。」 「一体何が目的だったんだろう?」 「当時の千秋の証言から考えるに、恐らく、簡易的なDNA鑑定をしたんだと思います。」 「DNA検査?」 「ええ。それ以来、直接的な接触はありません。しかしその直後、千秋の周りで公用車と思われる、黒い車が度々目撃される様になりました。何をするワケでもなく、ただそこにいるだけ。まるで監視するかの様に。」 「何のために?」 「あくまでも推測ですが…実父と本妻の間に子はいません。もしかしたら、折を見て引き取り、後継者にと考えているのかもしれません。父親本人は考えてなくても、千秋の存在を知っている僅かな取り巻き達が。」 「そんな勝手な…」 「祖父の一件もあり、千秋は次こそ連れ去られる、暴力を振るわれる、そんな風に考えるようになりました。そこへ来て、本妻の秘書という女性が孤児院を訪ねて来たり、祖父が不穏な動きをしていると連絡が入ったり…そんな日々が続き、千秋はすっかり怯え、生活に支障が出るようになってしまったんです。」 「支障?」 「過呼吸を始め、断片的に記憶がなくなったり、毎晩の様に悪夢に魘されたり…とうとう外出も出来なくなって、部屋の隅でずっと震えている日々が続くようになりました。そこで、孤児院長夫妻は懇意である、先程、千秋が入院した病院の大和田医師の元を訪れ、ご相談申し上げたんです。そして、医師と院長夫妻で協議が重ねられました。千秋の命を守り、安心して過ごせる日常を得るにはどうしたら良いのか。役所や役人は頼れません。それらは全て、父親の手の中にあるからです。結果、千秋をこの生活から逃がすことに決めました。孤児院から姿を消すことに。生命の安全…それと引き換えに千秋は夢を諦めざる負えませんでした。」 「夢?」 「あの頃の千秋は、大学に進学することを希望していました。千秋はとても賢い子でしたから、何か勉強したいことがあったんだと思います。ですが、大学はおろか、高校も中退せねばなりませんでした。見つかっては逃げ、見つかっては逃げ…こんな生活を千秋は17歳の時から続けています。」 「そんな前から?」 「はい。孤児院を卒業した人や大和田医師の人脈を頼りに。正社員ではなくアルバイトで生計しているのもそのせいなんです。正社員よりは逃げ易いですから。」 「道理であんなに荷物が少ないんですね。」 千秋が自宅を引き払って我が家に来た時、あまりの荷物の少なさに驚いたが、背景にはこんな事情があったのか。 「そんな千秋から数か月前、突然連絡がありました。家を引き払ってもらいたいというのです。逃げても後々処理が楽なように、家は私の名義で借りていました。私はまた父親に見つかったのかと考えましたが、そうではなく、引っ越しを知らせるものでした。今、生活を共にしたい人がいる。その人と一緒にいると楽しいと。今の暮らしが今まで生きて来て一番幸せなのだと教えてくれました。私は心配になりました。千秋が騙されているかもしれないと考えたのです。どこかで父親のことを聞いた人がいて、千秋のことを金づるとばかりに利用、誘拐する可能性も考えられます。千秋から聞いた名前を頼りに、その人のことを調べました。私はそこであなたのことを知りました。それ以来、頻繁に千秋から連絡が来るようになりました。本当に嬉しそうに先生との生活を話してくれました。そしていつも最後には、『この生活を大事にしたい。もう逃げる人生はおしまいにしたい』と言います。でも、そんな生活、千秋には無理です。そんなことをしたら、命を危機に晒すようなものです。そこで先生にお願いがあります。大変恐縮ですが、もしその時が来たら、千秋の手をキッパリと離して頂けませんか?彼が泣きついても冷たくあしらって頂きたいのです。何の未練も残らないように…」 「いや、それはしかし…」 「お願いします。それがあの子のためなんです。」 高山さんは深々と頭を下げた。

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