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山室千秋 #4 side T
病室を訪ねると、千秋はずっと俯いたままベッドに座っていた。
「どうだ?調子は?」
何を聞いても千秋は黙ったままで、こちらを見ようともしない。
「退院は11時の予定だったね。手続きもあるから、明日は10時には来る。」
「達彦…さん…」
痛々しいほどの泣き腫らした力ない目で私を見つめ、更に力ない声で私を呼ぶ。
「何だね?」
「僕…家には…帰りません…」
「何故?」
「だって…聞いたでしょう?僕のこと…めぐ姉から…」
「ああ。」
「だったら…このまま…いなくなった方が良いんです…一緒にいちゃうと…もっと一緒にいたくなって…今よりもっと…離れられなくなっちゃうから…どうせ…見つかっちゃう…んだし…だから…」
千秋の瞳からはまた涙が溢れ出し、最後はもう言葉にもなっていない。私はハンカチで千秋の涙を拭ってやる。
「なぁ、千秋君?平田君が快気祝いを渡したいそうだ。何か欲しいものがあったら聞いておいてくれと言われたよ。」
「……」
「それと、君が入院したのは私の残念な人間性のせいなんだそうだ。だから、わがままも大概にしろと。」
「直接…言われたんですか?」
「ああ。」
「相変わらず厳しいですね。平田さんは…」
多少引きつってはいるものの、千秋はやっと笑顔を見せた。
「いやいや、まだまだだぞ!君がいなくなった後の私には、冬の時代や暗黒時代しかないそうだ。だから、逃げられないように精進しろと…」
「オーバーです…」
「いやいや、そんなことはないぞ!冬の時代なんて、平田君にしては珍しく甘い見解だ。私に言わせれば、君を失うなんて氷河期がやって来るようなものだ。」
「達彦さん…」
「千秋君、退院したらバイトを少し抑えなさい。それから深夜に働くのは辞めて、早朝からもなるべく控える。極力、私の帰りと君の帰りが重なる様な時間帯だけ働くんだ。それから、一人だけで帰宅するのはダメ。私が迎えに行くまで、店か隣のコーヒーショップで待っていなさい。」
「なっ…」
「そうすると自然と時間が出来る。出来た時間を勉強に当てなさい。」
「勉強?」
「そう。大学へ行って学びたいものがあったんだろう?」
「そっ、それは…」
「大検を取得して、一生懸命勉強して私の家から大学へ通いなさい。したかった勉強をするんだ。もちろん、学費の心配はいらない。」
「めぐ姉の話…聞いて…いたんですか?僕は…」
「もう逃げる人生は終わりにして、私とあの家でずっと暮らすんだ。」
「そっ…そんなの無理です…そんな夢みたいな話…」
「何故?やってみなきゃわからんだろう?君は今までやりたかったことを今日から始めるんだ。思いつくまま全部。今までの人生、自分勝手な大人達のためにめちゃくちゃにされてきたんだ。君にはその権利がある。それに、命の危機と言うが、このまま逃げ続けるのも得策ではないだろう?現に君は心身ともにこんなに衰弱しているじゃないか。だったら、もう逃げるのは辞めて、立ち向かった方が良い。お父上は立派な方だ。そうやすやすと手を下すことはしないだろうし、祖父君はもうご高齢のはず。君と対峙出来るとは思えない。何よりも君が成長している。選択肢が当時よりも格段に増えているのだよ。だから、もう逃げることは辞めよう。あの家で健全な生活と学びの喜び、私と共に笑顔で歩く君をすぐそばで見せておくれ。」
「達彦…さん…僕…うっ…僕…うっ…」
涙と一緒に思いが溢れ出し、千秋はやっぱり何も言葉に出来ない。そんな彼にキスを落とした。そして、誓いを立てるかの如く言う。
「N'aie pas peur, Chiaki. Sur moi.」
(案ずるな、千秋。私について来い。)
千秋は驚いたようにパチパチと瞬きを数回繰り返した。しかしその直後、私に満面の笑顔を見せ、こう返した。
「Tatsuhiko, je te veux maintenant.」
(達彦、今すぐあなたが欲しい。)
久々の彼らしい笑顔に触れ、私も笑顔を返し、そして思う。
千秋、やはり君は全てが素晴らしい!
君の顔を曇らせるものは、いかなる物も許さない…と。
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お知らせ
私の拙作をお読み下さりありがとうございます。
このお話を書くことを決めてから、一生懸命勉強していますが、残念ながら、私のフランス語の知識は単語、及び簡単な文節が理解出来る程度で、完璧なものではありません。言い回しに間違いがあったらすみません。その際、ご教授頂けると助かります。
ゆずる
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