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L'univers #1 side C

退院後の達彦さんの行動は驚くほど迅速だった。安全に暮らせるよう、ホームセキュリティを設置し、仕事の日の帰りは必ず迎えに来てくれた。そして、僕が床に伏せる際は、不安を感じさせない様に書斎ではなく、決まって寝室で仕事をした。僕の症状は次第に落ち着きを見せたが、それでも体調が芳しくない時もあり、床に伏せることがしばしばあった。退院して10日あまり、今朝も立ちくらみを起こし、達彦さんに寝室まで運んでもらい、今に至る。 「ごめんなさい…」 「何がだ?」 「そこ…狭いでしょう?」 寝室で仕事をする際は、折りたたみ式の小さい机と椅子を出し、そこで行なった。いかにも狭そうに体を丸めて万年筆を走らせる達彦さんを気の毒にも、ちょっと愛おしくも感じた。 「お仕事…書斎でしてください。ただの立ちくらみですから、暫く横になっていれば大丈夫ですので。」 「気にすることはない。離れたくないのだよ。私がね。」 達彦さんは頬を少し歪めて笑う。僕の大好きなあの顔で。 「そうだ、千秋君、一度聞いてみたかったのだか…君は何故フランス語が?」 「えっ?」 「ほら…その…何だ。病室で…フランス語で…返したから…」 「ああ。以前、住んでいた場所の隣にフランス人の留学生がいたんです。とても気が合って、日本語を教える代わりに習いました。彼が引っ越しをするまで続きましたから…一年ぐらいでしょうか。習ったのは。」 「なるほど。」 「達彦さんは?どうして?どうして…あの時…フランス語で?」 「そっ、それは……」 「それは?」 「それは……秘密だ。絶対に言えん!」 達彦さんはもうすでに赤面していて、ぶっきらぼうに言葉を返した。これは照れている証拠。 本当は知っている。 あれは達彦さんの本心。だけど、あまりにも気障なセリフだったから、急に恥ずかしくなったんでしょう?恥ずかしいからフランス語。フランス語だったら、僕が何を言っているのか分からないと思ったんだ。 「そんなことより…千秋君。」 達彦さんは僕の心音を聞くかのごとく、僕の胸に自身の頭を乗せた。 「早く元気になっておくれ。君が元気ないと私は寂しい。まるで太陽を失ったようだ。」 達彦さんはぽつりと呟く。僕の同僚から偏屈王と呼ばれるこの人は、意外にも人たらしだ。人の心を鷲掴みにすること、ときめかせることを平気な顔してさらりと言う。本人が無自覚なところが、また質が悪い。整った顔立ちなのに、難しい性格が災いして女性を寄せ付けずに済んでいるが、そうでなければと考えると身震いするほど恐ろしい。 「ただの立ちくらみですから、大丈夫です。」 「立ちくらみは万病の元だ!」 「それは普通、風邪のことを言います。」 「ゔっ〜」 「冗談です。ねぇ、達彦さん。今晩、餃子にでもしましょうか?」 「ダメだ。寝てなくては。」 「大丈夫。お言葉に甘えて、この後、薬を飲んで少し眠ります。目が覚めたらきっと元気になります。」 「いや、しかし…」 「じゃあ、包むの手伝ってくれます?本当のことを言うと、晩ごはん一緒に作りたいなって思ったんです。餃子なら並んでお話しながら作れるでしょう?」 達彦さんは突然、ガバッと起き出し、僕を見つめて言う。 「なんてことだ!千秋君!」 「はい?」 「これは世紀の大発見だ!」 「何がです?」 「世界一、いや、宇宙一かわいい生き物が私の目の前にいる!これはどうしたものか!」 達彦さんは僕にキスを落とす。キスと同時に指を絡められた右手から、達彦さんの熱が伝わった。一瞬呆気に取られたが、僕は思わず吹き出した。 「あははは…達彦さん。あははは…やっぱりあなたは面白い人ですね。あははは…」 「解るかね?千秋君!私は今、理性と闘っているのだよ。このままではマズい。そうだ!餃子のことを考えよう!彼女を作る作業は非常にセンスを問われる。餡が余っても皮が余っても許されない。しかもだ!形の美しさも考慮しなければならない。何と難儀な!いや、そんなことより、君の薬だな。今、水を持ってくる。待っていてくれたまえ。」 達彦さんはぶつぶつ呟きながら寝室を出て行った。僕はいよいよ我慢できなくなって、お腹を抱えて笑う。   達彦さんの中で餃子は女性なんだ。 よく物を『彼』や『彼女』って人を指す三人称で例えるけれど、その男女の差って何なんだろう?帰って来たら聞いてみようかな。 『N'aie pas peur, Chiaki. Sur moi.』 恐れるな、千秋。私についてこい。 病室で言った達彦さんの言葉が頭の中でこだました。 うん、その通り。この人について行けば大丈夫。 この人のそばなら、僕はずっと笑顔でいられる。 宇宙一かわいい生き物…それは僕ではなく、あなたのことですよ。達彦さん。

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