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ため息 #2 side C

それは素晴らしいピアノリサイタルだった。 珠玉の音色と、そして、隣にはそれを堪能する愛しい人の美しい横顔。それは、いつもながら惚れ惚れするほど。僕はとても幸せだった。しかし、この後、カオスな出来事が待ち受けているなんて、僕は想像もしていなかったんだ。 中田氏の秘書に促されて楽屋に入ると、先程まで素敵な音色を奏でていた中田氏と高齢の女性がソファーで寛いでいた。達彦さんは入室の際、自身の背中で隠すように僕を導いた。口を開いたのは、中田氏からだった。 「母さん!来たぞ!顔だけが取り柄の男が。」 「ふん!」 「新平!何てこと言うの!まぁ、達彦ちゃん!来てくれたのね!お忙しいのにありがとう。」 「おば様、ご機嫌麗しゅう。母の葬儀の際はご尽力頂き、ありがとうございました。」 「いいえ、わたくしは何も。突然過ぎたわ…千春さん。わたくし、もっともっとお話したかったわ。」 「母もそうだったと思います。おば様にお会いした日は随分と饒舌でしたから。」 「本当に残念。ところで、達彦ちゃん、後ろにいらっしゃる方は?」 「ご紹介します。」 達彦さんは一歩左にずれて僕の腰に手を回した。 「彼は山室千秋君。今、生活を共にしています。」 頭を下げると、ガバッとソファーの方から大きな音が上がった。驚いて頭を上げると、中田氏が僕を凝視しながら、ツカツカと音を立ててこちらに歩いて来る。僕の腰にある達彦さんの手に力が入る。中田氏は僕の目の前に立つと上から下まで何かを確認する様に何往復も視線を走らせた。それから、達彦さんに向かって言う。 「お前、たった一つの取り柄である顔すらも女性に通用しなくなったのか?とうとう男に走ったか。とんだお笑い草だな。」 「失敬な!千秋君は素晴らしい人だ!美しく優しい人だ!何より一番最初に彼を見初めたのは母だ。」 「千春おば様が?」 今度は視線を僕に向けたまま、中田氏は僕達の周りを歩き始める。そんな彼を放ったまま、今度は中田氏のお母様が僕の前に立った。 「まぁ!こんな可愛らしい方がいらっしゃったのね。初めまして、中田新平の母の洋子です。」 「はじめまして。山室です。本日はお招き頂き、ありがとうございました。」 「いいえ。まだまだ未熟なピアニストで…それでも楽しんで頂けたかしら?」 「とても素晴らしい演奏でした。お母さん…いいえ、千春さんにもそう報告させて頂こうかと考えていたところです。」 「そう言って頂けて嬉しいわ。わたくし、本当はこの子よりも達彦ちゃんに続けて欲しかったのよ。ピアノ。」 「えっ?達彦さん、ピアノが弾けるんですか?」 「幼少の頃に少し習っていただけだよ。こちらにいらっしゃるおば様にね。おば様はピアノ講師なのだよ。」 「達彦ちゃんはとても才能があったのに、突然辞めてしまったの。わたくし、あの時、残念で残念で仕方なかったのよ。」 「初めまして聞きました。あのリビングのグランドピアノはお母さんのじゃなくて、達彦さんのものだったのですね。達彦さん、今度、何か弾いて頂けませんか?」 「いや、今では気分転換にたまに弾く程度。君に聴かせる代物ではないよ。」 「それでも結構ですから…是非お願いします。」 「うーん…君のたっての願いだ。それでは今夜、夕食後にでも君の好きな曲を弾こう。但し、私の実力も考えておくれよ。」 「はい。ありがとうございます。嬉しいです。」 「あら?良かったら今晩、ご一緒にいかが?お食事。せっかく久しぶりに会ったのだし…」 「ありがとうございます、おば様。せっかくのお誘いですが、私はすっかり千秋君に胃袋掴まれてましてね。外食はほとんどしなくなりました。絶品なんですよ!彼の料理は。それに、今朝方、何やら一生懸命下ごしらえしている姿も見てますしね。」 「たっ、達彦さん、辞めて下さい。恥ずかしいです。僕の料理なんて、ただの自炊の延長なのに…」 「素敵ね。新平にも早くそういう方が見つかると良いのだけど。残念だけど、食事はまたの機会にするわ。」 洋子さんは表情に影を落とした。僕は彼女をガッカリさせたくなかった。 「あの…うちで良かったら…夕食、ご一緒にいかがですか?お口に合うか分かりまんが…」 「いや、しかし…」 達彦さんはチラリと中田氏に視線を送った。 「久々の再会なのでしょう?それに僕、もう少し洋子さんとお話がしたいです。達彦さんの小さい時のお話も伺いたいです。」 「ならば、君の好きにすると良い。」 「ありがとうございます。是非、いらしてください。お食事は大変粗末なものですが、達彦さんが淹れてくれるお茶は、専門店をも凌駕する美味しさです。」 「まぁ!ご相伴に預かってもよろしいの?」 「ええ。それから…新平さん?」 僕が中田氏の名前を呼ぶと、中田氏は動きを止め、僕を見つめた。 「そんなにクルクル回ると目が回っちゃいますよ。」 新平さんは驚きの表情を僕に向け、そしてその後、何故かプイっと顔を背けた。

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