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ため息 #3 side C
食事の席は和やかに進み、あとは達彦さんのお茶を待つばかり。洋子さんは終始楽しそうで、かなり饒舌だった。それに対し、新平さんは達彦さんがそばにいる時は口数が多いものの、いなくなるとほとんど何も語らない。時折、僕をチラリと見るだけ。よくよく観察してみれば、新平さんの達彦さんに対する態度はあからさまで、達彦さんにかまって欲しくて悪態をつく。まるで子供のよう。この人もまた達彦さん同様、子供のまますぅっと大きくなってしまったのだと考えると、何だか可愛らしく見える。
「新平さん?」
「何だ?」
「よろしかったら、お好きな味や好物など教えて頂けませんか?」
「何故?」
「今日の食事…お口に合わなかったみたいですね。ごめんなさい。次にいらっしゃる時には、お好きな物をお出し出来るようにしておこうかなって思ったものですから。」
「いや、そんなことはない。なかなかの美味だったが…」
「本当ですか?」
「ああ。」
「ごめんなさいね。千秋さん。この子は美味しいと黙ってしまうの。お気を悪くさせてしまってごめんなさい。」
「いいえ。でも、良かった。ずっと心配してたんです。僕の料理なんてお二人からすれば素朴で質素なものばかりですから…」
「そんなことないわ!全てのお料理、とても美味しく頂いたわ!後でレシピを聞こうと思ってたのよ。教えてくださる?」
「ええ、もちろん。でも…新平さんもなんですね。」
「何が?」
「美味しい時ほど黙るところです。達彦さんもそうなんですよ。ここに出入りする様になった当初、キッチンをお借りする代わりに、お食事をお出ししていたのですけれど、達彦さん…何にも言ってくれないので、僕、毎回心臓バクバクでした。」
「そうだったの?あれって本当に要らぬ苦労よね?でも、どうして分かったの?達彦ちゃんがそうだって。」
「それが面が白いんですよ。一度、ご自身が購入されたプリンがお気に召さないことがあって…普段は無口なのに、その時に限ってプリンに向かってクレームというか、説教を始めたんです。その時、悟りました。」
「まぁ!新平もよ!」
「洋子さん、新平さん、是非またいらしてください。僕…今はほとんど外出出来ないので、こうしてお二人に来て頂けると、家が賑やかになって、とても楽しいです。」
「何故だ?何故、外出が出来ないんだ?」
「新平!失礼ですよ。」
「失礼しました。気になりますよね、こんな言い方されたら。ごめんなさい。僕、持病の様なものがあって、そのせいで先月入院したんです。症状も軽くて、今はすっかり元気なんですけど、外出だけは必要最低限にするようにってドクターから言われているんです。なので、仕事も今はセーブしていて…」
「そうだったの。なのに二人して押し掛けてしまって…」
「いいえ。僕がお誘いしたのですから、どうぞ、お気になさらないでください。新平さんの奏でる素敵なピアノを聴いて、皆でお酒や会話を嗜みながら、食事を興じる。何て素晴らしい夜なんだろうって、心から思ってます。達彦さんのおそばに置いて頂けるだけでもありがたいのに…僕の方こそ今日はお招き頂き、ありがとうございました。」
僕の言葉に洋子さんは笑顔を見せ、新平さんは特に表情を変えなかった。
「千秋くーん!悪いが手伝ってくれないか?」
キッチンから達彦さんの声がした。立ち上がり、キッチンへ向かおうした時、何かにそれを阻まれた。振り返って見てみれば、新平さんが僕の腕を掴んでいた。
「?…新平さん?」
「山室君…いや、千秋君!」
「はい。」
「私のそばではどうだ?」
「えっ?」
そのまま腕を引っ張られ、僕は新平さんの胸に収まった。そして、強く抱きしめられた。
「…新平さん?」
「好きだ!千秋君!達彦なんか辞めて、私ところに来ないか?私なら君を家に一人になんかさせない!僕と一緒に日本を出ないか?世界公演についてこないか?一緒に世界を周ろうじゃないか!」
嫌な予感がした。
何とかして振り返ると、達彦さんが呆然とこの様子を見ていた。
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