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初詣 #1 side T

額に濡れタオルを乗せてやると、ソファーに横たわる千秋はふるっと瞼を揺らした。そして、徐々に瞳を開いていく。 「すみません…」 「いや、大したことはない。それより…大丈夫か?無理することはなかったんだぞ。」 「すみません…でも…どうしても…行ってみたかったんです…初詣。僕…」 千秋は力なく笑って、たどたどしく言葉を紡いだ。それを聞いた私は…言葉を失った。 新年を迎えて間もなく、千秋がテレビを観ながら呟くように言った。 「達彦さん…初詣…行きませんか?二人で…」 「初詣?これからか?」 「ええ…ダメ…ですか?」 「いや、ダメではないのだが…」 ちらりと観たテレビにはニュース番組が流れていて、初詣の様子を伝えていた。初詣に連れて行くことぐらい造作もない。だが、人混みの中だ。千秋の発作が出ないとも限らない。発作が起きれば苦しむのは千秋で、また、連れて行かなくて悲しむのも千秋だ。私はどうしたら良いのか考えてあぐねていた。人の顔色を伺う生活が長い千秋は、瞬時に私が困っていることを察知し、そして気遣う。 「柄にもないことを口にしてしまいました。すみません。」 千秋はぺこりと頭を下げた。こんな時、私は千秋をとても気の毒に思う。元々、控え目な性格なのかもしれないが、千秋は何かにこだわったり、執着を見せたりすることがほとんどない。私のゼミの学生達と比べると、おとなしいというか、どこか影が薄い印象を与える。千秋ほどの容姿の持ち主ならそんなことはあり得ない。周りがそれを許さないだろう。本能的に目立たないようにしているのであれば、それはやはり、千秋の壮絶な生い立ちや過去が影響しているのだろう。このニュース映像の何かが千秋の心の琴線に触れ、私を初詣に誘った。これは滅多にないことで、尊重してやるべきではないのだろうか?私は何より、千秋を幸せにしてやらねばならない。 「よし!分かった!行こうじゃいか!その代わり、こんな大きな神社ではなく、近所の小さい神社だ。それから、体調が悪くなったら、すぐに帰るよ。いいね?」 「はい。ありがとうございます。」 いつもどことなく青白い千秋の頬が、ほんのり桜色に染まった。私はその瞬間を見逃さなかった。

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