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初詣 #2 side T

神社からの自宅に戻り、ソファーで横たわる千秋は、何とも頼りない小さな声で何度も謝る。 「達彦さん…すみません…」 「いいや、気にすることはない。どうだね?気分は?」 「ええ。先程よりはだいぶ…」 「そうか。」 普段は閑散とした小さな神社。それでも、正月となればやはり勝手が違う。出店も人通りも普段からは考えられない程多い。鳥居をくぐった辺りで、案の定、千秋の足取りはおぼつかなくなった。 『もう帰ろう。千秋君。』 私は何度となくこの言葉を口にした。その度に千秋は首を横に振る。手水舎で禊を済ませ、何とかお参りを済ませると、千秋はとうとう立っていられなくなり、その場でしゃがみこんだ。 『千秋!』 次々とやって来る人波のせいで、千秋を抱きかかえる有余もない。この危機的状況に、神社の職員らしき若い男性が気が付き、私と共に千秋を抱え、社務所へと案内してくれた。30分程世話になった後、私達は礼を述べ、社務所を辞した。 行ってみたかったという初詣。千秋はなぜそこまで初詣にこだわったのだろうか? 「それにしても…たかだか初詣。何故こんな無理をするんだね?」 私の問いに千秋は何も答えない。千秋がこういう頑なな態度をとる時は、大体昔のこと、出生や幼少期のことが関係していた。だから、私もこれ以上は追求しない。 「茶を淹れようか?」 「えっ?」 「君のためだけに君のことを想って淹れよう。そして、それを飲んだら君はもう眠りなさい。でないと明日一日中ベットにいなくてはならなくなるよ。せっかくの正月休みなのに、やりたいことも出来なくなるぞ。」 千秋しばらく無言のままだった。沈黙を破ると言うには程遠い、あまりにも小さい声をやっと発した。 「思い出の書き換え…かな…」 「思い出の書き換え?」 「思い出全部…達彦さんとのものに替えたいんです…そんなのは無理なんでしょうけど…」 千秋は自嘲する様に笑った後、続けて言う。 「………昔…祖父と祖母と三人で一度だけ初詣に行ったことがあるんです…その頃の祖父はまだ優しくて…山室の家に行って…唯一の楽しかった思い出なんです。それから程なくして、祖母の体調が悪くなり始めました…その頃です…祖父の暴力が始まったのは。祖母の体調はまさに坂を転げ落ちる様に悪くなって…あっけなく亡くなりました。祖母が亡くなってからというもの、祖父の暴力は更にエスカレートしていって…それからの僕は…あの初詣の時の様な日々がまた来ますようにと神様にお願いしました…でも…そんな日は来ませんでした…何度も何度もお願いしたのだけれど…」 「分かった。もう話さなくて良い。」 「ううん。もう少しだけ……それからずっと絶望の中にいました。世界に神様はいても、僕にはいない…そう考える様になりました。諦めだけが僕の救いになって…心を無くすこと、それが平穏でいられる手段でした。でも、神様はいました。だって、達彦さんに会わせてくれたから。達彦さんは僕に色々なことを教えてくれました。幸せ、喜び、嫉妬、時には怒りなんかも。最近の僕は、こうして体調を崩すことが多いけれど、ドクター曰く、それは僕が自分を取り戻そうとしているからだそうで…でも…達彦さんには迷惑な話ですね。本当にごめんなさい。」 「いや。謝ることではないさ。」 「しかし…バチが当たりましたね。喪中なのに…初詣なんて。きっと千春さんが怒ったのかも。そんなに焦らなくても初詣は、これから二人で毎年いくらでも行けるでしょうって…」 千秋はとても乾いた笑いを一つし、そして小さな嘘をついた。きっと、本人も意図していない嘘。毎年二人で初詣に行けるなんて、千秋は考えていない。なぜなら、千秋は自分の未来を考えることが出来ないから。いや、もしかしたら苦痛なのかもしれない。千秋は過去に生きている。壮絶な過去がどうしても彼を引き摺り戻す。口では未来を語ることはあっても、彼のスクリーンには何も写ってはいない。まっさらなフイルムだけが回り続けているのだ。それに気が付いたのは最近のことだった。 「なぁ、千秋君?」 「はい…」 「正月ムードが落ち着いたら、あの神社もう一度行こうか?」 「えっ?」 「君が言うところの思い出の書き換えをするのなら、もう少し初詣を堪能しようじゃないか。みくじも引いてもいないし、甘酒だって口にしていないだろう?それに何より、社務所にも礼をしにいかねばならん。そうだ!明日、君の体調が芳しかったら、ノートを買いに出掛けよう。そこに君が私としたいことを書き綴ると良い。それが出来たらチェックをする。そうすれば、思い出の書き換えが視覚化出来るだろう?」 千秋は黙ったまま、何の返事もしない。 「なぁに、難しくはない。その日、その時、思いついたものを書くだけさ。まず、最初に書くのは『初詣』だな。」 やはり千秋は何の返事もしない。だが、先程と違うのは、頬がほんのり色づいていることだった。恐らく、最初に書けるのは、多くて3つほどだろう。もしかしたら『初詣』以外書けないかもしれない。だが、それで良い。彼がそのノートを見て、少し先の自分に期待をしてくれるのであれば。

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