本格的な春の訪れと共に、ようやく雪解けの季節がやってきた。 上流から溶け出た雪の名残が、山を下りながら河へと向かっていく。 急激に増した河の水かさが、 予想以上の勢いを保って皆黒の屋敷を襲ったのは、そんな頃だった。 川岸に溢れた水が、屋敷の庭を浸水し、 瞬く間に皆黒とソルのいる屋敷を押しつぶそうと襲い掛かってくる。 玄関のドアから入り込んできた河の水に、ソルが怯えた。 「皆黒(かいこく)！　床が濡れてる！　このままだと家が流される！」 「こらソル、あまり窓に張り付くな。お前、家を燃やす気か？」 「皆黒、あんた魔法使いだろう。魔法を使えよ、家を守れ！　死んでしまうぞ！」 「…願ったり叶ったりだ」 その言葉に、ソルは驚愕した。 （――『長居するつもりはない』って、まさか、こういう事だったのか…！） 「オレはあんたの自殺願望に付き合わされるなんて、まっぴらだぞ！」 ソルは、震える声で叫んだ。 空がどんよりと曇り、 河の水量はさらに増えて、ゴウゴウと呻きながら飛沫を巻き上げている。 「死ぬなら1人で死んでくれ！　オレはごめんだ！」 言うが早いか、慌ててドアから飛び出そうとした。 しかし、 外は風が強く、瞬く間にソルの炎が小さくすぼんでいく。 「…っ、くそ！」 仕方なく諦め、すごすごと部屋に戻ってきたその時。 庭の向こうで、なにかが倒れるような轟音が響き、ぞっとした。 「皆黒！　あれを見ろ！　森の木が倒れて馬小屋に突っ込んでいく！　陽王(ひおう)が、…あんたの馬が、水流に飲まれていくぞ！」 「――うるさい、黙れ」 「皆黒！」 ソルの言葉に耳を貸さず、何事もなかったかのように本を読んでいた彼は、 ソルのわめき声に顔をしかめて、面倒くさそうに表紙を閉じた。 「あのな、ソル。お前と違って、人間は自分で死期を選べるのだよ。どこでどうやって死ぬかは、オレの自由だ。…オレは、この場所で、この河に飲まれて息絶えたいと願ったのだ。それの何が悪い？　…それに、」 と、皆黒は息をついた。 「それに、お前は《死ぬ》わけじゃない。たとえ小さくても火種のあるところなら、いつでも生まれ出でることができる。お前の長すぎる寿命を考えたら、ほんの一時、河や風に消されたところで、なんの支障がある」 ソルはむっとして唇を尖らせた。 「なんてヤツだ！　お前なんか死んでも絶対に弔ってやらないぞ！」 「はは。望むところだ」 くすくすと笑いながら、窓辺に向かった皆黒は、ゆっくりと呪文を唱えた。 「沈溺した鳥獣の生命は風に、倒れた木々は水に、いざ給え、招かれよ」 ――すると、風はいっそう強くなり、 肥大した河は、高い壁のような波を築いて、皆黒たちのいる屋敷を大きく揺るがした。 そして、 瞬く間に、 辺り一面のすべてを、たやすく飲み込んでいったのだった…