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第6話

 月曜、俺はどんよりとした空気を引きずりながら出社した。 「おはようござ…うわっ!どうしたんですか?すごい顔色ですけど!」  例によって俺より先にいた宝島が、俺の顔を見るなりぎょっとした。普段なら失礼だと怒るところだが、今日は仕方ないと納得していた。自分でも今朝、鏡を見てひどいと思った。  目の下にクマができ、血の気が足りないのか青白い。女性であれば化粧の一つでもしてカバーしようもあるが、俺は男なので丸晒しだ。 「ちょっと、寝不足…」 「いやいや寝不足ってレベルじゃないですよそれ!土日何やってたんですか?」  俺のことを心配してくれているのは重々分かっているのだが、それは聞かないで欲しかった。 「いや、別に…ごろごろしてただけ…」  本当にそうなのだ。週末、俺はずっと引き籠っていた。頭を悩ませながら。  本宮さんを憧れなどではなく性対象として好きだということをどうも自覚したくなくて、目をそらすために違うことを考えて、でもやっぱり本宮さんのことに考えが及んで身悶えて、その繰り返しで二日間はあっという間に過ぎ去ってしまった。睡眠も食事もろくに取れていなかった。そのおかげで気持ちは固まった。俺は本宮さんのことが好きだ、性的に。これが世に言う、恋煩いというやつなのか…  今朝も、本宮さんと顔を合わせることを思うと罪悪感と期待といろいろなものがないまぜになって、ちょっと胃が痛んだほどだ。 「ごろごろって…」  宝島は呆然として呟いたが、俺の話したくないオーラを感じ取ったのか、それ以上突っ込んでくることはなかった。  次に来た山科さんと浅見さんは、俺の顔を見るなり大爆笑で、俺も引き攣った笑いを浮かべて俯いた。 「すごい顔だなぁ。写メ撮っていい?ねぇ、いい?」 「勘弁して下さい…」 「なんだ、ケチだな。で、どうしてそうなっちゃった?…あ、今日は本宮がいないから?寂しくて落ち込んじゃった?」  けらけら笑う浅見さんの言葉に、俺は、えっと顔を上げた。 「本宮さん今日お休みなんですか?」 「午前半休。あいつ有休の消化全くしてないからちょこちょこ休ませないといけないんだよ。今日は午後からはくるよ」 「そう、なんですか…」  寂寥感が胸を占めるが、少なくとも午前中は顔を合わせなくて済むと思うと安堵もあった。  不安定に気持ちを左右されつつ、ふと、俺は浅見さんの言葉に違和感を覚えた。最初、何と言った?『寂しくておちこんじゃった?』って言わなかったか? 「……っちょっと待って下さいよ!なんですか、その寂しくて…って!」  確かに寂しさを感じたのは否めないが、なぜ浅見さんがそんなことを言うのだ。スルーしてたまるかと掘り返して突っ込みを入れると、浅見さんは何を言うのやらと言わんばかりの顔で言ってのけた。 「だってハルちゃん、本宮のこと大好きだろ?」 「……!?」  俺は言葉を失った。眠たさも一気に吹き飛んで、大きく目を瞠った。 「……だ、大好きって…何を…」  ようやく口にした言葉は掠れてしまっていた。 「あれだけ好き好きって態度で示してるじゃない」  浅見さんの言葉に、宝島がですよねぇ、と声を上げた。 「ハルさん、あからさまですもん」  そんなに俺の態度は解りやすかったのか!?俺、浅見さんたちからホモって思われてる!?でも、だって、俺だって本宮さんのこと好きだと自覚したのはつい一昨日だというのに。いや、でも、その前から尊敬とかそういった意味で好きだと思ってはいたけど、あれ、いや、この場合の好きはどっちで…!? 逆に堂々とした方が、あ、でも、でも…  しかし、口をパクパクと動かすしかできない俺なんてお構いなしに、すでに会話は打ち切られていた。  浅見さんも宝島も、すでにモニターに向かい仕事を始めている。 「~~~っ」  いまさら何も言えなくて、俺もデスクについて仕事に没頭した。  そして昼休み。俺は宝島に誘われ、二人で社員食堂へ行った。空いている席に横並びに座る。 「ここって裏メニューってないんですか?」 「さぁ…特にないと思うけど」 「そうなんすか。俺の通ってた大学の学食はですね、裏メニューでクリーム麺っていうのがあって…」  隣で宝島は楽しそうに話をしているが、俺は今の会話の内容よりも今朝のことが気になってしょうがなかった。  いまだに今朝のあの言葉の意味を、俺は掴み損ねている。宝島たちは俺のことをホモだと思っているのだろうか。変わらず接しているということは、違うのか。 「…で、吐きそうになっちゃって――って、ハルさん、聞いてます?」  宝島が顔を覗き込んできて、俺ははっとして顔を上げた。 「あっ、ああ…うん、クリームパンがおいしくて食べまくった?」  もちろん聞いてなかった。適当に耳に入っていた単語を並べてみたが、やはり間違っていたらしい。宝島は渋い顔になった。 「ハルさん、聞いてませんでしたね?」 「………ごめん」  俺は素直に謝った。すると宝島は、いえ、と首を振った。 「どうでもいい話だからいいですよ。もうすぐ本宮さん来ますから、元気出して下さいね」  まただ。宝島の言葉に、俺はぴたりと動きを止めた。俺イコール本宮さん大好きの図式は揺るがないのだろう。  俺は心の中で一つ頷くと、思いきって聞いてみた。今を逃すともうチャンスはないだろう。しかし動揺のしすぎでか、言葉がうまく紡げない。 「いや、だからそれ…それは違うというか、どういったその…」  もごもごと口ごもる俺に、宝島はきょとんとした顔をした後、笑顔になって俺の肩をぽんぽんと叩いた。 「そんな恥ずかしがらなくてもいいじゃないですかぁ。俺も本宮さん大好きですよ」  ――え? 「なっ、何だとぉっ!?」  俺は思わず立ち上がってしまった。まさに衝撃の真実だ。俺は置いといて、斉藤に、宝島まで本宮さんを…!  俺の形相に目を丸くした宝島は、慌てた様子で立ち上がり、俺を座らせようと肩を押さえて来る。 「も、もちろんハルさんも好きですよ」  安心して下さい、と笑う。  いや、なんでそこでもちろんとなるのだ。そう突っ込むところではあるが、その言葉を聞いて俺は力が抜けた。大人しく椅子に座って、ほっと息を吐いた。 「なんだ…よかった…」  つまり宝島の言う『好き』は、なんの下心も疚しさもなく好きだということだ。俺に対してホモ疑惑を持っているわけではないのだ。俺は心から安堵していた。 「何が良かったんですか?」  宝島の不思議そうな顔に、やっと人心地ついた俺は笑いが零れた。 「いや、俺も輝くん好きだよ」 「あ、やったぁ。じゃあ俺たち両思いですね」 「ははは、そうだなぁ」 「なんかハルさん元気になりましたね」 「ああうん、元気元気」  笑い混じりに軽口をたたきながら、俺達は食事を終えた。  今回は大丈夫だったようだが、どうも俺は態度に出やすいようだ。今までそんなことはなかったはずなのだが、本宮さんの件はイレギュラーすぎて普段の俺など通用しないのだろうか。なんにせよ、この気持ちが感付かれないよう、気を引き締めていかねば。  そう改心した俺が一設のフロアに戻ると、そこには本宮さんが来ていた。 「お、戻ってきた~」  背もたれに体を預け、伸びをしている笑顔の本宮さんがそこにいた。  本宮さんの顔を見ると、朝感じていた気まずさも一気に吹っ飛んだ。やっぱり会えると嬉しさが俄然上回っていく。今日も綺麗だ。 「本宮さん、重役出勤ですねぇ」 「毎日これだったら最高だけどね。輝一人に任せてたら仕事は進まんわな」  宝島が冗談を言って、本宮さんも笑って返す。いつものパターンだ。俺もそこに乗り込んでいきたいところだったが、ぐっと堪えた。先ほど決心したばかりだ。あからさまな態度を改めると。  しかしありがたいことに、本宮さんの方から話しかけてきた。 「ハルちゃん、どした?お疲れ?」  正面切って名前を呼ばれれば、条件反射のように俺は口を開いた。 「そんなことないですよ!元気です!でも今日は本宮さんがいなくて寂…っ」  そこまで言いかけて、俺は慌てて自分の口を押さえた。何を口走っているのだ、俺は。 「え?」 「な、なんでもありません!」  本宮さんの視線を気力で振り切って、俺はモニターを見つめた。仕事に逃げるしかない。  もしかして俺は普段からあんなことをさらりと言っていたっけ?確かにこれだとあからさま過ぎる。話をするときはもっと慎重にならないと。  そして午後の就業中、本宮さんや宝島や浅見さんたちは時折無駄話をしているのに、俺はまったく加わることができなかった。たまに本宮さんが話を振ってくれたが、いろいろごちゃごちゃ考えてしまって上手く話せず、相槌だけで誤魔化した。本宮さんの顔を見るとぼろが出そうだったので、できるだけ目を合わせないように気を付けた。  でも、おかげで仕事は進みまくったし、これで本宮さんのことを好きだという気持ちも隠せて普通にできているだろう。  そして終業間近、無事一日を終えられると思った時、本宮さんが立ちあがって俺の肩をつついた。 「ハルちゃん、今テスター室あいてるみたいだから、テスター室行こう。使い方教える」 「え?あ、はいっ」  つつかれた肩がじんわり熱い。俺はその熱を意識しないようにしながら立ち上がり、本宮さんについていった。  初めて一設に来た時に一度だけきたテスター室に、本宮さんと二人入る。中は狭く大型のコンピュータがごうごうと音を立てながら稼働しているが、他には誰もおらず十分な広さを確保できた。 「主電源がここにあって、これは切ることはまずないんだけど――」  本宮さんの丁寧な説明を聞きながら、時折メモをとる。何の配慮も必要なく、濁りのない声をただ聞いていられるのだから、なかなか至福の時間だった。 「質問ある?」 「今のところ大丈夫です。実際使うときに聞くかもしれませんけど」  そのときちょうど、終業を告げる放送が響いた。  本宮さんが一つ頷き出口の方へ向かったので、部屋に戻るのかとついていこうとしたが、扉の一歩前でくるりと振り返った。俺も驚いて足を止める。 「よし。じゃあ、俺から質問」  微笑みをたたえながら、本宮さんが言った。 「えっ?」  今教わった内容をテストされるのかと思ったが、それは違った。本宮さんはずいと俺に近寄ると、俺の顔を覗きこみながら訊いた。 「ハルちゃん、なんか今日俺のこと避けてない?」  質問の意味と間近に迫った顔に、俺は軽くパニックを起こした。一気に顔に血が上る。  気持ちを悟られないよう気を使っただけなのに、まさかそんな風に取られてしまうとは。 「さっ、避けてなんか…」 「あ、ほら、目逸らすし」  さっと顔を避けた俺に、本宮さんは不満そうな声を漏らす。 「これは、違うんです。避けているんじゃなくて…」 「ええい、違うんならこっち向け」  顔がぐいと引っ張られた。本宮さんが両手で俺の顔を掴み、自分の方へ引き寄せたのだ。  眼前に再び本宮さんの顔。そして、両頬を包むのは本宮さんのちょっとだけぷっくりした掌と長い指。 「ひっ、ひぇぇぇぇっ!」  俺は興奮のあまり、生まれて初めて心底情けない悲鳴を上げた。  それを聞いた本宮さんはむっと眉根を寄せた。 「失礼な」 「ち、違うんです、びっくりしただけでっ。あの、その、とりあえず放して下さい!」 「避けてる理由を言うまで放しません」 「それは、その…避けてなんかいないんですけど…」  本当に避けているわけではないのだ。本宮さんを好きだという気持ちがばれないようにしていただけだ。でも今ここでそう言ってしまえば、本末転倒だ。  口籠ってしまった俺に、本宮さんは何を思ったのか、そっと手を放してくれた。 「解った。これじゃパワハラだな。ごめんな、変に問い詰めて。戻ろっか」  明るい声でそう言って、テスター室の出口を開いた。俺はほっと息を吐いたのだが、そのとき、「ハルちゃんには嫌われてないと思ったのになぁ」と、小さな声だったが確かに聞こえた。 「えっ!?ちょ、待って…っ」  俺は慌てて本宮さんの後を追った。嫌ってなどいない。それだけは誤解してほしくはない。  しかし、廊下に出たとたん、新しい声が割って入ってきた。 「あ、いたいた。本宮さーん!」  宝島だ。 「輝、どうした?」 「いえ、仕事のことじゃないんですけど、斉藤が来てますよ」 「え?ハルちゃんじゃなくて俺に用なの?」 「みたいすよ」 「ふーん。なんだろ」  本宮さんの態度は先ほどの言葉などなかったかのように、まるで普通だ。俺に対して怒っている様子もなければ、気にしている様子もない。  二人はすたすたと歩いて行ってしまう。俺に弁明の余地はなく、とぼとぼと二人の後をついて行くことしかできなかった。  斉藤は入り口近くのパイプ椅子に座り、優雅にコーヒーを飲みながら待っていた。  やはり今日もきやがったか。しかも、もう俺にかこつけてでなく、堂々と本宮さんを名指しで来るとは生意気すぎる。  俺の恨みを込めた視線に気づいた斉藤は、俺の思考を読んだかのようにふっと笑った。 「今日はもう仕事は終わりました。プライベートの時間ですから、来てもいいでしょう?」  終わったんならさっさと帰りやがれ、とは言えず、俺は席につくとしっかりとそちらに意識を集中した。決して盗み聞きではない、本宮さんの安全のためだ。  本宮さんは斉藤の横に座り、おまたせ、と笑った。 「いえ、突然すいません」 「で、用って何?」 「用というか、お願いになるんですが。合コンに出席してもらえませんか?」  合コン!?  俺は立ち上がりそうになるのをぐっと堪えたが、同じく聞き耳を立てていた様子の宝島は迷いなく二人に割って入った。 「え~いいなぁ!合コン」 「若いっていいなぁ。俺もあと五歳若かったらなぁ…」  浅見さんも聞いていたらしく、ぶつぶつと呟いている。 「本宮さんが来てくれるなら、宝島も人数に入れるけど」  斉藤がそう言うと、宝島はあからさまに期待を込めた目を本宮さんに向けた。 「総務課の人にどうしてもと頼まれてしまって。本宮さんを呼んで欲しいって」  だめですか?と頼み込む斉藤は、一体何を考えているのだろう。本宮さんのことを狙っているくせに、何故合コンになど誘うのだ。  肝心の本宮さんの方は、特に惹かれた様子もない。 「合コンねぇ…」  そのまま断わってくれと俺は心の中で念じ続けた。 「本宮さん~!行きましょうよ。俺を助けると思って!」  宝島め、余計なことを言うな!そう思った矢先、本宮さんはあっさり頷いた。 「ん、じゃあ、いいよ。いつ?」 「よかった。今度の金曜の…」  楽しそうに話が進んでいく。俺を除けものにして。 「それでは金曜日、よろしくお願いします」  斉藤がそう言って話が終わった時、俺は我慢の限界にきて立ち上がった。 「斉藤、ちょっとこい!」  斉藤を掴み、部屋を後にした。ずるずるとでかい体を引きずって、人のいないラウンジに連れ込んだ。 「お前、どういうつもりだよ!」 「漆原さんこそどういうつもりですか、いきなり人のこと引っ張ってきて」 「なんで本宮さんを合コンに誘うんだよっ!」 「誘ったら駄目なんですか?」 「駄目、っていうか…」  涼しい顔のままの斉藤に、俺はぐっと言葉を詰まらせた。こいつの意図が解らない。  まさか、合コンに誘って酔いつぶれたところをこいつがお持ち帰りしてしまおうとかいう魂胆か!?  俺は斉藤が本宮さんを抱えて歩く姿を想像して青くなった。本宮さんが酔いつぶれることがないくらい酒が強い事実は、すっかり頭から抜け落ちている。 「俺も行く!」  焦った俺がそう言うと、斉藤はふっとシニカルな笑みを浮かべた。 「言うと思いました。でも駄目ですよ。市凪さんも来るんですから。漆原さんだけは絶対に連れて来るなと言われています」 「な…!」  亜美も参加するというのか。俺はますます心配になってきた。本宮さんが斉藤の毒牙から逃れても、亜美みたいな圧しの強い女に迫られてころっと落ちてしまったらどうしよう。  俺は怒りのままに斉藤のネクタイを掴み、ぶんぶんと揺さぶった。 「お前、何考えてるんだ!本宮さんのこと好きなんだろう!?本宮さんがどっかの女に持ってかれたらどうすんだよ!」 「どっかの女に持っていかれてほしいから合コンに誘ったんですけど」 「はぁ!?」  斉藤は俺の腕を掴むと、引っ張った。悔しいことに奴の力の方が強く、俺の手は斉藤のネクタイから外された。 「勘違いしてそうだなぁと思ってはいましたが…」 「何っ…」  ぐっと強く押され、俺は一歩後退さった。すると背中がとんと壁につく。  身長差は少ししかないのだが、近くに寄られるとその差が明らかになる。斉藤は上から見下ろすようにして、囁いた。 「本宮さんを好きなのは俺じゃない、あなたでしょう?」  俺はただ、瞠目した。 「ばれてないとでも思いました?俺は、あなたと本宮さんを引き離したいんです」  斉藤は驚く俺を嘲笑うように鼻を鳴らし、更に俺の腕を押した。壁におしつけられる形になって、痛みと屈辱に俺は斉藤を睨みつけた。 「ここまで言っても解らないんでしょうね。本当にあなたは鈍くて馬鹿だ」 「なんだと…――ぅっ!?」  かっときて、俺は腕を振り払おうと力を込めた。しかし、それ以上の力で拘束され、怒鳴ろうとした口は柔らかな感触で覆われた。  信じられなかった。斉藤にキスされた。嘘だ。コーヒーの味がする。 「これで解りました?俺はあなたが欲しいんです」  眼前に、満足そうな笑みをたたえた斉藤の顔がある。腕の拘束が緩み、外された。  ――解るわけがない。 「では、合コンの邪魔しないでくださいね」  斉藤はそれだけ言うと、俺を残して去っていった。  暫くののち、やっと頭が働いてきた俺は、すぐ斉藤を殴らなかったことをひどく後悔した。

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