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第7話

 本日の一位は獅子座のあなた!新しい一歩が踏み出せる、スーパーハッピーデイ!  とか今朝のテレビでは言っていたが、そんなの大嘘だ。何がスーパーハッピーデイだ。  獅子座の俺は今日も最悪だ。今日だけじゃない、今週は頭からずっと最悪だ。 「あ~お腹空きましたね!そろそろご飯行きませんか?」 「そだな、社食?」  昼過ぎ、宝島の言葉に、本宮さんが応える。  俺は黙ったまま、少し緊張しつつ成り行きを伺っていた。 「あ、俺ラーメンがいいっス!二風堂行きましょうよぉ」 「んじゃ、行こか」  本宮さんは頷いて立ち上がり、財布と携帯をポケットに入れた。  俺はどきどきとしながら本宮さんの次の行動を待った。しかし、待ったがやはり、ない。  今までならここで『ハルちゃんも行くよね?』とか、肩を叩きながら誘ってくれていたのに。それがないのだ。 「ハルさんも行きましょうよ。ラーメンどですか?」 「あ、うん。行く」  代わりに誘ってくれた宝島に頷いて、俺はそそくさと立ち上がる。本宮さんの方は見れなかった。  どうも、俺は本宮さんから避けられていた。いや、避けられているというのは語弊がある。言い直そう。  あの日から、本宮さんは俺に対して一歩引いていた。  挨拶も他愛ない話もするし、質問すれば変わらず丁寧に教えてくれる。  しかし、会話をすると言っても、本宮さんから話しかけられる回数は確実に減っている。というか、月曜からほとんどない。そして、スキンシップはもはやゼロだ。  俺に話を振らなきゃ不自然になる場面だとか、そういうときは話しかけてくれる。周りが不自然に思わない程度の会話。だから、きっと端から見ると本宮さんの俺に対する態度は変わってはないのだろう。誰も気にした様子はなかった。  でも、俺にははっきり解る。常に本宮さんの一挙一動に神経を集中させている俺には、先週と今週の差は歴然だった。  その理由はきっと、月曜のあれだ。俺が本宮さんを嫌っていると勘違いされてることが原因だ。嫌われているから関わらないように、かつ、周りに心配はかけないように。なんというテクニックだ。俺が本当に本宮さんを嫌っているのならありがたい話だが、誤解も甚だしいのだ。でも、その誤解を解く隙もなく、金曜にまでなってしまった。  俺はどっぷり沈んでしまいそうな気持ちをそのたび立て直し、必死に耐えた。この一週間耐え続けている。でも、そろそろ、泣きそうだった。  しかも最悪なのは、これだけではない。  エレベーターに向かう途中で、最悪な要因その二がやってきた。 「漆原さん」  俺はその声を無視したかったが、宝島と本宮さんが反応した。 「お、斉藤じゃん」 「どうも、お疲れさまです」  仕方なく俺も振り返ると、斉藤と目があった。その途端、あいつは目元を緩め、胡散臭い笑みを浮かべた。 「漆原さん、お迎えに来ましたよ」  迎えって何だ。そう突っ込みを入れるより先に、宝島が声を上げた。 「あれ、ハルさん約束あったんですか?」 「いや、そんなのしてな…」 「引き継ぎの件で質問したいことがいくつかあるから、お昼一緒してもらうよう約束してたんだよ。ひどいな、忘れてたんですか?」  俺の言葉を遮って、斉藤はさらりと嘘を付く。俺は唖然として斉藤を見たが、奴は平然としていた。そんな約束は微塵もしてない。 「さ、行きましょうか」  斉藤はさっと俺の肩を押して促す。 「おいっ!押すな!」 「それじゃあ、漆原さんお借りしますね」  俺の叱りを無視して、斉藤は本宮さんに向かって軽い会釈をした。  俺もおそるおそる本宮さんの方を見た。後悔すると分かっていながら、ほんの少しの期待をもって窺った。 「なら仕方ないな」  案の定、本宮さんは欠片も残念そうな様子はない。俺は肩を落とした。斉藤の言葉は嘘だと振り切る気力が一気に萎えた。 「ハルさん、次は一緒にラーメン行きましょうね」  がっかりした様子の俺に、宝島が優しい言葉をかけてくれた。輝くん…君はほんといい子だよ…  そして、俺はとぼとぼと社食までやって来た。 「何が約束だよ。引き継ぎは全部終わってるだろうが」  言っても無意味と分かっていても、恨み言を口にせずにはいられない。  そしてやはり、言わない方がよかったと後悔した。 「漆原さんと一緒にいたいっていう可愛い嘘じゃないですか」  しゃあしゃあと気色悪いことを抜かす斉藤に、俺は思い切り顔を渋めた。  これだ。あの日から、斉藤の意味の分からないアピールが続いているのだ。  キスされたのは犬に噛まれたと思って不本意だが我慢して忘れようと決めたのに、斉藤は今まで以上に俺の前に現れる。そして、時折先のようなキモいことを言ったりするのだが、相変わらず厭味な言動も多い。 「お前、いったい俺をどうしたいんだ」  キスを仕掛けてくるぐらいだから、俺のことを好きなのだと思った。しかし、俺をバカにするわ見下すわで、惚れさせようだなんて様子はまるでない。むしろ、俺は日に日にこいつを嫌いになっている。  斉藤もそれは解っているはずなのに、本気で何を考えているか不明だ。 「どうしたいって――まあ、とりあえず一緒にホテルに行きたいですね」  あまりにも即物的な答えに、俺は吹き出しそうになったのをぐっと堪えた。  真顔で何を言ってやがる! 「同じ嗜好の奴と行けホモ野郎!俺はお断りだ!」  声を落としつつもはっきりきっぱり突き放すと、斉藤の瞳がぎらりと光った。 「漆原さんだって、本宮さんに惚れてるじゃないですか」 「それは……」  痛いとこを突かれ口ごもると、斉藤は畳みかけるように口を開く。 「つまり、男もいけるんでしょう?」 「違う!本宮さんは、その、特別っていうか…」 「はっ、ムカつきますね。特別?なんですか、特別って。そんなの体のいい言い訳じゃないですか。本宮さんはどこからどう見ても男。そしてあなたはその男の本宮さんに惚れてる。第三者から見れば、あなたも立派にゲイ、もしくはバイですよ。まったく、いい歳して自分のこともちゃんと理解できないなんてね」  あからさまに嘲笑を浮かべる斉藤に、俺は怒りのあまり震えた。 「お、お前………俺に好かれたいとかないのか!」  こんなこと言いたくはなかったが、言わずにはいれなかった。  すると、斉藤はあっさり否定した。 「ないですね。むしろもっと嫌ってもらいたいですよ。知ってます?好意より、嫌悪のほうが強く心を占めるんですよ」  そして、さらに笑みを深める。少しだけぞっとした。  なんてひねくれまくった奴なんだ。  俺は絶句して、それからは斉藤の存在を無視するように食事に集中した。斉藤はそれでも構わないようだった。  終業間近、宝島がそわそわし始めた。  トイレを我慢しているわけでもなさそうで、思わず俺は声をかけていた。 「輝くん、どうしたの?」 「えっ?」  宝島は自覚がなかったのだろうか。不思議そうに目を丸くして、俺を見返してきた。  その隣の浅見さんが、訳知り顔で口を開いた。わざとらしく、聞こえるように大きな声で呟く。 「ああ、今日は残業してもらおっかなぁ~…」 「ええっ!?浅見さん!そんな!」 「若いっていいなぁ、ずるいよなぁ、歳食っても合コン行ってもいいだろうよ」  嘆く声に、すかさず本宮さんの突っ込みが入った。 「いや、浅見さんの場合年齢じゃなくて、妻帯者だからでしょ」 「指輪はちゃんと外すって」 「そういう問題じゃないでしょーが」 「嫌ですよ、浅見さん来たら全員持って行かれそうだし」  三人がコントのように言い合っている中、俺は雷に打たれていた。  なんてこった、今日だよ!落ち込みすぎてすっかり忘れていた。今日が合コンの日だ! 「浅見さんっ!俺も今日は、今日だけは、残業はできませんっ!」 「あれ?ハルちゃんは行かないんじゃないの?」 「参加はしませんけど、はずせない用事が!」 「ふぅん。まぁ花金だしね。今日は定時に帰りましょうかね」  浅見さんは不思議そうな顔をしていたが、そう言ってくれた。もともと残業を言いつける気もなかったのだろうが、宝島はほっと息を吐いていた。 「じゃあ、お疲れ様です~!失礼します~!」 「お疲れ様です、浅見さん。ハルちゃんも、お疲れ。また来週」  あっという間に終業時間は訪れ、宝島と本宮さんは二人で仲良く出ていった。  俺はそれを複雑な心境で見送って、数分後に浅見さんに挨拶して一設を後にした。そして、一階ではなく八階に向かう。久しぶりに二設のフロアに立った。  そおっと中を覗くと、ぼちぼち帰っている人、残業前の休憩でだれている人、雑多な状況だった。  俺は斉藤の姿を探し、奴がいないことを確認した。宝島が一階で待ち合わせていると言っていたので、たぶんもうそこへ向かったのだろう。  よし、と一つ頷いて、俺はモニターと睨み合ってる吉田の元へまっすぐ駆け寄った。 「吉田!」 「お?何だよ、珍しいな。二設に用事か?」  吉田は顔を上げ俺の姿を確認すると、キーボードを叩いていた手を止めた。俺はその手をがしっと掴んだ。 「さっさと帰る用意をしろ!飲みに行くぞ!」  たぶん結構な剣幕だったと思う。吉田は目を丸くして、数回瞬いた後、掴まれてない方の手でモニターを指差した。 「今日は仕事たまってんだよ。八時まで待つっていうなら行けるけど」 「だめだ、今すぐだ。ほら、パソコン落とせ!」 「何言ってんだ!あ、おいこらやめろ!」  マウスを奪い取ってアプリケーションを終了させようとすると、本気で吉田は抵抗した。しかし、こちらも譲れないのである。  取り返されたマウスは諦め、俺は吉田の腕を抱き込むように縋りついて懇願した。 「一生のお願いだから!吉田様ぁ!お願いしますー!」  ただひたすら拝み倒す。周りが不審な目を向けてきているのに気付いたが構わないでいると、吉田の方が居た堪れなくなったらしい。 「分かった、分かったから放せ!そして黙れ!」  渋い顔の吉田を引き連れ、俺は急いで一階へ向かった。本宮さんたちの姿を探すと、すぐに見つかった。本宮さんと宝島と斉藤、あと見かけたことはあるが名前は知らない男が、そろってエントランスのソファーのあたりに屯っている。 「で、どこ行くんだよ」 「しっ!静かに!」  ソファーの場所からは見えない柱の陰から、俺は四人の男たちをじっと観察した。吉田も俺の視線の先を追う。 「あ?斉藤?と、あれって…ああ、あれが本宮さんって人か。はぁ、確かに綺麗な人だ」  そうだろうそうだろう、と心の中で頷いた時、四人がエントランスを出て歩き出した。店に行くのだろう。 「よし、行くぞ」  俺は四人から視線を外さないまま、手で吉田を促した。 「おい、まさか…」 「何だよ、あんま大きい声出すな」 「…………」  四人の数メートル後をぴったりつけて歩く。吉田も無言でついてきた。  何か楽しそうに会話しているが、声が聞き取れないのがもどかしい。ああ、なんで斉藤なんかに笑いかけるんですか本宮さん…。でもこれ以上は近づくことも叶わない。  そのまま歩くこと数十分。辿り着いたのは洋風の佇まいをした小奇麗な店だった。四人が中に入っていくのを確認し、すぐに入っては見つかってしまうので待つこと数分。 「いらっしゃいませ。二名様ですか?」  店に入るや接客してくる店員を無視し、俺はきょろきょろと本宮さんたちの姿を探した。俺の代わりに吉田がはいと答えている。  店の中は薄暗く、キャンドルが飾られていてお洒落だった。奥にはいくつか個室があるようで、たぶんそっちに四人はいると思う。 「では、こちらへどうぞ」  店員に個室とは反対の方に促され、俺は慌てて声を上げた。 「すみません!あっちのボックス席がいいんですけど!」  奥を指差す。個室の隣にいくつかボックス席が並んでいる。そこであれば、個室の中は見れなくとも、少しは様子がうかがえる可能性がある。  店員はほんの少しだけ困った顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。 「…はい、どうぞ。ご案内いたします」  果たして俺と吉田は、個室のすぐ隣のボックス席へ通された。  席に着くと、まずペタリと耳を壁につけてみた。しかし、何の音も聞こえない。  本宮さんたちがいるのはこのすぐ隣だろうか、それとももう一個奥か… 「漆原!」  思い悩む俺に吉田の怒声が降った。 「バカ、大きい声出すなって言っただろ!」  吉田の方に視線を遣れば、心底呆れた顔がそこにあった。 「俺は帰るぞ」 「えっ、待てよ!帰るな!お願いだから帰らないでください!」 「俺は先週言ったよな?俺に本宮、斉藤両名の話はするなと」 「べ、別に話はしてないだろ!後つけただけだし!一人じゃこんな店入りにくいし!」 「屁理屈ぬかすな!なんでつけなきゃいけないんだって話だよ!」 「合コンなんだ!気になるに決まってるだろ!」  勢い余って正直に言うと、吉田は呆気にとられた顔のまま数秒固まった。 「………お前…違うんじゃなかったのか」  絞り出すような吉田の声に、俺はばつが悪くなって顔を逸らした。 「い、いろいろあんだよ!」  はぁ、と溜め息が聞こえる。呆れているのだろうか、嘲っているのだろうか。しかし今は頼れるものは吉田だけだ。 「ここおごるから、だから帰るなよ…頼むよ…」  両手を合わせて懇願すると、もう一度大きな溜め息が聞こえた。 「…分かったよ、ったく。俺、ビールな」  話の分かる同期を持って、俺は幸せだ。

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