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第10話

「なんか、最近のハルちゃんは輝いてるよねー」 「え?そうですかー?」 「うんうん、仕事も速くて的確だし~、なんだかお肌も髪もつやっつや。服も毎日気合入ってるねえ」 「いえいえ、別に、これくらい普通ですよぉ。浅見さんこそ、いつ見ても男前で!」 「いやいや、ハルちゃんには敵わないよ~」 「「あはははははは」」  会議の帰り、そんな浮かれきった会話を交わしてしまうほど俺は調子づいていた。  晴れてお付き合い開始より一週間と三日。宣言通り、俺は自分に磨きをかけた。本宮さんに釣り合う男になるために。  髪や肌の手入れも念入りに。筋トレも毎晩欠かさず。服だって、斉藤みたいに毎日オートクチュールのスーツは無理だが、ジーンズにTシャツなんて格好はもうしていない。  一設の仕事も、しっかり覚えて今や十二分に戦力だ。浅見係長と変な会話を交わしてしまうのも無理はないというものだ。 「あ、おかえりなさーい」 「ただいま」  一設に戻ると、宝島が迎えてくれた。  デスクに着くと、隣の本宮さんが笑顔を向けてくれる。 「おかえり」 「只今戻りましたっ!」  にこにこと笑いながら、俺は先ほどの会議で受け取った資料データを本宮さんたちに送信した。  先ほど開かれた会議は、今取り扱ってるメモリの受注元企業との電話会議だった。俺と浅見係長しか出席していなかったので、その内容を簡単に本宮さんに説明した。宝島の方は浅見係長がやってくれている。 「順調だね。このまま行けば予定通りだ」  本宮さんの言葉に、俺は大きく頷く。当初の予定からさして大きなずれもなく、製品開発は進んでいる。あとは最終調整をして、提出する製品データを作れば終わりだ。来週の木曜に提出予定だが十分間に合う。  途中参戦で足を引っ張ることがなくてよかったと、俺は心底安堵していた。  そのとき、バタバタと山科課長が部屋に飛び込んできた。課長は兼任しているもう一方の仕事でミスが出たらしく、そちらに掛かりきりで忙しそうだ。 「大変そうですね、山科さん」 「ああ、まったくだ。こっち、ちっとも手伝えずに悪いな」 「いえいえ、お気になさらず」  本宮さんが声を掛けると、山科課長は動きを止めないまま苦笑した。  散らかった机の上から目的の資料を見つけたらしく、それを抱えてまたすぐ部屋を出て行こうとしたが、途中で「あ」と声を上げ振り返った。 「そうだ本宮、出張メンバー決めとけよ。俺は行けそうにない」 「あーはい、了解でーす」 「それと、ハルちゃん。後で話あるから、あーっと…三十分したら戻ってくるから時間あけといてくれ」 「あ、はい」  不意に言葉を投げられ、俺は驚きながらも頷いた。  バタンと扉が閉まる音を聞いて、首を傾げる。課長から話があるなんて、珍しい。業務はほとんど違っているし、内容がとんと思い浮かばなかった。 「わ~、ハルちゃんてば、何かやらかした?」  本宮さんがにやにやと笑いながらからかうように言う。そんな風に言われると、思い当たることがまるでなくても、俄に不安が募った。 「やだな、何もしてませんよ。あははははは…」  そう言いつつも、頭は最近の自分の行いをフルスピードで振り返っている。  なんだ!?もしかして、この前面倒くさいからってレストルームで紙パックを潰さずに捨てたことか?でも、そんなの俺だけじゃないし、他にもたくさんいるし!はっ!まさか、本宮さんとの社内恋愛がばれて!?え、うちの会社って社内恋愛駄目だっけ!?いやいや、恋愛は自由のはず……っ  俺は少しでも思い当たる一つ一つの事柄に言い訳を考えたり、抜け穴を探したりと慌てた。  そんなひとりで青くなったり赤くなったりする俺を、残りの三人が生温かい目で見つめていることに気づきもしなかった。  しかし結局、俺の心配は全て杞憂に終わったのだった。 「配属希望?」 「はい。来週で今やってる業務も終わるから、その後の配属の希望をきいてくれるそうです」  最近行きつけとなった定食屋で、俺と本宮さんは向かい合ってご飯を食べていた。今日は本宮さんの方から夕食を誘ってくれて、俺は嬉々としてついていった。もちろん二人きりだ。  そこで、俺は今日、山科課長からされた話を説明した。 「もともと俺、今の業務のためだけに二設から借り入れた状態だったらしくて。それが終われば二設に戻るって約束だったそうなんです」  本宮さんの口がもぐもぐと動くのを緩んだ顔で見つめる。ああ、ご飯粒ほっぺたに付いたりしないかな。そしたら触れるのに。 「だけど山科課長がこのまま一設にいてほしいって言ってくれて。本人が望むなら引きとめて構わないらしくて、俺の希望聞かれたんです」  短い期間しか共に働いていないのに、仕事を評価して必要としてもらえるのはとてもありがたかった。 「んで、ハルちゃんはどうすんの」 「残ります」  一設における俺のスキルはまだまだ発展途上で、きっと二設に戻った方が活躍できるし会社の利益にもつながる。それでも一設に残るのは、一設の業務も面白いと思えてきたから……というのは二番目の理由で、一番の要因はもちろん本宮さんと一緒にいたいからだ。  以前俺を振った亜美が八階フロアと十階フロアは遠距離と言った時、何バカ言ってんだと思った俺だが、今ならその意見に同意できる。たぶん離れたら、死ぬほど辛い。 「へぇ」  そう相槌を打った本宮さんには、なんの感情も見られない。俺が残ることが嬉しいとか、そういった気持ちはないのだろうか。 「あ、あの…二設に戻った方が、良かったですかね…?」  不安になって、思わずそんなことをきいてしまった。  本宮さんは不思議そうな顔で食後のお茶を啜る。 「なんで?ほんとは戻りたいの?」 「いえっ!一設でもっと勉強したいって思ってます!本宮さんもいるし!」  本音が少しはみ出てしまった。しかし、それは正解だったらしい。本宮さんは湯呑を置くと、優しい顔で微笑んでくれた。 「俺も、ハルちゃんとまた一緒に働けるなら嬉しいよ」  かあっと顔に血が集中する。ああ、嬉しい。俺の方がもっと嬉しいです。今すぐ抱きついてキスしたい。  衝動を抑えようと頑張るが、体はぷるぷる震えてしまう。俺は理性を総動員させ、本宮さんから目を逸らし、まだ残っている焼き魚定食をかきこんだ。そういえば、本宮さんはもう食べ終えているのだ。  本宮さんは煙草を吸いながら、そんな俺の姿を見ていた。  そうして何とか夕飯を終えて、会計は割り勘で済ませて店を出た。季節は夏に近づいているが、夜は少しだけ肌寒い。ビール一杯分のアルコールを得た体には心地よかった。  定食屋は会社の最寄駅にほど近い場所にあったので、二人並んで駅に向かう。 「本宮さん、次の土曜日あいてますか?」 「ん?土曜は…たぶん暇」 「じゃあ、映画観に行きませんか。ほら、この前観たいのもう一つあるって言ってましたよね」 「あ、覚えてたんだ」 「もちろんです!」  記念すべき初デートで映画を観に行った時、本宮さんが他にやっていた映画も観たいと呟いていたのを俺は聞き逃さなかった。 「行きましょう!」 「いいよ」  頷く本宮さんに、俺は心の中でガッツポーズを決めた。路上なので叫ぶのは自重する。  お付き合いは順調に進んでいると思う。先週末は本宮さんに予定があってデートは出来なかったが、今週末は約束を取り付けた。平日は残業で遅くなったりしない限り、今日みたいに二人で夕飯をとったりしている。何度か宝島が割り込んできたが。  ああ、なんて、幸せ。  しかし、待ち合わせ場所や時間を話し合っていると、駅がどんどん近づいてくる。  残念ながら本宮さんとは路線が違うので、共に過ごせるのは駅までだ。自然と歩くスピードが落ちてしまう。自分でも女々しいと思うが、ほんの少しでも長く一緒に過ごしたい。 「ハルちゃん?」  遅れ気味になった俺を、本宮さんが振り返る。俺は小走りになって隣に並んだ。 「あ、すみません」 「何?考え事でもしてた?」 「いやー…」 「……ハルちゃん、こっちこっち」 「え?」  言ったらうざがられるかもしれないと思いながらもごもごと口ごもっていると、本宮さんが俺の腕を取って道を曲がった。  掴まれた場所が熱く、心臓がどくどく早鐘を打った。  ああ、半袖でよかった!直に触れる本宮さんの手は、俺の体温よりも低くひんやりと気持ちいい。  その感覚にうっとりと酔っているうちに、ビルの隙間の狭い路地に入り込んでいた。人二人入るのでぎりぎりなので、体の距離がすごく近い。  何て素敵なシチュエーション。ここなら人目もないし、キスしたい…そう思って本宮さんを見つめると、ふっと微笑まれた。そしてそのまま顔が近づいた。  唇に柔らかい感触。触れるだけの優しいキスなのに、一瞬にしてぞくぞくとしたものが俺の背筋を走り抜ける。  目を閉じる暇もなく離れていったそれを、俺はまじまじと見つめた。ほんのりと残る煙草の香りが、確かにキスをしたのだと知らしめる。 「ハルちゃん?」  薄い唇が動いて音を発し、俺は弾かれたように顔を上げた。  キスをするのは実は三度目になる。先週、俺が勇気を出してせがんだのが二度目。これが三度目。  でも、俺が何も言わず本宮さんの方からしてくれたのは、初めてだ。  真っ赤な顔がにやついてしまうのを止められない。きっと締まりのない気持ち悪い顔になってしまっているであろう俺を見て、本宮さんはクスクスと笑う。 「してほしそうだったから」  笑い混じりに言われ、俺は目を瞠った。確かにしてほしいと思っていたが、無言のうちに圧力をかけてしまっていたのだろうか。  自分が心底疾しく思えて恥ずかしいが、本宮さんが俺の意を汲みとってくれたのがすごく嬉しい。 「ハルちゃんはすごく喜んでくれるのが解るから、俺も嬉しい」 「お、俺、俺、すごく幸せですっ!!」  行こうか、と再び元の道へと戻る本宮さんに付いて歩きながら、俺はずっと「ふへへ」と気持ち悪く笑っていた。  駅で本宮さんと別れた後も、時折本宮さんの唇の感触を思い出しては周りの目も気にせずにやにやしながら自宅に到着した。  帰りついたら即メールを送った。 『今帰りつきました。本宮さんはもう着きましたか?』  何もせず、じっと携帯の前で返事を待っていると、五分後に携帯がブルブルと震えた。 『もうついて風呂入ったよ。後は寝るだけ。おやすみ』 「ああ~本宮さあああん!好きですー!!」  ベッドの上でどったんばったんと身悶えながら携帯を握りしめた。『おやすみなさい』とハートマークは自重して返信を打つ。  俺は今、この約四半世紀の人生の中で最高潮に幸せ。しかし、人間とは欲深い生き物だ。特に俺は、こと本宮さんに関してはとてつもなく貪欲みたいだ。 「はぁ…どろっどろのぐっちゃぐちゃになるようなキスしてぇ…」  願望を口に出してみれば、体が切なく疼く。  触れるだけのキスはした。それだけで幸福に満たされるが、次はもっとディープなものがしたい。そして、次の段階と言えば、ベッドイン。  俺はがばっと起き上がると、いそいそとパソコンの元へ向かった。起動させると、ブックマークしてあるホームページへと飛ぶ。  男同士でのあれこれの手順が事細かに書かれたそのページは、最近見つけたものだ。本宮さんとの将来を考えて勉強だと何度も見返しているため、予備知識だけはしっかりと身についてしまっている。 「できるかなぁ…」  すっかり耳年増にはなっているが、実戦に関しては未知の領域だ。不安も大きい。失敗だけはしたくない。  でも、それ以上に欲は大きい。本宮さんと素肌で触れ合って、気持ちよくさせたいし、なりたい。 「よしっ!!」  俺は手帳を取り出すと、今週末にぐりぐりと赤い丸をつけた。  決戦は、土曜日だ。

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