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第11話

「だから、何度言わせるんだ。お前の決意表明なんぞ聞きたくねーんだよ、俺は!」  吉田がだん、と激しく腕を振り下ろしたせいで、テーブルの上のきつねうどんの汁が少し零れてしまった。  俺はテーブルに備えられているペーパーを取ってそれをいそいそと拭きながら、吉田をねめつけた。 「つゆ零れたじゃねぇか」  不満げにそう漏らしても、吉田は眉間にぐっと皺を寄せたまま苛立たしげに指でテーブルを打つ。  昼休み、俺は吉田と共に社食で昼食を取っている最中だ。  俺は最近あったこと――主に、というかすべて本宮さんとのことだが――を、吉田に話していた。吉田の相槌は一向になかったが構わず話し続け、土曜日に勝負を掛けるつもりだ、と言ったところで話の腰を折られたのだ。 「お前が悪い」 「悪くねーよ。吉田は俺にとってはキューピッド様様だから、健気に逐一報告してやってるんじゃないか。お前も気になるだろ」 「気にならねーよ!何が悲しくて同期の男から『明日男と寝ます』だなんて報告受けなきゃならんのだ!」 「違う!男と寝るんじゃない!本宮さんとだ!」 「本宮さんは男だろうがボケ!」  もう知るかとぼやいてから、吉田は目の前のカツ定食にかかりきりになった。俺の方を見ようともしない。  俺も仕方なく、話に夢中で少し伸びたうどんに取り掛かることにした。  吉田がキューピッド様だということは本当だ。吉田が合コンの日、本宮さんに俺を押しつけてくれたおかげで今の関係がある。なので、やはり報告をしなければならないだろう。……というのは建前で、吉田以外に本宮さんとのことを話せる人がいないのだ。  うどんを啜りつつ、どうやって吉田に話を聞いてもらおうかと頭を悩ませていると、テーブルに影がさした。 「ここ、いいですか?」  顔を上げると、そこにいたのはトレーを抱えた斉藤だった。駄目だと言う前に、奴は俺の隣に勝手に座ってしまった。 「ふざけんな、余所に行けよ。どこでも空いてるだろうが」  思い切り睨みつけながら舌を打ったのに、斉藤は俺の言葉をしっかり無視して箸を手に取り食事を始めた。図太すぎる。  俺の対面にいる吉田は、ちらりと斉藤を見ると微妙に顔を歪め息を吐いた。そして何も言わないまま再び食事に戻る。  こうなればさっさと食べ終えて逃げるしかあるまい。そう思い箸を動かすスピードを上げると、斉藤が口を開いた。 「そんなに急いで食べると喉につまりますよ」  知るかよ。  無視してずずずと麺を啜る。そんな俺を横目で見ながら、斉藤はぼそりと呟くように言った。 「………本宮さんはいないんですか?やっぱり愛想尽かされたんですね」 「やっぱりってなんだ!本宮さんは今打ち合わせで居ないんだよっ!」  あまりにもむかついて反射的に怒鳴ると、斉藤がにやりと、吉田が呆れた顔をしたのが解った。  斉藤の策略に簡単にのってしまったのは悔しいが、ここだけは言い返さないと気が済まなかった。 「打ち合わせ?なら漆原さんも出なきゃいけないんじゃないんですか」 「俺はいいんだよ。来週の出張の打ち合わせだから。俺は行かないから」  仕方なく俺は答える。ここで理由を言わなかったら、こいつのことだ、信頼されてないんですねだの、仕事外されてるんですかだの、言いだすに決まってる。  来週、今扱っている製品の最終会議がある。受注元のT社で開かれるその会議で製品データを渡し、一応この仕事は終わりだ。  本宮さんたち――浅見さんと宝島、三人はそちらに行くことになる。しかし、全員で赴くわけにはいかない。 「何かあった時のために自社に一人は残らなきゃいけないから、俺が残るんだ」  宝島では心許ないため、俺が残ることが決まった。本音を言えば本宮さんと一緒に出張に行きたかった――だって、泊まりなのだ――が、本宮さんが俺なら留守を任せられると言ってくれたのだから、期待にしっかり応えねば。 「つまり、来週頭から本宮さんたちは出張で居ない、と?」 「ああ」 「へぇ」  くっと斉藤の口角が上がる。その邪な笑みに頬が引き攣った。こいつ、何か企んでやがるのか。 「言っておくけどな!俺と本宮さんはラブラブでお前の入り込む隙なんざ一ナノもねぇからな!なあ、吉田!」 「俺に振るな。知らん。お前らのことなど知らん。知りたくない」 「どうせ、漆原さんの独りよがりでしょう」 「~~~~っ!」  断定する斉藤の言葉に、怒りのあまり声も出なかった。そんな俺の姿を肯定ととったのか、斉藤は勝ち誇った笑みをこぼす。 「自覚あるんじゃないですか」  こいつは本当に、俺の神経を逆撫でするのが上手い。 「違うっ、もう何度も二人でご飯に行ったりしたし、キスだってした。本宮さんは俺に対してすごく優しいし…」  キス、と言ったとき、吉田の顔が青くなったがそれは無視だ。 「優しいって、あの人は誰にだって優しいじゃないですか。どうせキスどまりでしょう。しかも幼稚な」 「幼稚って言うな!神聖なんだよ!」 「それに、食事やキスなら俺たちだってしたじゃないですか」 「あっ…れは!てめぇが勝手に…!」 「それで言うなら俺たちだって『お付き合い』してるってことになりますよね」  ふっと斉藤は鼻で笑った。吉田の顔はますます青くなった。 「お前ら…もうやめてくれ……せめて俺のいないところで話してくれ…」  嘆くような吉田の声に、俺はしぶしぶ口を噤む。斉藤を見るとむかつくので、残ったうどんを一気に掻き込む。 「斉藤、お前急にオープンになったな」 「吉田さんは全部知ってるんでしょう?隠しようがないじゃないですか」 「それでも、俺の前では控えてくれ」 「漆原さんが素直に俺と寝てくれるなら大人しくしますけどね」 「だから、そういうことを言うな。俺の前で」 「――ごちそうさまっ!!」  俺はがちゃんと箸を置き、会話を遮るように声を上げた。そして、そのまま立ち上がりその場を後にした。  ムカつく。ああ、ムカつく。  何がムカつくって… 「はっきり言い返せない…悔しい…」  俺は一設に向かい、ずんずんと廊下を進む。  俺と本宮さんは付き合っている。そうはっきりきっぱり斉藤に言えなかったのが悔しくて堪らない。  確かに、俺が好きになってくださいと言っただけだ。俺たちに『付き合って下さい』『はい』のやり取りはない。だけど、キスは答えだろう?好きでもないやつと休日潰して遊びに行く?  ――独りよがり  斉藤の言葉が頭に蘇る。俺はそれを打ち消すように首を振った。 「あ、お帰りハルちゃん」  一設に戻れば、すでに皆帰ってきていた。 「本宮さん、打ち合わせ終わったんですね」 「うん」  カタカタとキーボードに打ちこむ本宮さんの隣に座り、俺は一つ深呼吸。 「あの、本宮さん…」 「ん?」 「あの、あの…俺、いや、俺たちの…」  俺のこと、どう思ってますか?好きですか?  俺たちの関係って、なんですかね?お付き合いしてる恋人同士ですよね?  ……聞きづらい。少なくとも今は聞きづらい。だって、宝島も浅見さんもいるし。  黙り込んでしまった俺に、本宮さんは首を傾げる。その姿が少し可愛かった。 「ハルちゃん?」 「すみません、何でもありません!」 「そ?あ、そうだ。終業までに担当データの最終見直しして俺にちょうだい。論理検証の分と、あと、キャラクタライズのBパートかな」 「え、あ、はい。わかりました」  明日、明日だ。体を重ねれば、はっきり言葉をもらわなくても不安は一気に消える。  そして明けて土曜日。  天気は俺を祝福するような快晴だった。まあ、映画館に籠ってたらそんなの関係ないんだけど。  いつも以上に気合を入れて体を洗い、厭味にならない程度に香水なんかつけた。細身のチノパンに七分丈のサマージャケットでスマートに仕上げ、髪も弄って前髪を横に流してみた。そして、一時間前に待ち合わせ場所にて待機。  ずっと一人で立っていると、何度か女性に声を掛けられた。よし、今日の俺はいつも以上に決まっているようだ。  本宮さんはやはり時間ぴったりに現れた。白いTシャツにジーンズにジレ。シンプルだからこそ余計に本宮さんの美しさが際立っている。素敵。  二人並んで映画館へと向かう。土曜の昼間とあって通行量の多い中、本宮さんのような綺麗な人の隣を歩く優越感にじんわりと浸る。どこを見たって本宮さんほど素敵な人はいない。 「今日髪形違うのな」  ふと本宮さんが笑って言った。気付いてもらえた嬉しさと、じっと見つめられることで顔がほんのり熱くなる。 「へ、変ですか?」 「いや、かっこいいよ」  そう言ってふっと笑う本宮さんの方が、何十倍も何万倍もかっこいい。 「あう、あ、ありがとうございます!」  笑顔に見とれながら、呂律の怪しい口でお礼を言う。  手を繋いで歩きたいな、と思うものの、流石にそれは出来ない。悔しさに悶々としているうちに、映画館に着いてしまった。  映画は人気のあるアクションシリーズもので、客の入りも多かった。  終盤になるほど派手なアクションと手に汗握るような緊迫の場面が多く、客は皆ドキドキとしていたのだと思う。しかし俺は、映画よりも観終わったあとのことを考えてしまい、別の意味でドキドキと緊張していた。  もうすぐ映画が終わる。そしたら、六時半過ぎくらいだ。夕食に誘って、それから、俺の家に……  エンドロールが流れる中、俺は昨夜何度もシミュレートしたやり取りを頭の中でもう一度繰り返す。 「あー面白かった。行こうか」  館内が明るくなってから、体を伸ばしつつ言う本宮さんに促されるまま、俺は立って後を追う。 「あ、あの、本宮さん。この後…」 「ああ、ご飯にでも行く?」 「!はいっ!」  第一段階は何の苦労もなくクリアだ。 「あそこの車のシーン、スタントなしだって。すげーよな」 「え、そうなんですか?二メートルくらい跳んでた気がする」  見終えたばかりの映画についてあれこれと話をしながら、本宮さんのお気に入りという居酒屋さんに案内してもらった。  店に着いてからもしばらくは映画の話で盛り上がった。本宮さんのお気に入りの映画のDVDを貸してもらう約束をしたり、冬に始まるやつを観に行こうと約束したり。  そして映画の話題が尽きてきたころ、俺は少し疑問に思っていたことを尋ねた。 「そう言えば、先週って何してたんですか?」  先週の土曜は用事があるからと断られたのだ。本当は聞くつもりはなかったのだが、酒が入っていたため思わずつるりと出てしまった。これじゃ束縛が厳しい奴みたいだと気付いたのは、言ってしまった後だ。  しかし、本宮さんは別に不快になった様子もなく、あっさりと答えてくれた。 「ああ、先週は輝の買い物に付き合ってた」 「え?輝くんと…?二人で?」 「そう」 「へ、へえ…」  俺は何と応えるべきか解らず、ただぼんやり相槌をうった。  胸にはびこるのは、紛れもない不快感。何も複雑なことはない。間違いなく嫉妬だ。  しかし、宝島に嫉妬するのはおかしいのだと解っている。あいつはちゃんと女の子が好きな人間だし、本宮さんだって宝島に対して性的な感情を抱いているわけではない。二人は仲の良い先輩後輩同士。本宮さんが宝島を優先したのだって、俺よりも先に約束していたのだから仕方ない。  理性的に考えよう考えようと思っても、苦い感情が湧き上がってくる。それなら、俺も一緒に誘ってくれれば…とか、考えてしまう。 「輝くんに誘われたんですね」  そう言った声は、少し硬かった。駄目だ、普通にしないと。誤魔化すように、俺はビールを呷る。 「いいや、俺が連れてってやりたいとこあって」  なんだって?  全ての動きをぴたりと止めて、俺は本宮さんを見た。本宮さんは目の前にあるアジの開きの骨を取るのに夢中で、こちらの様子には気付かない。  …骨なんて俺が取ってあげるのに…って、そうじゃない。そうじゃないよ。 「輝さ、山に登るの好きなんだよな。で、俺の高校の時の同級生が登山用品の店開いてるからさ。ずっと連れて行ってやろうって思ってたんだよ」 「登山…」 「個人でやってるけど結構立派な店で。俺は山に興味ないけど、輝はすげー喜んでたな」  どうなんだろう。これは、どうなんだろう。俺だって登山にはまったく興味はない。なら、誘われなかったのも当然と言えるか。でも、本宮さんから誘ったって。ずっと連れて行ってやりたかったって。  ――優しいって、あの人は誰にだって優しいじゃないですか。  こんなときに、斉藤の言葉が頭に浮かぶなんて。 「あいつ、山で撮った写真とかいっぱい持ってるから今度見せてもらえよ。結構綺麗だよ」  顔を上げた本宮さんは、怪訝な顔をした。俺、今どんな顔しているんだろう。 「ハルちゃん?」 「本宮さん、この後…その…」 「ん?そろそろ出る?もう結構経ってんね」  そう言って、本宮さんは店の壁に掛けられた時計を見る。確かに、もうここにきて二時間は経っている。  そんなことはどうでもよかった。確かにもう店は出たかった。だけど、今の俺はただ焦燥感に突き動かされ、はいとも答える余裕がない。 「この後、俺の、俺の家に来ませんか」  あ、あ、間違えた。珍しい地酒をもらったから飲みに来ませんかって誘うつもりだったのに。 「え?」  ああ、ほら、急に誘ったから。本宮さんが驚いた顔をしてる。 「あ、あ、あの、その、酒、が…っ別にそんな」  疾しいつもりではなく、いや、疾しいんだけど。ああ、言葉が出てこない。 「……家に来て欲しいんです…」  結局、俺は俯いて懇願した。これじゃあ下心もバレバレだろう。断られたらどうしよう。断られたらそれこそ、俺の独りよがり―― 「いいよ」  聞こえた声に驚いてはっと顔を上げると、目の前の本宮さんは肘をついてにんまりと微笑んでいた。  どきどきと逸る心臓を何とか抑え込みながら、俺は本宮さんと一緒に自宅に戻った。  俺のライフスペースに本宮さんがいる。二度目だが、緊張は前回よりも断然上だ。今回は明確な目的があるから。  ちらりと本宮さんを盗み見ると、まったくいつもと変わらない様子だった。俺の部屋でのんびりリラックスしてもらえるのは嬉しい。 「あの、ちょっと珍しい地酒があるんです。飲みますか?」  本宮さんを家に誘う口実にするために買っていたものだ。結局これを使うことなく本宮さんは来てくれたが、俺は緊張をほぐすためにももう少しアルコールが欲しかった。 「地酒?飲む飲む」  嬉しそうに言う本宮さんにお酒を差し出す。 「ん、美味いね、これ」  グラスを傾けた本宮さんがにっこりと笑う。ああ、高い金出してお取り寄せした甲斐があった。俺も飲んでみたが、残念ながら緊張のため味がよく解らなかった。  今の俺には静かすぎるのも辛かったので、テレビをつけてニュースを見ながら少しの会話を挟みつつ、瓶を空けていく。  そして、酒もなくなりつまみも減って、期は熟したと思う。 「…………本宮さん」 「ん?」 「お、おふ、お風呂…沸いてますっ!」  風呂場は昨夜のうちにピッカピカに磨いておいた。それで、さっきつまみを取りに立ったとき、沸かしておいた。 「へ?」 「あのっ、お先にどうぞ!」 「あ、入っていいの?」 「はい!タオルとか、置いてるんで!」 「じゃあ、お借りします」  バスルームへ消えていく本宮さんを見送る。がちゃ、と扉のしまる音がし、俺は急いでテレビを消した。静かになった部屋に、かすかに衣擦れの音が聞こえてくる。  扉一枚隔てた向こうで、今、本宮さんは裸なのだ。  俺は酒で少し温まっている頬を更に熱くした。目の奥がツンと痛い。やばい、鼻血出そう。  やがてバシャ、と水音が聞こえて、俺は我に返った。本宮さんの裸を想像している場合じゃない。  急いでベッドまで行くと、シーツのしわがないかチェックする。よし。  それから、ベッドサイドに置いてあるチェストを開き、中身を確認。ゴムに、ローションに、ティッシュもある。タオルも数枚準備してある。よし。  あとは、頭の中で手順を再確認。ごくり、と自分の嚥下の音がいやに響いた。 「ハルちゃん、風呂あんがとな~」 「うわっはい!!」  扉が開く音と共に本宮さんの声が聞こえ、俺は跳ねられたように直立した。  振り返れば、しっとりと濡れた本宮さんが。 「うっ…!俺も風呂入ってきます!」  俺は慌てて口元を押さえ、バスルームへ駆け込んだ。後ろから「ごゆっくり~」と声が聞こえた。  アルコールと湯上りの色気と緊張に中てられて、頭がくらくらする。  俺は隅々まで綺麗に体を洗った。あまり速すぎるとがっついてると思われそうだから、適度に急いで。  風呂から上がってからは服を着るべきか迷った。本宮さんは俺の用意していたTシャツとハーフパンツをしっかり着ていたが。タオル巻くだけで良いかな。どうせ脱いじゃうんだし。  俺は大きく深呼吸をすると、バスルームのドアに手を掛けた。どくんどくんと心臓の音が全身を支配する。  ……いざ!!  俺は勢いよく扉を開けた。

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