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第15話
ひとまず落ち着いたかと思われたが、本宮さんは直ぐまた口を開いた。
「あと、もうひとつ。二設に戻るって?」
その言葉に、目を瞬く。
「なんで…」
何故知っているのだろう。
確かに今日、俺は山科さんに二設に戻れるよう異動をお願いしたのだ。それこそ本宮さんから『間に合った』との連絡を受けた直後の話だ。
「山科さんに頼まれちゃったからね。引きとめてくれって」
本宮さんの説明に、俺は納得し、同時に失望した。
俺に会いに戻ってきたというのは、山科さんに頼まれたからか。説得のためなのか。なら、先ほど怒っていたように見えたのも、嫉妬ではなく俺の自己犠牲に怒っていただけか。
俺はいつも物事を良い様に解釈してばかりだ。その勘違いを思い知ったばかりなのに、また期待してしまった。
何とも言えず、俺は黙ったまま目を伏せた。
「なんで?一設に残るって言ってたのは嘘?」
「あのときは…その、つもりでしたけど……。自分に、あまりにも何もないって解ったんで。一設の仕事はペーペーだし、二設の仕事はそれなりにこなせるけど、まだまだ中途半端だから、いっそ二設に戻ってそっちで色々学んで完璧になろうかと、思って…」
「なにそれ」
唖然とした本宮さんの声にちらりとそちらを向くと、盛大に溜め息を吐かれた。本宮さんに呆れられるたび、泣きたい衝動にかられる。今すぐ穴に閉じこもりたい。
「別に完璧になんてならなくたっていいだろ。今回のこと気にしてるの?一設で学びたいって言ってただろ?」
今回のミスを気にしてないと言えば嘘になる。本宮さんの側にいたい下心も大きかったが、一設で学びたいと言った気持ちは本物だった。
「逃げるの?」
ぽつりと投げつけられた言葉に、かっと頬が熱くなった。
――そうだ。これは逃げだ。一設でコツコツ頑張ってもいい。だけど俺はこれ以上本宮さんの隣にいるのが辛かった。見栄っ張りな俺は、本宮さんにこれ以上かっこわるい姿を見られたくないのだ。
そんな自分の矮小さをあっさりと見抜かれ、俺の声は震えた。
「だって、だって…っ、このままじゃ、本宮さんに好きになってもらえないじゃないですか……」
涙が零れそうになったのをなんとか堪えたが、言葉は止めるとこができなかった。本宮さんが目を瞠ったのが解った。
「あんな簡単なミスして、かっこわるくって、自分が情けない…!こんなんじゃいつまでたっても、俺、輝くんたちと同じ立ち位置じゃないですか!本宮さん、いつまでたっても俺のこと好きになんてなってくれないじゃないですか!」
ああ、なんてバカなことを言っているのだろう。恨み事を言ったりして、女々しいやつだと嫌われてしまうかもしれない。
「このまま情けない姿ばっかり見られたら、本宮さんの特別からどんどん遠ざかっていっちゃうだろ!そんなの、そんなの嫌だ!」
相手が好きになってくれないからと泣いて駄々をこねるなんて、許されるのは赤子だけだ。今まさに特別から遠ざかっていっているのを実感している。だけど、俺の口はぽろぽろと泣きごとを漏らす。
「本宮さんの隣に並べるようになりたいんです!特別な『好き』が欲しいんです!本宮さんに必死に求めてもらえるようになりたいんです!」
そこまで一気に言い終えると、俺は肩で息をしながら立ち上がった。部屋には俺の荒い息遣いだけが響く。
「………すみません……」
謝って、とにかくこの部屋から帰ろうと思った。本宮さんの目の前から逃げてしまいたかった。
「なんで謝るの」
しかし、伸びてきた手が腕を掴み、予想外に強い力に引かれ、俺は再びソファに腰を沈めてしまった。体は不自然に斜めになって、腰を捻るようにして本宮さんに向きあわされる。
「ハルちゃん、ほんとに俺が好きなんだね」
ふと、柔らかく笑んだ本宮さんが目の前にいた。
言われていることはなかなかに尊大だ。俺と本宮さんの想いの差を、優劣をはっきりと示すかのような言葉だった。
しかし、その優しくて綺麗な笑顔に、きゅうと心臓が苦しくなる。
「好きです、好きですよ。…好きだから、ちょっと優しくされただけで…付き合ってるとか勘違いしちゃって…喚いて、すみません……も、帰ります。異動の件は、また、今度…」
今度こそ、と、俺は本宮さんの腕を振り払おうとした。しかし、それは力強く離れない。
「別に、勘違いじゃないでしょ」
「え?」
唐突になげられた言葉に、俺は目を丸くし動きを止めた。
「なんで勘違いとか思うの」
そう言う本宮さんは本当に不思議そうな顔で、俺もぽかんとした間抜け面で本宮さんを見返した。
「だ、だって、だって…本宮さん、みんなに優しいじゃないですか…輝くんとか、この前もショップに連れてったりして…」
「ああ、それは前から約束してたからな。もしかしてそれって普通じゃないの?」
「いや…普通、でしょうけど…」
会話を続けながらも、俺の頭はパニック状態だった。勘違いじゃないということは俺と本宮さんは恋人同士という関係で、それを素直に喜ぶべきなのに、嘘だ、違う、信じられない、そんなおいしい話があるわけない!と否定の声がぐるぐると頭を巡る。
俺は言い訳のように、でも、と、だって、を繰り返した。
「でも、だって…キスだって、俺だけがしたがって…」
「ん?俺からしなかったっけ?」
確かに言わずともしてもらった。だけど。
「あれも、俺がしてほしそうだったからって…!」
顔を真っ赤にして詰るように言うと、本宮さんは少しバツの悪そうな顔で笑う。
「ああ、それただの言い訳なんだけど…」
「え…」
言い訳?
目を丸くしていると、腕を掴んでいた手が離れた。それはそのまま上に上り、俺の頬を優しく包む。
「俺と輝が二人で出かけるの嫌だった?輝に嫉妬してた?」
真っ直ぐ見据えられて、俺はこくりと小さく頷いた。
「輝になんか、頼まれたってキスしたりしないよ?」
ハルちゃんだけ、と囁くように言われ、頭はまだ意味をちゃんと理解しきれていないけれど、俺だけだという言葉が嬉しくて、体が震える。
「ちゃんと言ってなかったから、駄目だったのかな。幸せそうに笑ってくれるから、勝手に解ってるって思いこんでた。ごめんね。ハルちゃんは全身で俺が好きってアピールしてくれるから、それが俺は嬉しい。俺、別に完璧な人間が好きだなんて言ってないよ?ハルちゃんが頑張って空回ってるとこもすごく可愛いと思う。男相手とか考えたこともなかったけど、ハルちゃんにはキスしたいって思う。出張抜け出して会いに戻ってきたいって思う」
少し首を傾げて告げてくる本宮さんに、言われていることをじわじわ理解してきた俺は、口を震わせて聞き返した。
「ぬ、抜け出してって…山科さんに、頼まれたからじゃ…」
「説得だけなら予定通り戻った後でもいいし、電話でだってできるだろ。それでわざわざ取引先との接待抜け出したりしないよ。ハルちゃんがへこんでたから、傍にいてあげたくて戻ってきたんだよ…それって特別じゃない?」
「も、本宮さん…」
それは、特別だろ。俺のおめでたい思考回路からしても、間違いなく特別だろ。
これって、確実両思いだろ。ラブラブだろ。ベストカップルだろ。
嬉しさに涙が滲む。そんな俺の顔を見つめたまま、本宮さんはふ、と苦笑した。
「でもね、俺、多分ハルちゃんが思っているような優しい奴じゃないから。でも、ハルちゃんは俺が優しくするたび精一杯喜んでくれるから、できるだけ優しくしようって…嫌な面は見せないようにしてただけだよ」
本宮さんの否定的な言葉に、俺は慌てて首を振った。
「嫌な面なんて、ありません!」
しかし、本宮さんの苦笑はますます深くなる。
「だから見せてないだけだって。たとえばー…俺、キスとかセックス大好きだし。あと苛めるのも結構好きなんだよね」
「え?」
意外すぎる本宮さんの言葉に、俺は目を剥く。セックスとかの直截的な単語がこの綺麗な顔から出ると、こちらが恥ずかしくなってしまう。
そして、俄に不安がよぎった。
「でも、土曜日…」
そう、俺が奮起していた土曜日。あれほどあからさまな誘いを、本宮さんは見事にスルーしてしまったではないか。セックスが好きだというのなら、俺の意図に気付かないはずないだろうに。
「ああ、あれってやっぱり誘ってくれてた?」
「う…はい……」
案の定、気付いていたようだ。こちらを伺ってくる本宮さんは少し申し訳なさそうにしている。
もしかして、本宮さんが言うセックスは、女性限定?それなら、俺はどうなる?
「まだ時間欲しかったんだ。優しくできる気しないから。男同士も初めてだし。それでハルちゃん離れていったりしたら嫌だし」
そんな、離れるわけがない。そう言う前に、本宮さんがあっと声を上げた。
「もしかしてそれも勘違いの原因?」
確かに、それもというより、それが一番割合的には大きいかもしれない。しかしここで素直に頷くのもなんだか申し訳なく、俺は誤魔化すように首を振った。
しかし、表情には色濃く出ていたらしい。
「ごめんね」
本宮さんは謝って、もう一方の手も俺の頬に持ってきた。両手で顔を包まれて、触れる面積が増えて自然に体が緊張する。
本宮さんはもう、苦笑を浮かべてはいなかった。
「必死に求められたいんだっけ?」
「うあ。は、はい…」
先ほど、そんなことを口走った気がする。俺はぼそぼそと頷いた。
顔を固定されて、目を逸らせない。本宮さんと見つめ合うのは嬉しさより恥ずかしさが勝り、どんどん顔が熱くなっていく。この熱が本宮さんの触れた手にも伝わっているのかと思うと、ますます恥ずかしい。
「優しくなくてもいい?」
「優しくなくても、本宮さんが好きです」
俺は即答した。
だって、きっと本宮さんは優しい。本人が優しくないと思っていても、俺から、他人から見ればすごく優しいのだ。
じわじわと本宮さんの顔が近付いてきた。すぐ側に迫った美しい顔に、心臓が激しく脈打つ。
「じゃあ、キスしてもいい?」
自分の願望が漏れたのかと思った。しかし、差し迫った薄い唇から紡がれた言葉は、紛れもなく本宮さんが望んでいることで。
「してくださ…っ」
一も二もなく頷く俺の言葉を遮って、噛みつくように口づけされた。
勢い余って、二人してソファの上に倒れ込んでしまった。ソファの端から頭を少しはみ出してしまった俺の上に、本宮さんが覆い被さる。
首が痛いが、そんなことを気にする余裕はなかった。今までの可愛らしいキスが嘘みたいに、本宮さんは俺の唇を嬲ってくる。
薄く開いた口から、ぬるりとした熱いものが割り込んでくる。本宮さんの舌だ。それに応えようと俺も舌を差し出して絡めようとした途端、千切られるんじゃないかと思うほど強く舌を吸われた。
「んんっ、ん――っ!」
驚きと痛みに思わず鼻を抜けて声が上がる。直ぐにそれは解放されたが、じんじんと痛みが残ったそれを、今度は優しくじっとりと舐め上げられ、ぞくぞくしたものが背筋を駆けあがる。紛れもない快感に体が震えた。
逃さないとばかりに顔を掴む手に力がこめられ、そのまま上顎や歯列を舌が這う。かすかに声が漏れ出てしまうのが、媚びる女のようで恥ずかしかったが止めようもなかった。
「ふっん…っ、んん、はぁ…っ」
やっと唇が離れた頃には、俺は息も絶え絶えだった。滲んだ視界に本宮さんを見ると、その唇がどちらのものともつかない唾液でつやつや濡れていて、それをぺろりと舐め上げる姿が堪らなく色っぽい。ずくんと下腹が疼いた。
「大丈夫?」
そう聞いてくる本宮さんは、俺とは対照的に随分と余裕そうだ。
「だ、だいじょぶ、です…」
本当は大丈夫なんかじゃない。激しすぎるキスに頭はくらくらするし、体は欲情しまくっているし、いっそのこと気を失ってしまいたいくらいだ。
ぜーはーと肩で息をする俺を見ながら、本宮さんはにんまりと悪戯っぽく笑った。
「なら、もう一回」
「えっ」
十分に驚く間もなく、本宮さんの顔が降りてくる。拒む理由はない。
先ほどの倍以上の時間、何度も何度も唇を重ね、舌をからめ合う。貪られるという表現がぴったりなほど激しいそれに、俺は生まれて初めて、口の中がどろどろに溶けてしまっているような錯覚を受けた。
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