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一部 兄とマウラ-2
「それは、私の初恋、……だったのだと思います。それまでとは全く違った。私は彼女に会いたくてたまらなくて、何度もあの部屋に行って彼女と話した。会話をスムーズにしたい一心で英語も猛勉強しましたよ。何かを学ぼうと思う時のモチベーションなんて、そんなものですよね」
「確かにね。愛は人間の全ての衝動を司っている。私はそう思うわ」
マウラは二本目のビールを開けながらそう言った。幸哉も苦笑して頷く。
「でも私は彼女に指一本触れなかった。実は何度か誘われたんですけどね。抗いがたい誘惑だったけれど、耐えきりましたよ」
それをしたら父と同じになる。父が彼女にしていることは醜悪だと、その頃幸哉は感じていた。
「セックスは醜いものではないわよ。愛を育 むことのできる、素敵な行為だわ」
「今は、分かります。父の気持ちも」
「ならいいのよ」
マウラはそう言って、続きを促すように幸哉を見た。
「ある日、彼女が妊娠したと言いました。それはとても幸せそうな笑顔で。私は絶望して部屋を飛び出して、それからそこに行けなくなった。だから淳哉が生まれたあたりのことは全く分からない」
「……そう」
「でも実は、近くまでは行っていたんです。マンションには入らなかったけど」
「あら、可愛いのね。その時あなたはいくつだったの?」
「淳哉が生まれた時は二十歳です」
「まあ! 二十歳でまだチェリーボーイだったの?」
「いえ、……高校時代に、経験はありましたが」
「あらあら、ちゃんとしてたのね。それは良かったわ」
「……マウラ、話を進めてもいい?」
幸哉が言うと、マウラは肩を竦めて笑った。
「ごめんなさい。どうぞ続けて」
彼女が幸哉の緊張を感じて、ほぐそうとしてくれているのが分かったので、幸哉も笑みを返した。
そしてわざわざそこに行っていたわけではない。ただバイト先がそのマンションの近くだっただけなのだ、と付け加える。
するとマウラはクスクスと笑って頷いたのだった。
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