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一部 兄とマウラ-3
「それからバイトの帰りや大学の休みに、淳哉と遊びに行くようになりました。でも近所の公園で会う子供たちは、淳哉をいきなり仲間には入れてくれなかった。子供なりにコミュニティーがあり、母親同士のつながりもあって、ほとんど家を出ていない淳哉は、ここに住んでいるのによそ者扱い。このままではいけないと思って、僕は父と話しました」
「……そうなの。それまではお互い……あなたもお父様も、親子について話していなかった、ということね」
マウラに頷き返しつつ、幸哉は語った。
「まだ大学生だった私が、父の職場へ行く事なんて無かった。けれどいきなり職場へ行って、執務室に乗り込んだ私を、父は追い返しはしなかったけれど訝 しげに見て『何の用だ』と言いました。いつも通り、横柄というか、必要最低限しか口にしない感じで。けれど『淳哉のことです』というとすぐに人払いをした。その時私は初めて、動揺した父を見ました」
二人きりになった執務室で、『おまえいつから……』とあらわな狼狽を見せ、声を途切れさせる。父のそんな表情は初めてで、幸哉は不思議な感覚になったが、それを言葉にするのは難しい。なんとなく、この父も普通の男なのだな、といった感慨 が胃の腑 に落ちたようだ、と言えば一番近いだろうか。
『だがな、最近はあそこに行っていないんだ。子供ができて俺も反省した。これから具体的にどうするか考えているところなのだ。おまえ、このことは絢子 には……まさかもう知っているのか』
言い訳を始め、母を気にする父を見て、幸哉は母の為に安堵すべきか、彼女の為に怒るべきか迷い、結局ただ『母さんには言わないよ』とだけ口にした。
それを聞いて目に見えて安堵した父を目の当たりにすれば迷いは消え、それより急いで話すべきと思っていたことを口にした。淳哉の生活について相談したいと告げた、その声は我ながら冷静だった。
「母に知られていないと分かってすぐ、いつもの父の戻りましたよ。尊大な感じで『淳哉については、おまえが良いと思うようにすれば良い』と言われて、なんとなくがっかりしましたけれど。まあ、とにかく急ぐべきと思っていたので、その場はそれを優先させて納得することにしました。
色々話したけれど、『そんな些末 なことに自身で係わる暇は無い』とはっきり言われて、やはり父は父だなと、そういう意味でも納得しました。
結論から言うと、あの子は保育園に通うことになりました。書類や手続きなど必要な事全て、秘書に話を通しておくからそちらへ言え、ということで話は終わって、通いのヘルパーに送り迎えをさせることを契約に追加して。それからは友達もできて、淳哉はどんどん活発な子供になりました」
言葉を切った幸哉に、「それは良いことをしたわね」と言ったマウラは腕を組んで、眉を寄せている。
幸哉は苦笑して、マウラの険しい顔を見返した。
「怒っているのは私に? それとも父に?」
「どっちもよ。そんなことをする前に、なぜ彼女をこっちに送り返さなかったの? ミスタ・アネサキがそう言う状態なのなら、日本に留まる必要などなかったでしょう。そうすればあなたのお母さんの危険もないし、彼女もひとに頼らず母親の責務を果たせた。ジュンだって母親ともっと普通に楽しい生活を送れたはずよ。環境を整えてやる事が必要だとは思わなかったの?」
「彼女がそれを拒んだんです」
「……なんですって?」
「父と離れたくない、日本に居たいと。彼女が自分でそう希望したんです」
マウラは眉を寄せて大げさに両手を拡げた。
「ありえない! もうほとんど顔を見ることも無かったのでしょう?」
「僕もそう思いました。けれど彼女は違った。それに後で分かったことですが、出産後、父は一時的にでも米国へ戻れと彼女に言っているんです。それを拒否して、日本への帰化手続きを望んだ。ですがそれは難航していた。働いておらず日本人と結婚していない彼女の帰化は難しい。その時、まだ淳哉は認知されていませんしね。大っぴらにできる話でもないですし、姉崎の名前を出したくない父にも、何もできなかった」
幸哉は眉を寄せ俯いて続ける。
「それに、……父が語ったところが正しいのなら、父が日本へ帰国するとなったとき、彼女が一緒に連れて行ってくれと懇願したようなのです。彼女がなにを思ってそういう行動に出たのか、正確なところは分からない。ただ、一つ推測は立てました。そもそも父の帰国に彼女がついて来たのは、国外脱出が主目的だったのではないか」
「なら、ジュンを彼女から引き離すべきだったわ。好きな時に友達と遊べもせずに閉じ籠もるより、その方がジュンには良かったでしょうに。日本にだって子供を一時的に預かる施設はあるでしょう? なぜその道を選ばなかったの」
「そんなこと出来るはずが無いでしょう!」
低く叫ぶような幸哉の声に、マウラはくちを閉じた。きつく眉を寄せ、睨むような目を向けている幸哉は、食いしばった歯の隙間からきしむような声が漏らす。
「……あなたなら、そんなことができると言うんですか。あの親子を引き離すなんて、そんなことが」
マウラは眉を寄せ、また腕を組んでため息をついた。それにハッとして、幸哉は顔をうつむける。
「すみません。感情的になってしまいました」
「いいえ。まだ話は終わっていないのだし、意見は先を聞いてから言う事にしましょうか」
そう呟くように言ったマウラは、しかし悔しげだった。
その気持ちは幸哉にも良く分かる。
いままで幸哉自身、痛いほど感じていた感情だからだ。
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