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一部 兄とマウラ-4

「保育園に通うようになって、淳哉の世界は広がり、ますます活発になりました。淳哉の話を聞いただけですが、友だちとちょっとした探検をしたり、ケンカしたり、ゲームなんかも覚えてきて、私が予想した以上に淳哉は保育園を楽しんでいるようで、安心しました」 「なによりなことね」  マウラはビールを二本でやめ、コーヒーをいれたので、幸哉もそれを貰って、カップに口を付けた。 「けれど彼女は違ったようです。淳哉が帰ってきてその日あったことを話すのを、笑顔で聞いてはいるけれど、寂しそうな感じはありました。私が勧めても彼女はマンションに閉じこもったままでしたし、父からの援助で金銭的には問題無いですから、働く必要はないと言われれば、それ以上強くは言えませんでした。通いのヘルパーが買い物やゴミ出しもやってくれる。『遊んで暮らせるのだから幸せよ』そんな風に言うくせに、どんどん表情から明るさが消えていくような気がしました」  最初に会った時のような、挑戦的で強気な彼女とは違う、どこか達観したような厭世観漂う様子は、まだ二十代と見える年令にそぐわないように思えた。  淳哉と二人で完結していた時、彼女は幸せそうに輝いていた。あんな風に笑えるようになって欲しいと思い、幸哉はもっと外に出るべきだと何度も言ったが、彼女は首を振るばかりで、従おうとはしてくれなかった。 「子供に依存する母親というのはいるわね。自分の存在意義を子供の母であるということでしか認められないのよ。愚かなことだわ」 「……あの時、私はどうするべきだったんでしょう」 「過ぎたことを言ってもしょうがないし、ケースバイケースで、なにが正解かなんて私には言えないけれど」  マウラはカップから一口飲んで、幸哉にニッコリと笑いかけた。 「自分を気遣う人がいるというのはとても大きなことだわ。あなたはそれを懸命にやっていた。ベストは尽くしたと言えるのじゃないかしら」 「いいえ」  幸哉はため息混じりに言い、苦く笑った。 「私は自分のことにかかりきりになってしまったんです。しばらくあの部屋へ顔も出さなくなってしまった。父と同じです」

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