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二部 Lovers-3
二十分ほどで到着したのは、明らかに三つ星レベルのフレンチだった。
広い敷地に迎賓館のような荘重な佇まい。内装も豪華だがきらびやかではなく、どっしりと貫禄のある設 え。透は思いっきり気後れした。
訪欧中、こういう場所で食事をしたことはある。だがそれはあくまでお相伴 にあずかる形であって自分で予約を入れたことなど無いし、マナーについても不快な振る舞いがあったら言ってくれ、と事前に自己申告していたレベルだ。
なのにこんな凄そうな店にいきなり連れて来られても困る。そのうえ迎え入れてくれたウェイターがあまりにもシュッとして落ち着いているので、透の方がどぎまぎした。心の準備が必要だってくらい分かれ、と言いたくても、ここでそんなこと言ったらマズイかと思うと言えない。
だが淳哉は実にスマートだった。
尊大ではないし、むしろスタッフを気遣う言葉さえあるのに、この場の主 が誰かを示すようだ。席についてからも、透は目を瞠るしかなかった。ワインを選び、ウェイターへ受け答えする、そのどれも場に合っているのにさりげなく、偉ぶった感じもない。こいつはこういう場所に慣れているのだな、と改めて思う。
そのうち淳哉の笑いかけてくれる顔と声が、いつもとまったく変わらないのに気づいた。
淳哉が、透と一緒にこの場を楽しもうとしていると分かれば、透も徐々に落ち着いて来た。緊張したところで、楽しめなくなるだけだ。
透の覚えているマナーによるとタブーにあたるような食事の仕方も、堂々としているのでそういうものかと思わせる。だが淳哉がマナー知らずには見えず、透はこそっと問いかけた。
「あのさ、そうやってフォーク持ち替えるのってアリなのか?」
「ああ僕の食べ方ってアメリカ式だからね。透さんはフランス? イギリス? そういうのうるさい人って、アメリカ式を否定しがちだけど、そんなの気にしないよ」
「気にしなくて良いのか。だって、恥をかくことになるんじゃないのか」
「こういう店の人ってそんなこと言わないよ。目的は楽しく食事することなんだし、ぜんぜん平気」
確かにウェイターもソムリエも淳哉を軽んじる風は無いので、そういうものかと納得する。
そうして朗らかに食事を楽しむ淳哉に引っ張られるように、透も美味を堪能した。どの料理も目を楽しませてくれる上に、とびきりうまい。そのうち淳哉の今日は下世話にならない軽口に笑う余裕もできて、とても楽しい食事となった。
こういう場所でいつも感じる気後れが、まったく感じられないのが不思議だ、と思い、それが淳哉の話術やさりげない気遣いによるものでは無いかと考えが進んで、しみじみ感心する。
相手を楽しませる話術と、呼吸するようにさりげない気遣い。なのに驕らず、本人も楽しんでいる。自分のような凡人が感じてしまう気後れや緊張などはまったく無いのだろう。
それはヨーロッパ留学中に出会った、元貴族とか現貴族とか、そういう人たちに感じたものに、とても似通っているように感じられた。
(こいつって、どういう育ちなんだろう)
透はずっと聞けずにいた疑問を、今日なら問えるような気がしていた。
ゆっくりとフルコースを味わい、デザートまでしっかり堪能して、店を出るとまた車に乗せられた。
「少し遠回りで帰りたいんだけど、いいよね」
別荘に泊まるのだから、時間を気にする必要は無い。そもそもココがどこか分かってないくらいだし、運転するのはおまえなんだから、連れて行かれる場所に文句を言える立場でも無い。
そう言うと、淳哉は笑って「そうだね、うんうん」などと適当くさく言いながら、車を発進させる。
「遠回りって、どっか行くのか?」
「うん、キレイなところがあるんだ」
キレイってなにが、と聞いても笑って誤魔化すばかりでちゃんと答えない運転手は、外灯もまばらな道を走らせる。
やがて到着したのは、丘というかちょっとした山というか、鬱蒼と木が生い茂っている場所だった。
ちょっとした広さの平地にはなっているようだが、暗くて様子が分からない。
車を降り、ライトが消えると、本当に真っ暗だ。
聞こえるのは木のざわめきのみ。こんな場所で、いったいなにがキレイだって?
「おい、なんだよ、ここ」
不安になっていることを極力押し隠して声を出したが、「大丈夫だよ」淳哉にギュッと手を握られて、なんだかホッとする。
「怖いんなら抱っこして行こうか? それも良いけど、木の根とかでコケちゃったら一緒に怪我することになるね」
「ばか、なに言ってんだ。怖くなんか」
「あはは、じゃあ歩く?」
「あたりまえだ、ばか」
淳哉がバカなことを言ったので、少し気が楽になる。
「了解。ゆっくり行くね」
手を引かれるまま歩いて行くと、天を覆っていた木々の合間に夜空が見え、さらに歩くと木立が切れて、視界が一気に開けた。
とはいえ夜の山間は真っ暗で、外灯もろくにない景色はひたすら闇が広がるばかり。昼間なら良い眺めなのだろうけど、と思っていると、淳哉がと言った。
「透さん、空を見てみなよ」
言われるまま視線を上げる。
「……うわ…」
思わず声が出た。
出るが、それ以上言葉が出でこない。それは本当に言葉を失うほどきれいな――――満天に広がる、降るような星。
月齢の浅い、細くなった月の周りに、とびきり輝く宝石をちりばめたように、たくさんの星が瞬いていた。
広い帯のように星が密集しているところがあり、天の川といわれるものはこれか? と思う。確かに星が川のように見える。もし違うのだとしても構わない。ただただ美しい夜空に感動した。
「きれいでしょ。ここら辺は街の明かりないし空気きれいだから、星がよく見えるんだよね。前に甥っ子と来たんだけど、僕は目が悪くてイマイチ分からなくてさ。でも透さんなら、目と耳はいいっていつも言ってるし、よく見えるんじゃない?」
「……うん。……まじできれいだな…」
呆けたように返す透の肩にそっと手が乗った。
目をやると淳哉の顔が近づき、待っているとくちづけされた。柔らかくふわりと降り立つような優しいキスを受けながら、柔らかく抱き締められる。ただ愛しむような唇の感触に、夢見るような心もちで目を閉じる。
いつものようにエロいことをしない淳哉が嬉しくて、透も自分から背に腕を回して唇を押しつける。しばらく柔らかく食むようなキスが続き、やがて唇が離れた。
目を開くと、眼鏡をかけた恋人の、きれいな笑顔がすぐそこにあった。その背景には、やはり降るような星空。
「気に入ってくれた? 透さん、イイ想い出にしたいって言ってたからさ」
「………淳哉……」
自分が言った一言を、考えてくれたのだ。
涙が出るほど嬉しくなり、透は淳哉を抱き締める腕に力を込めながら言った。
「おまえ、洒落すぎたことするな。びびるだろ」
恋人は嬉しそうに笑みを深めて
「すごく嬉しいんだね」
と言った。
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