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二部 Lovers-4

 甘いキスを受けながら目を開くと、振るような星空が、髪の向こうにかいま見えた。  もっと見たくて肩を押すが、腕は緩まない。 「おい」 「はいはい」  クスクス笑いながら腕を緩めた男の表情が分かる。  真っ暗なはずなのに、見下ろしてくる恋人のメガネ越しに細めた目が、本当に嬉しそうなのだと、それも分かる。  その背景には、圧倒的な圧力を伴う、ちりばめられた星たちと、細く痩せた月。  そこに薄い雲が漂って覆い隠し、やがて流れ去る。  さっきは怖れしか呼ばなかった樹木のカタマリだが、今は梢を風に揺らしているのが分かる。  目を下ろすと、真っ暗にしか見えなかった斜面は樹木で覆われて、静謐なざわめきを聞かせてくれていた。  余計な明かりがないからこそ、目は闇に慣れて闇の中に景色を見つけ出す。  どこか幻想的な美しさ。  星明かりという言葉だけは知っていたが、これこそがそれなのだ。  透はなんでも理屈っぽく思考してしまう習性(クセ)がある。しかし今、理屈では表せない感情をもてあましたかのように、ただぼうっと感じ取っていた。  どれくらいの時間、そうしていただろう。  我が儘な恋人が「僕も見てよ」と甘えた声を出しながら、背後から抱きしめてきた。背中が温かい。 「いつも見てるだろ」 「でも透さん、冷えてきてるよ」  星明かりに顔半分を照らされた淳哉に覗き込まれ、思わず目を伏せた。 「よくないよ」  と続いた声に、ため息が出る。 「……そうだな」  言われてみれば、確かに手の先はかじかんできていた。  けれどまったく感じていなかったのだ。 「透さん、夢中になると無理するから」  笑うような囁き声と共に肩にかかったのは、淳哉のジャケットだ。透より二回りくらい大きいので、スーツを着た上からでもすっぽりと肩を覆ったそれが、じんじんと染みるような温もりをくれる。 「……ああ俺、寒かったんだ」  透は治らぬ病に罹っている。発病してから3年。病状は一進一退。  原因不明の病気なので治療法は確立していない。定期的に検査を受け、痛みを軽減する薬を処方され、……医者がしてくれるのはそれだけだ。  いや、それだけでもありがたいと言わなければいけないだろう。治らない以上、極力悪化せぬように生活していくしか無い。  暑すぎることも、寒すぎることも、この病気には良くない。  ストレスを感じることも悪化の一因となる。  食事に気を遣い、適度な運動を心がけ、激することを避け。ストレスを感じないよう、極力心穏やかに、安らかに、そうして……やがてなにも成さずに朽ちるのだと……そう思っていた。  いつ死ぬか分からないと、今日死ぬのか、明日死ぬのかと、考えまいとしても、気づくとそんなことを考えてしまっていた。  夜ベッドに入っても、果たして無事に目覚めるだろうかと怯えて、眠れなくなるほどに。  それがコイツと付き合うようになって、徐々に変わって行っている。  もともと主治医は、透が働いて自由に生活することを許可してくれていた。 『ベッドに縛られるのがストレスとなる』  と判断し、好きにさせてあげませんかと家族を説得してくれたのだ。  家族は煩わしいほど透の体調を気にするし、なにくれとなく気遣ってくれる友人もいる。  それでも、どうしても、打ち消せなかった。  徐々に体を沈ませていく泥沼にはまったかのように、毎日少しずつ絶望を深くしていた。結局は無為に朽ちるしかないのだと、そうとしか思えなくて。  なのに、コイツとの出会いがあった。それからの日々は、どんどん鮮やかな色彩を描きこんでいく画家の筆のように、目に映る全てに明るい色を付け加えてくれている。  ありがたい、と、透は思う。  不治の病だと知って絶望と自暴自棄を隠すことすらできず、周りに当たり散らしていたような人間に、なぜこれほど世界は優しくしてくれるのか。 「また今度見に来ようよ。いつでも連れてきてあげる」  横目で見ると、メガネをかけたキレイな男が、ニッコリとうさんくさい笑みを浮かべている。 「……ほんとか?」  わざと疑いを隠さぬ目で睨んでやるが、淳哉は「もちろん」と目を細めて、笑みを深めただけだった。  これはなにか企んでるな、と思う。 「うそくせえな」  すがめた視線を送りつつ、そんなコイツも可愛い、などと思っている自分がおかしくなって、透は耐えきれずにククッと笑ってしまう。 「やだなあ、本当だって。また来ようよ」 「……そうだな」  暖めるように肩を抱く腕に逆らわず、誘導されるまま車へ戻った。  乗り込むと、淳哉は早速エンジンをかけ、ヒーターを入れる。  暖かくなっていく車内に、思わず、ほう、と息を漏らしていた。 「大丈夫? 早く帰った方がいいね」  ヘッドライトをつけたら、あれほど深い美しさを見せていた森も空も、ただの闇になってしまった。  さっきまでの幽玄ともいうべき美しさを忘れたくなくて目を閉じる。 「なんかさ、透さんずっと見てたそうだったから、……でもごめんね、もっと早く声かければ良かった」  車は静かに走り出す。 「今度行くときは、ちゃんと暖かいカッコして、暖かい準備もして行こう」  低く柔らかい声音が耳を打つ。 「今日はさ、早く帰って、暖かいものでも飲んでさ」 「……うん」  ああ、やっぱりこいつの声は良いな。なのになんで歌うと音痴なんだろう。不思議だ。 「お風呂に入って温まるとか」 「……いいな」  くちもとに笑みが浮かんでいる自覚も無く、目を閉じたまま、透は愛しい声を永遠に聞いていたくて、適当に相づちを打つ。 「そうだ、暖炉に火も入れよう。僕得意なんだよ」 「……そりゃ、いいな」 「ていうか僕、透さんに会えてホントに良かったよ」 「……ああ。……え?」  いつもの軽い口調だったから、一瞬なにを言われたか分からなかった。 「今までこんなに誰かを大切に思うことなんて無かったから」  声のトーンが変わった。  落ち着いた低い声に目を上げると、淳哉は前を見て運転しながら、優しい笑みを浮かべていた。 「ほんとにさ、思うんだ。こういうのが幸せってやつ、なのかな、なんて……ははっ」  今度は胸の内がぽかぽかと暖まっていく。 「らしくないか。ごめん忘れて」  コイツが自分と居て幸せだというなら。ならば自分は、ここにいて良い、いや。  いるべきなのだ。  コイツに少しでも幸せを感じさせる。  それこそが、透にとって、もっとも重要だ。 「ばか、忘れてやるか」 「え~? なんで?」  そして透は、自分を肯定する。  こうして生きていることに、意味があると思える。 「俺も……おまえに逢えて幸せだよ」  なにより幸せにしたい奴を、自分が幸せに出来るのだから。  車が、止まった。 「ちょっと、待ってよ。キャラじゃ無いでしょそういうの」  そんなこと言われて、どっと恥ずかしくなる。 「うるさい。車、止めるなよ。早く帰るんだろ」 「やばいなあ、すっこくエッチしたい。今すぐ押し倒したい」 「ばか。あったかいモン飲んで、風呂なんだろ?」 「透さん、大好きだよ」 「ばか」  再発進した車は、それまでと比べものにならないスピードで走り……  止まった車から降りると、強引に手を引かれるまま階段を上って、もどかしいような動きでドアを開いた恋人に、有無を言わせず抱き上げられる。 「ばっ、なにしてんだっ!」 「もうダメ、盛り上がっちゃった」  熱い吐息と共に耳元に囁きを落としつつ、淳哉は透を横抱きに抱いたまま階段を駆け上がる。 「めちゃくちゃ欲しい」  そのままベッドルームに飛び込む淳哉に抗う術など、透は持たなかった。

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