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二部 ※Lovers-5

 いつか二人で濃密な一夜を過ごしたベッドルーム。  透を抱き上げたままそこへ飛び込んだ淳哉は、性急なそれまでとはまったく違う気遣いを見せ、大切そうにそっと透をベッドに横たえる。  勢いに息を詰めていた透は思わず、ほう、と息を吐くと、満面の笑みを深めて顔を覗き込み、チュッと軽いキスをした。 「大好き。もうたまんない」  クスクス笑いながら、チュッチュッと唇をついばみながら、器用な手に抗わず、高価なオーダースーツを剥ぎ取られていく。  ネクタイを抜かれ、シャツのボタンを外す指を認識しつつ、透からも首に腕を回し求めると、口づけは深くなった。  およそ半年ほど前、夏の盛りに、透はココに連れてこられた。  到着したときは暗くなりかかっていて、なし崩しにこのベッドで身体を重ねた。  そのとき、コイツとはもう逢わないと心に決めていた透は、淳哉の企みに気づいていたけれど、流されたフリをして抱かれたのだ。  もう逢わない方が良いのだ、それがコイツの為なのだと。だからせめて、たまらなく愛しいと恋い焦がれたこの男のすべてを覚えておこうと、受けられる限り、なにもかも受け止めようと、それだけを考えていた。  その時の、愛しさと切なさに潰れそうだった胸の痛みも覚えている。  そして今、あのときとはまったく違う幸福感に包まれながら、透は同じベッドで、男のわがままをすべて受けとめる。  あふれるほどの愛情を向けられ、これでもかと大切にされて、自分にだけ向けられる我が儘を受け止めることは、今まで知らなかった喜びだった。  過去に恋愛らしいことの経験くらいはある。けれど自分は冷めたタイプなのだと思っていた。  恋愛などと言っても、所詮は他人同士がひととき肌を合わせる相手を選んだに過ぎない。不誠実な真似をした覚えは無いが、余計な手間暇をかけるつもりも無かったし、余力があるなら仕事に向ける方が効率的だと、そんな風に考えていた自分が。  今は、すべてを注力して、一回りも年下のこの男を幸せにしてやりたいと願っている。  愛しいと思う相手に愛しさを向けられることが、これほどの至福だなど、これほどの深い充実感をもたらすなど、想像もしていなかった。  これを、世界には愛しいと思う故の幸福があるのだということを、知ることが出来たからこそ、透は眠りに落ちる瞬間を恐れずにすむようになったのだ。  一人ではないという安心感と共に。  家族には愛されていると思う。自分も家族には愛情を持っている。だが母の腕に抱かれても、これほどの安心感は得られないだろう。淳哉の胸だから、淳哉の腕だから、これほどの安堵を得られるのだ。  このまま目覚めることが無かったなら、……そんなことを考える余地が無いほど、胸が愛しさに満たされているから。  いつも楽しそうに細められている瞳。細く鼻筋の通った鼻。薄桃色で薄めの唇。低く響きを帯びた声。クセの強い柔らかな髪。鍛えて均整の取れた体躯。美しい淳哉。  外見は理想的だが、愛しさを感じるのは、それゆえだけではない。  他では見せない笑顔。甘える声。分かりやすいわがまま。常に透を気遣う目。  淳哉は可愛い。  いい年をした男相手に向ける感情としてはおかしいのかも知れないが、透にとって淳哉は、なにもかもが可愛く、愛しい存在だ。加えて身体を気遣ってあれこれ気を回してくれるので、感謝の念が日に日に強まり、家族とはまったく質の違う、強い情愛を抱くに至ったのはいつからだったか。  そして今。  性急に肌を露わにした淳哉が、透の肌を撫で回し、至る所に舌を這わせている。久しぶりの交わりに堅くなりがちな身体に熱を灯し、ほぐしているのだ。  ……と言っても一週間ほどのブランクに過ぎないのだが、日に何度も「今日はイイ?」と聞いてくる淳哉にとっては 「もう一瞬も待てない。久しぶりなんだから」  ということらしい。  待てないと言いながら、淳哉は性急な挿入をしようとはしない。決して透の身体に痛みや不快感を与えない。ひたすら狂おしいほどの悦楽のみを感じさせようとするのは、ストレスが病気に及ぼす影響について気遣っているのだろう。  手や唇で丁寧に暖められ、これ以上無いほど昂ぶらされ、身体は熱を帯びてじっとりと汗ばんでいる。 「もう良さそうだね。行くよ、透さん」 「ぁ……っ、じゅ……や……っ」  さんざん昂ぶらされた身体は、入念な準備を終えた後ろに押し込まれる熱塊によって、さらに温度を高めていく。ゆっくりと腰を進める間も、鼻先に、額に、唇に、目元に、触れるようなキスが降り、悪戯な舌が眼球を舐り、耳孔にねじ込まれ……身を震わせ、声を漏らし、手は汗ひとつかかない白い肌に縋るようにしがみつく。  全てを収め、馴染むまで動かない彼に、息を整えながら目を上げれば、キツく寄せた眉と噛みしめた唇が、あり得ないほどの忍耐を示している。 「はあ……さいこう」  彼の漏らした、低く甘えるような声に、気持ちよさそうに目を細めている表情に、心臓を鷲掴みにされる。  いったい何度抱かれれば、この心臓の痛みを伴うような高まりを感じずに済むのだろう。  愛しい。愛しい。愛しい。  男の精を何度も体内に注ぎ込まれ、あられもない声を上げつつ歓喜に浸る。愛されている。それが実感できる。透にそう信じさせるために、この男はあらゆる手を使ってきたのだ。  情熱的に、甘えるように求められる喜び。彼が透に施すすべてを、なにひとつ取りこぼすまいと自らしがみついて、さらに多くを求めると、透が欲する以上のものが、狂おしいほどの快感となって返ってくる。滴るような情熱を浴びて自我を手放さざるを得ないほどの悦に塗れ、至上の幸福を覚えて、こみ上がる愛しさと共に、透も行為に溺れる。  セックスがこれほどの悦楽をもたらすものだと、この男に抱かれて初めて知った。  激しく奥を抉る熱塊と、逞しい腕に抱かれ、求められるまますべてを受け入れるのが、これほどの多幸感を覚えるものだなどと、想像もしていなかった。かつての自分との差は、自分自身の意識の差だ。  淳哉は変わらない。まったくぶれずに透へ気持ちを向けてくれている。  そうして今、何度跳ね返しても邪険にしても(こた)えずに愛を告げ続けるこの男が、愛しくてたまらくなっているのは透の方だった。  この世に変わらぬものがあるなら、おそらく自分のこの想いは死ぬまで変わらない。たいして長くないであろう生を、この男の幸せのために使いたい。  解放されるまで、どれくらい時間が経っていただろう。  全身どこにも力が入らないほどぐったりしてしまったけれど、久しぶりに淳哉の欲望をひとつも拒まず受け入れた透が感じたのは快い疲労で、息を整えながら目を閉じる。髪を撫でられ、ふと目を開くと、淳哉が笑み満面で顔を覗き込んでいた。 「疲れちゃった? でも気持ち良かったでしょ」  淳哉の髪や肌が少し濡れていて、「なんで濡れてる」問うと「風呂用意したんだよ」とクスクス笑ったので、透は自分が短い眠りに落ちていたのだと知り、「俺、寝てたのか」と呟いた。 「めちゃくちゃ可愛い寝顔だった」  鼻の頭にキスを落とされて、照れくささと共に笑みを返す透を、はしゃいだ様子を隠そうともしない淳哉は抱きあげ、浴室へ運んだ。  身体中、隅々まで淳哉に洗われるのは、すでに日常的なルーティンになっている。最初は自分で洗えると抵抗したが、コイツはとても楽しそうなので、もう好きにさせることにした。髪まで丁寧に洗われ、浴槽に浸かっている間に、淳哉は手早く自分を洗う。  長湯すると発作が出やすいので、湯に浸かる時間はあまり長く取れない。淳哉は自分の身体を浴槽に置いて、いつもシャワーでゆっくり身体を温めてくれる。   髪まで乾かして再びベッドへ戻ると、淳哉は実に満足げな笑顔で透の身体をうつぶせに横たえ、丁寧にマッサージを施しはじめた。  透の病気にとって、筋肉の調子を日常的に確認することはとても重要だ。そうと知って、淳哉は時間があればこのようにマッサージをするようになった。  いつもはそこからセックスに持ち込みたがるので困るのだが、今日はすでに満足しているためか、からかうような言葉はあってもいやらしい触り方はしないので、透も安心して体を任せる。  風呂に入ってほぐれた身体と少し眠っただけでは解消されない疲労感、そしてマッサージの心地よさと、それをしているのが淳哉だという安心感。  透は徐々に瞼が重くなるのを感じたが、迫り来る眠気に逆らおうなどとは思わなかった。

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