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二部 Lovers-6

「おまえ、マジでマッサージ巧いよな」  うとうととしつつ、透は呟いた。 「でしょう。勉強したからね」  自慢げな答えが返ったので、ふと疑問を感じる。 「勉強ってどこで」  一緒に暮らしているとはいえ、もちろん透が淳哉の全てを知っているわけではない。それにしてもほぼ毎日職場から直帰のこいつに、そんなものを習いに行っている時間は無いはずだ。 「主に本でね」 「本って、それだけで実践できるもんじゃないだろ」 「ていうか、もともと合気道やってるからさ、骨格とか筋や筋肉については知ってるし、その応用って感じで」 「へえ、そんなのやってたんだ?」  眠りに落ちかかっていた意識に浮かんだのは、知りたいという欲求だ。 「いつからやってんだ?」  こいつは自分の子供の頃の話をしない。  透には根掘り葉掘り聞くくせに、透が問いを向けてもたいてい笑って誤魔化す。  特にアメリカで生活していた頃についてはその傾向が顕著だ。大学時代の話は楽しそうに話すので、その落差がはっきりしているのが気になっていた。 「道場に通い始めたのは十二歳なんだけど、なぜかその前から基本の型とか、自主練してたんだよね」  上機嫌な淳哉が、今日は朗らかな口調で話すのを聞いて、透から眠気が急速に引いて行く。これはチャンスなのではないか。  こいつの子供時代を聞くチャンス。 「なぜかってなんだ。前に習ってたんじゃないのか」  背後で笑う気配がして、淳哉らしくなく惑うような口調が返った。 「う~ん、あのさ、僕って六歳くらいまでの記憶が、ほとんどないんだ」 「つうかそんなの普通だろ。俺だってそんな小さい時のことなんて覚えてないぞ」 「ていうか逆に、それ以降のことはきっちり覚えてるんだけど」  覚えているのか、と透は思う。覚えているのに話さないのか。 「でも小さい時のことなら親とかに聞けば分かるだろ。前に習ったことがあるかどうかってくらい」  透の背から腰を丹念にマッサージしながら、笑いの乗った声が返る。 「分からないんだよね、それが」 「なんで」 「母は死んでるし、父はそもそも僕が何やってたかなんて知らないし。聞ける対象が無いというか」  あくまで笑っている声に、いつか見せられた母親の写真を思い出す。  ラミネートされたその一枚しか、写真は無いと言っていた。どんな人だったのか聞いても、覚えていないと笑った。  この男に、寂しさを感じたのは何故だろう、と考える度に、その写真を財布から出した様子を思い出す。あまり物に執着しないこいつが、その写真をラミネートしていたことに意外性を感じた。なのに写真の扱いはぞんざいで、それがこいつらしくもあったのだが。  そしてピアス。  母の形見だと笑って言ったそれの片方が、今は透の耳にある。  こいつは透が見知っているだけでも、相当数の相手と一夜限りの関係を重ねていた。  誘うのがスマートなのも、やたらセックスがうまいのも、場数を踏んでいるからだろう。  甘えて人肌を求めるのは、誰かの熱を感じていたいだけなのではないかと、まず考えた。誰かが傍にいると安心するから、一人で眠るのを避ける。それは誰でも良かった。  透と寝るまでは。  それまでは用心深く障壁を張り巡らせ、立ち入ることを拒んでいたくせに、それでも誰かに求められる事を求めていたくせに、自覚の無かったこの男が、透を欲しいと自覚して、他を求めなくなった。  何故なのか。透なりに考え、推論は立てていた。  それは、……面映ゆいけれど、透の存在がこいつの意識になにかを呼び起こしたから、なのではないか。本当は無意識に求めていた暖かいものを、透なら与えるとこいつは感じたのではないだろうか。  誰か、ではなく、透でなければならなかった。その衝動が何故起こったのかは、やはり透には分からなかった。けれど自分がそうだというのなら、透はきちんと受け止めたい、と思っていた。家族やアメリカでの生活について、問いかけても誤魔化して答えないこいつに、俺は聞いても大丈夫だと教えてやりたい。そうしてなにも隠す必要がなくなって初めて、こいつが求めているなにかを感じさせてやれるのではないか。 「……あのさ」  透は衝動のまま手を付いて身を起こし、仰向けに身体を返した。それによりマッサージを中断されて、淳哉は驚いた顔をした。 「どうしたの透さん。まだ足が…」 「おまえの、そういうの、俺知りたいよ」  透は真摯な眼差しを向けたが、「そういうの?」と問い返す顔はぽかんとして、淳哉には通じていないようだった。 「おまえの、親のこととか、どういう風に育ったのかとか。おまえいつもはぐらかすけど、俺はちゃんと知っておきたい」  そう言うと、淳哉は戸惑ったような顔をした。 「言いたくないのかと思って、俺遠慮してた。無理にでも聞きたいなんて、俺の立場で言って良いのかって」 「立場って」 「もうすぐ死ぬかも知れない俺なんかが、聞いて良いのかってな」 「ちょっと、透さん」 「分かってる。コレ言うとおまえ怒るって分かってるけど、そう思ってたんだ。……でも、もしおまえが話してもいいと、少しでも思うなら、俺に教えてくれないか」  膝立ちになっていた淳哉は、ため息をつきながら頭を落とし、ベッドの上に腰を落とす。 「…………」 「ダメならいいんだ。俺がそんなこと強要出来る立場じゃないってのは分かってる」  あぐらをかいて髪をくしゃくしゃと乱しながら、またため息をついた。 「でも、おまえが俺のこと、まじで大切にしてくれてるってのも、ちゃんと分かってるから。変な誤解とかしないし、思った通りのこと言ってくれ」  またひとつ、盛大なため息をついて、「ん~、あのさ」淳哉はようやくくちを開いた。 「別に言いたくないとかじゃないんだけどさ」 「うん」  食い気味に返した透に、チラッと目を上げた淳哉は、苦笑を浮かべていた。 「ていうかあんまり楽しい話じゃなかったりするし、楽しくないのを思い出すのって嫌なんだよ」 「でも俺に話したら、少しは楽しいことにならないか?」  またも食い気味になった声に、今度は顔を上げた淳哉の苦笑は、さっきより深まって、いつもの笑顔になっている。  おそらく表情を繕ってしまったのだと察し、透は少しがっかりした。さっきまで緩んでいたコイツの壁が、また立ちあがってしまったのだ。  しかし今、このタイミングを逃したら、淳哉は用心深くなってしまうかも知れない。そうすると次のチャンスは二度と来ないかも知れない。 「俺は、おまえのことをちゃんと理解したい」  透は必死な心持ちを隠そうとしつつ起き上がり、淳哉の顔に迫ろうとして前に手を突いた。 「そうしたら出来ることもあるんじゃないか。だって、おまえが病気のこととか聞きたがって、おまえになら話してもいいと思って、……それで俺は楽になったんだ」  少し見下ろしてくる視線は、いつも通り細まって笑みの形を作り、くちもとも笑みの形。だが透は、コレが本当の笑顔ではないと思っている。

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