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二部 Lovers-7

「つうか前は俺、病気のこと誰にも話さなかったって言ったろ。自然に状況を知った人はいても、自分から病気のこと言ったのは迷惑かけそうな人だけだし、その人たちにだって、俺がどんなこと考えてるか、なんて話したことは無かった」  そうだ。  コイツとこうなって初めて、それまでの自分がいかに頑なだったのか、透は自覚した。 「嫌だったからだ。勘違いの同情されたり、憐れみの目で見られたり、的外れの言葉かけられるのが嫌だった。余計なことは言わせたくなかったし、なにか言われても耳を閉ざしてた」  笑みのまま、変わらない表情を見つめながら続ける。 「けどな、おまえがしつこく聞いてきただろ。俺もなんだか全部話してたよな。世の中全部呪ってたコトも、家族すら信じられなかったコトも。遠方から見舞いに来てくれた友人に酷いこと言って追っ払ったコトもさ。まじで最低なコトなのに、自分でも忘れ去りたいくらいなコトなのに、おまえに話せたのは、おまえなら、と思えたからだ。おまえなら、俺がどんなに最低でもこれ以上俺を傷つけないって、そう思えた」  笑顔の下で、周囲全てを弾き飛ばさんばかり、拒否のオーラを張り巡らせている淳哉を見て、自分を振り返ったのが一因だったかも知れない。そうして顧みれば、まるで子供のように頑なだった自分が見えた。  いい年をして大人げないにも程があると自分に呆れ、淳哉にそれを正せというなら自分から変わらなければと思った。 「でもな、あれで俺は、すごく気が楽になったんだよ。他の誰でもない、おまえが一緒に病気を考えてくれるから、俺は今、割と気楽にやれてる。そういうのってあると思うんだ。……なあ淳哉。おまえが俺を信頼出来ないと思うなら、それは仕方ない。でも嫌じゃないんだろ?」  声はいつしか、教え諭す教師のような、息子に語り聞かせる父親のような響きを帯びていた。けれど淳哉の表情は変わらない。取り繕った仮面のような笑みのまま、少し首を傾げただけだ。 「ならさ、こうは思えないか? おまえの中にあるものを全部見たとしても、俺なら絶対離れて行きはしないって。そんな風に、俺を信じてみてもらえないか」  言葉を尽くしても変わらぬ笑顔。だが透が次に発した言葉は、それを変化させた。 「なあ淳哉、話してみないか。怖がらなくて良いんだ」  少し目を見開いた、笑みのない顔に。 「なんでそんな聞きたいの」  質問に答えずに、低めのテノールが冷静に問い返してきた。  たいてい笑顔なので気づきにくいが、笑みのない真顔になると、淳哉の人形のように整った顔はかなり冷たい印象を与える。  怒鳴り声を上げることも無く、ほぼ常に笑顔。最初は穏やかな人格に見えるよう繕っているのかと思った。しかしそうでは無いことも、すぐに分かった。  なぜなら淳哉は、自分の不快を相手に知らしめたいとき、こういう顔をするのだ。  この表情は、ほとんどの相手に怖れを感じさせる。通常とあまりに違うからだろう。つまり平常見せている笑みは、内心を鎧う仮面のようなものだ。自分の顔が相手に与える印象を熟知して、平素はあえて侮らせ、不快を感じればなめるなと威嚇する。  あるいは立ち入らせるのは面倒だと考えている可能性も高い。  透の前では他の表情も見せるようになっているが、やはりこの表情は透にも向けられることがある。 『それ以上入ってくるな』  そんな意思を載せてこの顔を向けてくるのは、やはり誰にも見せていない壁に囲まれた部分があるからだろう。  なにが淳哉のかんにさわったか。『信頼出来ないと思うなら仕方ない』か? 『怖がらなくて良い』か?  正確には分からない。だが透はやはり引くなどできないと考え、歯を食いしばって、挑むような目を返した。  ここで引いてしまえば、コイツは今まで通り高い障壁を張り巡らせて、透の前でもヘラヘラした仮面を被り続けるに違いない。  今は透に対してだけ、少しは心を開いてくれているようだが、自分は遠からず死ぬ。その後も本当に信じる、心を開ける人を持たずに生きていくなんて寂しすぎる。 「おまえが大事で、愛しいからだ。おまえの昔も今もこれからも、ぜんぶひっくるめて好きだからだ」 「これからも?」  問い返した淳哉は、口許だけ少し歪めて笑う。 「透さんって予言者だった? 未来なんて誰にも分からない。予測できないことを、なんで確信できるなんて言うの」 「俺がそう感じるからだ。おまえが俺を嫌っても、俺はおまえを好きでいる」  必死に言い募っても変わらぬ笑い方、その冷酷とも言える表情に折れそうになる心を励ました。 「理由など無い。俺は死ぬまで……」  言いながらにらみ返す。すると淳哉の表情も、睨むようなそれに変化した。透が死をくちにするとき、淳哉は怒る。怒らせたくはなかった。それによりさらに頑なになってしまう。 「俺は……おまえの家族になりたい。恋人ってだけじゃない、もっと代え難い信頼できる人間になりたい」  これは過大な欲望だと、透は自覚していた。  遠からず死ぬと分かっている体で望むべきじゃない。だから今まで、思っていても口に出したことはなかった。  だが自分が死んだ後、以前のように繕った笑顔で孤独に生きて行く姿など考えたくも無かった。  その為に自分が出来ることがある。そう信じて睨む目を向けながら奥歯を噛み締める。 「親は子供がどんな罪を犯しても許すものだろ? 嫌ったりしないだろ? 俺はそういう風に……」 「甘いよね」  声をかぶせ、淳哉は目を眇めて透を睨むように見つめる。 「親なんてモンがそんなたいそうなわけないじゃない。生物として遺伝子を分けただけ。その程度のモンに、なんでそんな付加価値をつけて信じるわけ? 親だって子供を殺すよ?」  いつも耳に心地良いテノールが、底冷えするような温度で言葉を発する。 「じゃあ教えてあげるよ。生物学上の親なんてものに、全く意味が無いってことをね」  そう言う淳哉の冷えた視線には冷たい笑みが乗っている。  透は底冷えして重くなる胃を自覚しながら、睨むようにその笑みを見返した。

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