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二部 最初の学校2

 その学校は、コンコードという街にあった。  覚えているのはひどく断片的なのだが、マウラの施設から車で移動する間、それまで外を見ることが無かったから、車の窓から見える景色にひどく違和感を感じたのは覚えている。  今まで居た場所とはまったく違うというそれに、漠然とした不安を覚え胸がざわついた。  そう、不安だったんだ。  それまでいたマウラの施設には、色んな人種のさまざまな年齢の子供が居て、年かさの子供たちは大人の目を盗み、力を誇示して小さな子を従わせていた。  けれど淳哉は『可愛い』『賢い』という理由で被害を免れ、意識して可愛く懇願することで何人かの子供を守ることも出来た。  自分の容姿が使えると思ったのは、たぶんアレが最初だったと思う。まあ、それ以前のことは覚えてないんだけど。  あのとき、周りを眺めながら違和感の元である『今まで居た場所』を思うと、なにかぼんやりとしたものしか出てこない上にガンガン殴られているような頭痛がして、マウラが車に酔ったか、とか聞いて、木陰のベンチで休んだのも覚えている。  その通りは店などが並んでいて、子供や大人が歩いていた。今なら変哲無い田舎のメインストリートだと思うのだろう。けれどそのときは、道行く人がみなガイジンで、店の看板なども全て英語で。やはり『違う』という違和感が増すだけだった。  頭痛なんかに負けるわけに行かない。  休みながらそう思ったのは、これから行く場所について、なにも分からないままでいる方が、もっと怖いと思ったからだ。あのときは少しでも多くを知る必要があると、切実に思った。  だから淳哉は、深く考えるのをやめた。  確か、だけど、漫然と景色を記憶することに集中すれば頭痛もなく、考えずにいることで快適になれるのだと知って、少し安堵した様に思う。  やがて物々しい門を通って到着した学校は、広大な敷地の中、古くて立派な建物がたくさん建ち並んでいた。  マウラと一緒に敷地内を歩き、最も古めかしい建物のひとつに入った。エントランスの重々しいドアの向こうには広いホールがあり、その奥に大きな階段があった。右と左に広い廊下が続いている。マウラが優しく「こっちよジュン」と言った。  あの頃のマウラはひたすら優しかったけれど、淳哉を取り巻く厳しい現実についても、子供扱いせず、言葉を濁すこと無く教えてくれた。  当時淳哉には、この世で信用している人間が二人いた。その一人がマウラだ。  今の自分には力がない。  タカオに言われて、そう納得するしかなかった。だから今は守られなければならないけれど、少しでも早く力を付けなければ。そう考えて、淳哉は開き直った。だからマウラからこの学校について詳しく説明を聞き、淳哉は素直に従った。強くなるために必要と思えたからだ。  一つの大きなドアを開くと、大きな机の向こうにおじさん……ココの学長がいて、机の横に背の高い男の人がいた。  学長は淳哉を歓迎すると言い、ハグをして、男の人を紹介した。 「オード・ジャスティ・スミス。君の入る寮の寮長をしてる十七歳だ。よろしく」  右手が差し出されたので、淳哉はにこっと笑って手を握り返した。 「よろしく。ぼくはジュンヤ・アネサキ。六歳です」  そう、気づいたらアネサキという名前になっていたのだった。  書類を見てそう知ったのだが、説明は聞いていない。マウラは不思議に思ってないようだから、たぶんマウラの見た書類はぜんぶ、アネサキの名前だったんだろう。  確かそれまではお母さんの名前だったはずだけれど、それは無いことになっているようだった。  淳哉は呼ばれることの無い名前は、今はすっかり忘れてしまったけれど、あの頃は名前や、お母さんのことも、少しは覚えていたはずだ。  必要なら後で思い出せばいいと思っていたのだが、思い出そうとすると頭が痛くなって気分が悪くなるので、考えないようにしていたら忘れてしまったのだ。  マウラと学長も付いてきたが、案内と説明は寮長だった。  彼のことはジャスと呼んでいいこと。寮では上級生の言うことを聞くこと。困ったことがあったらジャスに言うこと。プリスクールのうちは六人部屋なので、仲良くすること。……などなど。  ひとつの建物に入って、ここが君の寮だと言われ、そこからは二人だけで中を案内された。風呂の場所と入浴時間、食堂の場所と食べられる時間、TVのあるところやゲームの時間について、勉強する部屋と利用時間、同じようにPC部屋も。  一年生は六人部屋だけれど、学年が上がれば四人部屋になり二人部屋になる。功績が認められるなど、必要と判断されれば、一人部屋を与えられることもあるとジャスが言ったので、どうしたらいいのか質問したら、ジャスは面白そうに笑った。 「やる気なら、自分で探して努力するんだね」 「分かった。がんばるよ」  ジャスと別れてマウラの元へ行き、ぜったい一人部屋を手に入れると宣言すると、マウラは「素晴らしいわ。頑張りなさい」とニッコリした。  一ヶ月ほど経った頃には、ジャスを始めとする、上級生の一団と行動を共にするようになっていた。寮のトップ集団である。  その中の二人が「おまえ来いよ」と言って淳哉を連れ歩くようになったのは、女の子たちが「可愛い!」といって淳哉に話しかけるから。なので指示された通り、淳哉はニコニコと愛想をふりまき、女の子たちに、いかにこの人たちが優しくていい人か、たどたどしい口ぶりで教えるようにしていた。  それにより上級生たちは満足して、淳哉の待遇は良くなっていった。寮で一番広くてテレビもゲームも出来る部屋で、寝転んだりマンガ読んだりしながら、もらったお菓子やジュースを好きなだけ飲み食い出来るようになったのだ。  といっても淳哉はテレビもゲームも時間の無駄だと思っていた。ジュースもお菓子も要らない、そんな時間がもったいない。少しでも時間があるなら身体を動かしたり、必要な知識を詰め込みたい。でもこうしているメリットもあったからダラダラしてるフリをしながら観察していたのだ。  彼らは淳哉が幼いから、お菓子やジュースで思い通りに動かせると思い込んでいる。つまり侮られているわけだが、だからこそ人前で見せている『出自が良くて正しく優秀な生徒』の服を脱ぎ捨てていた。  いつも澄ました顔で教師たちには良い顔を見せておきながら、ここでは貧乏人を馬鹿にして、女の子たちやカラードを侮蔑するような発言や、出自の劣る者の存在すら認めないという放言を繰り返すコイツラはクソだなと思ったが、確かに寮で、学校で、実権を持っているのだ。そのノウハウを吸収するのが今は必要だと、幼い淳哉は判断したのだった。  今自分に力は無い。なら、どうしたら力を持てるのか。淳哉はずっと考えていた。  そうして考えついた方法の一つが、力ある者の傍にいて観察することだった。だから彼らのそばで、どうすれば力を持てるのか学ぼうとした。  淳哉が学び取ったのは、欲しがるモノを与えて黙らせる、自分の立場を示して圧力で押さえ込む、そんな方法だった。  父が言った通り金は好きなだけ使えたし、マウラの後ろ盾があるということも知られていて、彼女の夫がこの国で重要な位置にあるという事実が、淳哉の立場を強めていたので、とりあえず実行したことで、寮の部屋や同学年の中では、アタマ一つ飛び抜けた、目立つ存在となっていた。  といってもジャスには、淳哉の口ぶりや、よい子の笑顔が演技であることを知られているはずだった。初日に彼を質問攻めにしたからだ。けれどジャスはそれを一度もくちにせず、時々意味深な目で見られるだけだった。  その度にむかついたけれど、ジャスはそいつらと一緒に居るし否定的なことも言わないけれど、同じ部屋で静かに勉強していて、同調はしていなかった。それどころか冷めた目で連中を見ているのに、淳哉は気づいていたのだ。  この寮長を甘く見てはいけないと思ったし、こっちもつっこまれたくない部分があったので、近づかないよう気をつけていたのだった。

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