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二部 Lovers-8
「最初こそ何日かおきにメール寄越してたんだけどさ、そのうち月イチになって、半年に一度になって、九歳のときにはもう、年に一度だったよ。それもマウラと交わした契約で、年に一度は面会することになってたから、それで連絡寄越したってだけでさ。その面会のときも、あいつの関心は、僕が優秀であることだけだったと思うよ?」
まるで冗談でも言っているような軽い口調で、薄笑いを浮かべ、淳哉は続ける
「それでも子供なりに必死にはなるよね。優秀じゃなかったら、あいつは僕なんかポイッと捨てるだろうなと思ってたからさ、僕より成績イイ奴はみんな敵、スポーツでも負けるか、生活態度も先生の前では良い子でいなきゃって感じで。あの学校ってセレブ御用達みたいなトコあって、あいつに力があるから僕もあそこに居られるんだってのは分かってたから、他の誰かよりあいつの方がマシだろうとは思ってたしね。強くなって自分の力でやれるようになるまではガマンしないと、なんて。マウラはそんな心配しなくて良いって言ってたんだけど、根拠を示されたわけじゃ無いし」
愛されて当然の年頃に、周りじゅうを敵だと認識して生活していた。
信用出来るもの、利用出来るもの、そんなふうに周囲を判別していたと、そうコイツは言っている。
常に周りを警戒して、だからこそあの仮面のような笑みを顔に貼り付けているのだと、そう推測はしていた。なにか原因があって、自分を鎧する必要があった。怒りを表に出すよりも、笑って誤魔化した方が便利。そんな風に考えて笑みを纏うことを選んだのではないかと想像していた。
しかし思った以上の少年時代を過ごしていた恋人を、透は黙って見つめるしかなかった。
「ほら、やっぱりそんな顔する」
冷めた眼のままクッと笑った淳哉は、半笑いに聞こえる声を透に向けた。
「だから言いたくなかったのに。聞きたいって言ったの透さんだよ?」
そう言って首を傾げたが、冷たい笑みを纏った表情は変わらない。
「え、……でもお母さんは……?」
幼い淳哉に、なにか救いは無かったのか。そんな一心で声を励ます。
「お父さんと一緒じゃなかったのか? お母さんからメールとか……」
「僕はあいつが五十歳の時、囲ってた女が産んだ子供だ。母は奥さんってわけじゃ無いからね」
透の声に被さるような否定に息を呑んでしまいつつ、透は言葉を継いだ。
「じ、じゃあどうして、おまえを一人にした? お母さんはお前を愛してたんだろ? そのピアスだって……」
「言ったろ? 死んだんだよ」
冷たい表情のまま目を細めた淳哉は、透を見ていないようだった。
「僕は知らされてなかったけど、六歳の時、アメリカに僕が運ばれたのは、母が死んだからだったんだ。どういう死に方だったかは聞いてない。けど」
妙に光る目を、ようやく透に向けて、ニッと笑う。
「僕を守って、死んだらしいよ?」
言葉を失ってしまう。
「あいつはさ、言ったんだ。『おまえさえいなければ、あれは死なずに済んだ』てね。あいつはずっと僕がいなければ良かったと思ってたんだろうな。自分で孕ませたくせに、最低だよね」
「おい……」
父を悪し様に言う淳哉の目は、意地の悪い笑みを湛えて細まった。
「そういう親もいる。子供を愛して許す親ばっかりじゃないんだよ、透さん。だから僕には家族なんて必要無いんだ」
「……でも、学校の費用とか払って、その、PDAとかくれたんだろ? それはおまえの為じゃないのか」
「甘いって透さん。その学校はアメリカの上流階級の子供が多かったんだ。だから僕をそこに入れた。他の子供に侮られたら対等になれないからモノとカネをくれた。僕を使ってコネクションをつかもうとしただけだ」
「そんな……」
一瞬、言うべき言葉を探せなくなった透に、淳哉は眼を細め、クスッと笑った。
「……おまえ、そんなにお父さんが憎いのか」
「別に憎くは無いよ。あいつのおかげでここまで生きてこられたんだってコトは分かってる。そもそもあいつがいなきゃ、僕はこの世に産まれてないわけだしね」
「そういうことじゃなくて」
言いさした透の頬を、骨張った淳哉の手が覆う。
「だから言いたくなかったんだって」
そのまま顔を覗き込んでニッと笑った表情は、いつもの顔のように見えた。
「透さんって家族といて幸せだったんでしょ? そういう人ってこの話すると、どうしたらいいか分からなくなっちゃうんだよね」
淳哉の言う通り、透は子供の頃ピアノを志し、家族の応援を受けてひたすら好きなことに邁進した。その後ゲイのカミングアウトでギクシャクしたものの、確かに家族に愛されているし、透自身、家族を愛している。
それを負い目に感じてしまうのは、淳哉にとって侮辱になるだろうか。
「別に気にしなくて良いのに。あいつの財力も後ろ盾としての力もいいだけ使ったし、僕は僕で好きにやってたんだからさ」
見上げる顔は、冷笑を纏ったままだった。
悲しくなって、透は目を伏せる。
初めてベッドを共にしたとき。
コイツはひたすら感じさせるように手管を弄し、透はそれまで知らなかったほどの悦を知った。それまで淳哉の姿を見て、一方的に好意を抱いていた透だったから、コイツに抱かれることで死んでも良いとまで思ったのだが……
「……おまえのこと、寂しいんじゃないかと思った」
「ああ、言ってたね。そんなこと言われたの初めてだったから覚えてるよ」
気になったのだ。
責め苛むような抱き方をするクセに、抱きしめる腕は甘えるようで縋るようで、透はコイツが『愛してくれ』と身体で伝えて来ているように感じてしまったから。
「うん、それさ、なんでなんだか、少し分かった気がする」
「へえ? すごいな」
茶化すような声にカッとして、透は恋人の逞しい胸を強く叩いた。
「ばかやろっ! 俺なんて、ぜんぜん……っ!」
ぬくぬくと家族に愛されて育った自分が、淳哉のなにを分かるというのか。
そう思ってしまえば悔しさがこみ上げてくる。けれどなにか出来ることがあるなら……
「痛いって」
まったく痛がっていない笑い声で言うと、淳哉の腕が透の背にまわり、柔らかく抱いた。
「あのさ、僕ってわりと早い段階で開き直っちゃったから、与えられたもので楽しくやろうと思ったし、実際かなり楽しんだんだよ? 透さんの思う幸せと形は違うかもだけど、僕は僕なりに幸せで、だからそんな顔しなくて良いんだ」
透はあやすような声と背を叩く手に、少しずつ落ち着きを取り戻した。そして、なんで俺が慰められてんだ、と思うと、悔しいやら切ないやらで滅茶苦茶になってくる。
けれど淳哉は同情なんて望んでない。だから今まで話さなかった。
「おまえ、そんな無理すんなよ」
ゆえに透が選んだ言葉は、いつも通り邪険に聞こえる口調になっていたが、淳哉の腕に力が籠もり、ぎゅうっと抱き締められる。
「透さんはすごいな」
髪にキスを落とす感触がして、そこに笑う息がかかった。
目を上げると、それはいつもの淳哉だった。
鎧った笑顔ではない、透の前で甘えてみせる、いつもの……
たまらなくなって涙が滲みそうになり、透は意識してしかめ面になる。
「こんなの話したくないのに話しちゃったし、めっちゃテンション下がったのに透さん可愛いからすぐ復活した」
「……っ、か、可愛いとか言うな、こんなおっさんにっ」
ククッと笑いながら、顔を覗き込む、その表情はもういつもの淳哉だった。悪戯を思い付いた子供のような笑顔。
「もう諦めなよ。僕が可愛いと思うんだから、透さんの主観で否定されても」
「おまえ……っ、少しは恥じらいとか無いのかっ」
「それ前にも言ってたよねえ? でも僕って恥知らずらしいから」
ツラッと言い放ってから、透の頬を大きな手で覆い、愛しげに眼を細めて言った。
「ねえ、僕はホントに楽しくやってたんだ。父は金持ちで、欲しいものはなんでも手に入れたしさ。兄とその奥さんは優しかったからバカンスは世界中旅行したし、時々甥っ子と遊んだ。大学に入った時はその兄がお祝いに車をくれた。この別荘だって兄のだし、今は年に一回、家族で会食もする」
淳哉はそう言って、本当に嬉しそうに笑った。
「それに透さんと一緒に暮らして、ご飯作ったり、マッサージしたり、髪を洗ったり、そんなのが本当に愉しいんだ。僕ってわりと何でも愉しんじゃうんだけど、今は特別愉しい。そういうんじゃダメかな?」
透は首を振った。必死な勢いで振った。
「ダメじゃない。それでいい」
淳哉が嬉しそうに見つめている。
「俺だって毎日楽しい。体調もすごく良いし、やっぱりおまえがメシ作ってくれるからだと思う。去年の今頃なんてうち帰ったら倒れてたし」
「倒れてたんだ? すごいね」
「凄いっつうか、……とにかくだな! おまえがいて、本当にいいなって、俺は思ってて……っ!」
淳哉はククッと喉を鳴らし肩を揺らしたかと思うと、ハハハッと声を上げて笑い始めた。
「おまえっ! 笑うなよっ!」
「ごめん、だってあんまり可愛いから……ハハハッ」
「だからっ! 可愛い言うなっ!!」
笑い続ける淳哉の胸に平手をかましながら、透は思っていた。
やっぱり、こいつの胸の奥に巣くっている暗いなにかを、なくしてやりたい。
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