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二部 Lovers-11
「わけわかんない頭痛と耳鳴りは、ちょっとした後遺症だったらしいんだけど、病院で目が覚めてマウラにすごく怒られちゃってさ。前にも病院へ連れて行かれたのに、痛いとか気分悪いとか、そういうの黙ってたからね。もう一回検査して、かなり目が悪くなってることが分かった」
その入院で治療を受け、眼鏡も作って頭痛は無くなったんだけど。
「実は耳も少し聞こえづらくて、音楽とかの微妙な感じとか、ちょっと聞き取りにくいんだ」
そう言ってククッと笑い、「歌、へたくそだって怒られたことあるよね」と付け加えたが、腕の中の恋人の動きが止まったままなのに気づいて笑みを消した。背中から抱いてるこの状態じゃ、どうせ顔なんか見えない。
「透さん、紅茶飲まないの」
低く声をかけると、透はピクッとしてから呟いた。
「ああ、そうだな。冷めちまうな」
そしてすぐに
「おい、いいかげん離れろ。ソファで飲むんだから」
邪険な声を出して身体を揺すったので、「しょうがないなあ」と透を解放する。
透は顔を俯けたまま、紅茶のセットをトレイに乗せてソファへ移動した。
ため息混じりに置いておいたグラスを取り、バーボンを一口飲んで後を追う。
トレイをテーブルに置き、ソファに座ってカップに紅茶を注ぐと、淳哉が乾かした透のまっすぐな髪は、動きにつれてサラッと肩から背中に流れ、天井の明かりを受けた。それは透の表情を隠している。
(やっぱりショック受けてる。いい人だからな、透さん)
こういうの聞きたいとか言い出すのは決まって善人で、聞いた後はみんなこうなる。
自分から聞きたいと言ったくせに、だから言うのやだとか気が進まないとか予防線張ってるのに、勝手に乗り越えてこようとして、勝手に落ち込む。まったく面倒くさい。
ていうか。
実際、あの後は懲りて、思い出そうなんて考えなくなった。
だからかグローブで頭痛が酷くなった前の記憶は全部曖昧だ。
滅多に考えないから忘れてたけど、こうして思い起こせば、あの頃はいっぱいいっぱいだったんだろうな、なんて思う。他人事みたいだけど、六歳の自分なんて今の自分とは別人だ。
(まだ母が死んだことも知らなかったし、頑張って強くなって、少しでも早く迎えに、なんて思ってたような。それで突っ走って、色々満杯になって。まあ、小さかったしね。あーやだやだ)
こういう気分になるのが嫌いだ。
そう考えて淳哉は、やるせない溜息を吐いた。グラスを持ったままソファから離れ、暖炉に薪をくべる。パチパチと木が爆ぜていた。
こういう雑音だって小さい音でもちゃんと聞こえる。声が小さくて聞こえない時は『もっと大きい声でもう一回』と言えば済むし、ちょっとした声の調子を読むとか、音楽の微妙な音の揺らぎを楽しむ、とかじゃない限り問題無い。透にはああ言ったけど、耳が良くないことと歌が下手なことに因果関係はない、と思っている。視力だって眼鏡やコンタクトで矯正できるし、生活にはまったく支障ない。
ていうか目が見えない人、聞こえない人だって居るのだ。そういう人に比べれば普通に生活出来るんだから、むしろ気にする理由が分からない。だから実のところ同情される謂われはまったく無いのだ。
でもまあ、同情されるのが好きだ、とか言ってしまう自分にも責があるのは知ってる。
だって本当の事だ。同情するやつの側に若干の優越感があるとしても、その感情自体は優しいし、相手の感じている優越感なんてむかつく勘違いに過ぎないモノは自分にとって無意味だからだ。
それに何より自分は、他の奴にない強みがあった。
この容姿は強みだ。子供の頃は可愛いと言われ、ジュニアハイくらいからは美少年とか言われて、面倒がなかったとは言わないけど、おおむね得してるし、もっぱら利用した。
要求を通す為に、この相手ならどういう顔が効果的か、なんて考えたり、実は楽しかった。
でも女みたいとか言うやつが常にいるのにはむかついて身体を鍛えた。それからもかっこいい自分でいる為の努力をした。髪型に気を遣い、服を整え、運動も勉強も、誰にも文句を言わせないレベルまでやったし、結果として納得いく自分を手に入れることに成功してる。
それに記憶力には自信がある。記憶したことを系統立てて整理するのはあまり得意じゃないが、とりあえず覚えるのはけっこう誰にも負けないレベルだと思ってる。それを活用すれば、良い成績を維持することなんてわりと簡単だったし、学校ってところは、成績の良い子供がちょっと無茶をするくらいなら容認してくれる。だからそこらへんはうまくやった。
悪いことをしなかったとは言わないけれど、ばれなければオーライ。そう思ってた。
淳哉はまた薪をくべ、暖炉の中を乱暴にかき回す。パチパチ爆ぜて、火花が立ち上ったのを見て、少し正気に戻る。こんなことで苛ついている自分も嫌だ、と思えば、少し落ち着いた。
「紅茶、冷めるよ」
「……ああ、そうだな。もったいない」
そう呟いた透は、紅茶を一口飲み、俯いたまま声を出した。
「……淳哉。俺がこうやって聞くのって、本当に嫌じゃないか」
つい笑ってしまいつつ、透の隣に座る。
「まあ正直言うと、ちょっと面倒くさいと思ってる」
「……やっぱりな」
透がそう言って顔を上げた。そこには淳哉の大好きな、あの優しい笑顔があった。
「こいつは俺のわがままだ、淳哉。……それでも俺は知りたい」
善意という錦の御旗を振り立てて、我が物顔に人の内部に入り込んでこようとする。だから善人て人種は面倒で、あまり近づかないようにしてた。
淳哉は深い溜息をついて言った。
「もう、しょうがないなあ。特別だからね?」
「偉そうだな」
そう言うと、透は笑みを深くして目を伏せた。
「だがありがたい、つっとく。俺には、話してくれるってことだよな?」
「そりゃ、まあね。しょうがないよ」
そう答えると、透は淳哉の肩に頭を凭せかける。暖かいものが胸に満ちる感覚に、淳哉は腕を肩に回し、抱き寄せた。
「透さんは、僕の好きな人なんだから」
そう言って髪にキスをする。
淳哉は、この偏屈な善人が、どうしようもなく好きで、あまり長く一緒に居られないかもと思えば、望むことはなんでも叶えてあげたいと真剣に思っているのだ。
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