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二部 Lovers-12

 暖炉を眺めるソファで、淳哉がグラスを持ち上げる。  透は彼の肩に頭を凭せかけ、グラスを傾ける恋人の、喉仏がゆっくりと上下するのを見た。  カランと氷が鳴り、一拍後、ふ、と微かに息を吐いた淳哉は、口許に笑みを乗せる。 「七歳くらいまで、僕は嘘ばっかり言ってたんだよ」  穏やかに語り出したテノールには、いつものように笑いの気配が乗っていた。 「だって、しょうがないって。まえのこと覚えてないし」  正確には思い出そうとすると酷い頭痛がしたのだ、ということは、さっきの話から想像できた。敢えてそれを言おうとしない恋人の大きな手は、透の肩を軽く叩いて、一定のリズムを刻んでいる。  それは語る口調と調和して心地良い。こいつリズム感はいいよな、と思う。 「みんな子供なりに歴史ってあるんだよ。それがゼロってちょっとマズイ感じでさ。それにアメリカの子供がなにを好きかなんて知らないし、共通の話題が必要だったから、PDAとか使っていろいろ調べたんだよね。それで覚えたことを、さも自分の体験みたいに話してさ」  透はフォションの紅茶を満たしたブルーオニオンを口許に寄せ、香りを楽しんでから一口飲んだ。軽く抱き寄せられるまま、淳哉に身体を預け、心地良いリズムに乗る柔らかなテノールを聞きながら目を閉じる。 「でも僕って無駄に記憶力あるもんだから、覚えたことぜんぶ言いたくなっちゃったんだよね」  いつもの陽気な調子でも、淡々とした口調でもなく、ゆったりとした速度で語られる声には揶揄(やゆ)も興じる風もなく、その頃の自分に愛しさを感じているような暖かさがあるようにすら思えた。 「そうなると、一人分の体験じゃ語り切れないじゃない?」  声の調子が変わった。  透は目を開き、チラリと横顔を見る。そこには自嘲の笑みがあり、それでもやはりきれいな顔だ、と見とれる自分に呆れつつ、透は黙って聞いていた。 「僕は巧くやってたんだ。誰にどのストーリーを話したか覚えていて、齟齬(そご)が出ないようにちゃんとやった。けどさ、そいつら同士が話すと、あれ? ってことになるよね」  言葉を切ってグラスを傾け、一口酒を流し込むと喉を鳴らして飲み下し、ククッと笑った。透の手の中の紅茶の表面が、微かに波紋を作る。淳哉の笑いで振動した水面に、透は口許を緩めた。 「一人が知ってる僕は、中国系移民の子でペンシルバニア生まれ。もう一人が知ってるのは中国系三世のニュージャージー生まれ。そんな風に僕のプロフィールは何種類かあって、ちゃんと計算して寮やクラスで分けて話したんだけど、そいつらがどう交遊してるかまで考えてなかったってわけ。お粗末でしょ?」  薄笑いを浮かべている横顔を見て、透は脇腹をつついた。ひゃ、と身をよじる淳哉にニヤリと笑いかける。こいつは実は脇腹が弱いのだ。  それでも子供のコイツは、自分が日本人だとは言わなかったのだ、と思う。  単純に思い出せない事が多いからかもしれない。  しかし、もしかしたら自分が日本人であることを、父親との繋がりを、否定したかったのではないか。母親は中国系アメリカ人だったという、その血筋を探し求めたのではないか。  透は、だがそんな考察などおくびにも出さず、ニヤリと笑いかけて言った。 「つうか子供の考える事なんてそんなモンだろ」  え、と虚を突かれた顔をした淳哉の脇腹をもう一度つつこうとすると、指を握って阻止される。 「……だよね」  そう言ってニッと笑った淳哉は、透の指を口許へ運び、指先を唇に触れさせる。 「自分では賢いつもりだったんだけど」 「それで完璧にやりきってたらむしろ怖いつうの」  気障な仕草に笑ってしまいながら言うと、「そっか」と淳哉も笑う。 「そんで、ばれたわけか」 「そう! もうた~いへんだったんだから」  いつもの調子に戻って透の肩を抱き寄せ、頭頂にキスをする。 「みんなに責められてさあ、嘘つきのレッテルがべったりだよ。もともと僕って目立ってたし、言うことませてて生意気だ、なんて言われてたから、偉そうだったくせにぜんぶ嘘なんじゃん、て感じ。そうなったら子供なんて残酷なもんでさ。誰も口を利いてくれない、みたいな」  また笑った淳哉の顔をちらっと見遣りながら、透は「そりゃ、自業自得だな」と言って紅茶を飲んだ。「ホントだよね」と淳哉も笑い、酒を飲む。グラスが空いて、淳哉は透の肩を抱いていた手を離し、テーブルに伸ばした手でつかんだ氷をカランとグラスへ入れた。 「それに実際、あちこちで違う自分を演じるのも、楽しかったのなんて始めだけで、どんどん面倒くさくなるしさ」  ハーパーを注ぐトクトクという音が、透の耳に心地良く響く中、淳哉の笑いが乗ったテノールが心地良い旋律を奏で、それは小気味いいハーモニーになる。 「嘘なんてつくもんじゃないなあって実感したよね」 「なるほどな。そんで嘘を言わないわけか」  笑いながら「そうそう」と聞こえるテノールはこんなに耳に心地良いのに、なぜ歌が下手なのだろう、とおかしくなり、透は小さく笑った。体勢を戻した淳哉が、笑う透の顔を覗き込み、嬉しげに眼を細めて頬にチュッとキスをした。 「でもまあ一応寮生活だし、コレはマズイかなとか一瞬焦ったけど」  透は思わず吹き出しつつ「一瞬かよ」と淳哉の腿をパシンと叩いた。「痛いなあ」と嬉しげな声を漏らした淳哉は透の髪にキスをして、肩に手を回し引き寄せる。透はまた身を預ける形になった。 「ていうか、アメリカぜんぶがそうなのか分からないけど、その学校って日本みたいな決まったクラスじゃなくて、学科ごとにクラスが変わるんだよね。だからそれほど深刻じゃないんだ。僕もまあいいや、とか思ってほっといた」 「だって寮なんだろ。それで大丈夫だったのか」  さっき叩いた腿をそろそろと撫でながら問いかけると、淳哉はニッと笑って「平気平気」と言いながら透の額にキスをする。 「部屋で僕、権力持ってたから誰も逆らわなかったんだよね。だから部屋は快適」 「権力って、どうやって」 「そりゃ、僕の人徳で」  透が目を眇めて、じと、と見つめると、淳哉はハハッと笑った。 「ていうか、弱みのないやつなんていない、ってことで」 「脅して言う事聞かせたのか! あくどいな!」 「まあまあ。子供のやることなんだから、脅すっていってもかわいいもんだよ?」 「つうか、どんな弱みなんだよ」 「忘れたよそんなの」  軽く言って酒を飲む横顔を眇めた目で見る透に、「だって覚えてる方が怖くない?」と笑う。透は「まあ確かにな」とわざとらしく溜息をついた。 「ガキの頃から腹黒だったんだな」  透が言うと、淳哉は肩を竦めて苦笑を見せた。 「でもさ、思ったよ」  けれどため息混じりに漏れた声は笑いの気配のない、呟きだった。 「……僕がどんな風に言いつくろっても誰がどんな風に見ても、僕って結局僕でしかないんだなあって。空っぽだろうが弱かろうが、それが僕なんだって。そう思ったら誰がどう思おうが、どうでも良くなったというか、自分で分かってるからいいや、ていうか、それより中身充実させなきゃ、ていうか」 「……そうか」  口にした言葉は素っ気なく聞こえる物だったが、透は内心で感嘆していた。こういう所がこいつの強さなのだろう。  しかし、たかが七歳の子供が、いきなりそう考えられるわけがない。そこに至るまで、葛藤し悩んだであろう子供の淳哉を可哀想に思ったが、それを口にしても『平気だって』と笑うだけだろうと思えば、口にする必要を感じなかった。
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