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二部 Lovers-13
機嫌良さそうにバーボンのグラスを傾ける横顔を見ながら、問おうと思っていた言葉をくちにするか否か、透は迷っていた。
せっかく『復活した』様子なのに、この問いを向けることで、また機嫌を損ねるかも知れない。
「なに、まだなんかあるの?」
だが笑い混じりの声を向けられ、やはりこのタイミングで聞いてしまう方が良い、と迷いを吹っ切る。
「なあ」
声を投げると、笑み浮かべバーボンを旨そうに飲みながら、目を向けてきた。
「ん?」
「……お母さんが死んだってのは、いつ分かった?」
躊躇いがちの質問に、淳哉は少し目を見開いて、すぐにクスッと笑った。
「八歳の誕生日の前だったな。父が会いに来て」
「うん」
淳哉は笑みのまま前を向き、透には横顔しか見えなくなる。
「僕もだいぶ逞しくなったつもりだったから、会わせろって父に言ったんだけど、無理だって言われて」
淳哉はグラスを持ったまま、中指の先でダイヤのピアスに触れる。
「なんでだって食い下がったら、父は笑った。はじめて笑った顔見たな、その時」
指は、ピアスを撫でるように動いている。お母さんの形見だという、ダイヤのピアス。
その動きは無意識なのだろう。
淳哉は通常、ピアスをつけていることを意識すらしないのだ。
『おまえがいなければ、あれは死なずに済んだ』
そう言われたと聞いた。
しかし言われたのが、わずか八歳の時のことだとは知らなかった。初めて笑った顔を見たのが、そのときだった、ということは……
(笑って、そう言われたのだろうか)
幼い淳哉がいかにショックを受けたのか、どうやってそれを乗り越えたのか。
想像できる域を超えている。聞きたいが、これは無理に聞き出すべきじゃないと思う。
透はコイツの父親を知らないが、話を聞いているうちにとんでもなく残酷な男としか思えなくなって、実は憎しみさえ感じていた。
しかし淳哉は『憎くはない』と言ったのだ。なのに実情を知らないまま自分がくちを出すなどしてはいけない。そう思って、口惜しさを抱えながら黙って見ていた。
淳哉はグラスを口へ寄せ、目を伏せたままひとくち飲む。飲み込む動きを見せる喉仏の動きを見つめる。
声を発する様子を見せないまま、口許は真一文字に引き結ばれ、そのまましばしの間、凍ったように動きを止めた。
冷たい彫像のような顔のまま、手が最小限の動きでグラスを口許に寄せ、またひとくち飲む。細めた目は笑っていない。
脳内で、いったいなにが展開されているのか。
思い出せない母を守れるように、そのために努力を重ねていた淳哉。
それが無駄だったのだと思い知らされたその瞬間。それはおそらく、淳哉自身だけが思い、大切にするべき聖域だ。誰もそこに立ち入る権利はない。
それでもなにか、かけてやれる言葉は無いかと、透は必死に探していた。かつて大学で教鞭を執っていたとき、あの頃は自信を持って学生たちに助言を与えていたのに、何故今このとき、大切に思う男に、気の利いたひとことを言ってやれないのか。
そんな自分を歯がゆく思いつつ、見つめる先で指が動いた。
ダイヤのピアスから、つっと……透の贈ったピジョンブラッドへと。
指はそこに少しの間留まって。
下ろされると同時、口許がじわりと笑みの形になる。
凍結が溶けたように、彫像のようだった手がくちもとにグラスを運び、ひとくち飲んだ後、小さく吐いた息。……そしてククッと笑った。
「……けどまあ、そこらへんから僕は、それまでと違う、有益そうな上級生とばかり付き合うようになったんだよね」
透の向けたはずの問いは、明らかにはぐらかされた。しかし蒸し返そうなどとは思わない。
「同年 のやつなんてみんなガキで付き合うの疲れる上にメリットも無い。五年生や六年生の方が話も合うし、面白がっていろいろ教えてくれるから、僕はますますませた子供になっちゃった。そのうちそういうやつだと認識されて、それはそれで快適になったよ。けど父の目論見、つまりハイソサエティとコネクションを作る、てのはもう無理だよね。ある意味コネクションはできたけど、ろくなもんじゃないって認識じゃあマズイ。別に僕は困ってないと言ったんだけど、父とマウラが話し合って、十二歳から別の学校へ移った。うるさい注意付きでね」
「それがマンチェスターか」
「そう。ああいう学校って滅多に転入がないから目立ったよね。注目浴びて、気持ち良かったな。だって自己紹介する必要無かったからさ、経歴もすぐに広まって、すごく楽だった」
そう言って手を伸ばし、ナッツを取った淳哉は二粒口に入れ、カリ、と囓りながら残る一つを透の口許に寄せた。
「む。なんだよ」
眉寄せる透に、淳哉はニッと笑いかけ「食べてよ」と甘えた口調で言った。
「食べてよ。同じモノ食べよう」
瞳は甘えたように細められ、ひとつため息をついた透は眉寄せたしかめ面のまま唇を開く。
そこに一粒押し込んで、淳哉は目を伏せている。透の口許を見ているようだ。
口内のナッツを奥歯で割ると、暖炉で薪の爆ぜる音に混じって微かな音がした。
すると淳哉は伏せた目を満足げに細め、それを見て、透も少しホッとしたのだった。
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