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三部 二つ目の学校-ジュニアハイ1

「ボーイソプラノが期間限定の美であるのと同じように、今ジュンは期限を切られた大きな魅力を手に入れた状態なのよ。無自覚に過ごしてはいけない。自分の魅力を自覚して最大限利用しなさい」  笑み満面のマウラから受けた助言に、褒めすぎだろ、と淳哉は目を眇めた。  小さい頃は『可愛い!』とよく言われたが最近そういうコトも無いので、自分の容姿がそこまで使えるなど思っていなかったからだ。  しかし彼女が無用な褒め言葉など言うだろうか。 「今だからこそ誇れるその容姿を武器として活用できれば、必ずプラスに働くでしょう。衣服や身だしなみに気を遣いなさい。心安らかに保てば、自然な笑みが浮かぶでしょう。自覚なさい、ジュン」  滅茶苦茶笑ってるけど、マウラは真剣に言っているようだと判断する。ならば信じて良いのだろう、とは思った。  使えるものは何でも使う、というのは実践してきたつもりだったし、マウラがそうまで言うならば、最大限に利用すべきなのかもなあ、とも思ったが具体策なんて思い付かないし、そんなことをじっくり考える気にはなれず、淳哉はそれきり忘れていたのだった。  しかし、淳哉が素直に言うことを聞くようなタイプでは無いと熟知しているマウラは、半強制的に『魅力』を活用させようとしたのだが、それに気付いたのは引っ越しを終えた後のことだった。  荷物を開くと、下着や靴下以外に入っていたのは、マウラに言われて仕立てた数着のスーツとシャツのみだったのだ。  どういうことだとイラッとして、荷造りをやらせたやつに電話すると『黒い髪のでっかいおばさんに言われた通りにしたんだ』と返され、ようやく淳哉は理解した。  つまりマウラは『ジャンクないでたち』のままでは『魅力を活用』出来ないと考え、勝手に淳哉の服を処分したのだ。  やられた、しかしもう遅い、と歯がみしながら、なにかに釣られて従属する人間は、同じエサで誰にでも尻尾を振るということを、淳哉は学んだ。  ともかく他に着る物がなかった。とりあえずはスーツで過ごすしかない。  周りの生徒たちは、Tシャツにジーンズがほとんどなので、悪目立ちしている自覚はあったけれど、注目を浴びるのは意外に悪い気分じゃ無かった。目立つのも悪くないと開き直り、笑顔を振りまき、快活に受け答え、ことさら堂々と振る舞うことに決めたのだ。  コレでコソコソなんてしたら、マウラに負けたことになるじゃないか。そんなのは絶対ごめんだった。   ***  マンチェスターにあるその学校は、プリ・スクールからハイスクール卒業まで、つまり六歳から十八歳までの優秀な子供たちを(よう)して居る。  コンコードの学校も敷地だけならかなり広かったけれど、ここは古い歴史ある建物だけで無く、新しくて設備の整った建物も多い。学ぶ施設以外にも、ジムや道場、プールやバーベキューを楽しめるような公園、本、学用品、日用雑貨などを売る商店、ハンバーガーショップやスタンドカフェまで敷地内に揃い、特別なことがなければ、敷地を一歩も出ずに生活は完結する。  学生だけで千人近く、教師や職員も多くが敷地内にあるアパートに住まう。そこにはショップの従業員なども住んでいるので、人口だけでもちょっとしたシティを(しの)ぐ規模になっている。  この学校は多岐にわたる専門分野を誇り、広く全世界から学生を受け容れているため、留学生も多い、自由な校風だが、ドロップアウトする者も少なからずいる。  だがあくまで成績によって、あるいは経済的な理由でのドロップアウトであって、ここで要求されるのは優秀であり続ける事だけだ。この中で家柄や資産、出自や人種などを理由に誰かを誹ったなら、くちのしまりの悪い本人が放逐されてしまう。また常に警備員が敷地内を巡回しているので、良からぬ行為を摘発された学生もココで学ぶ権利を失う。  そんなわけで、出ていく学生はそれなりに居る。  逆に転入生というのはかなり珍しい。毎年一定数の留学生が編入するが、彼らの多くは1年ないし2年で学校を離れるので、正式な転入生とは言い難いのだ。そんな中、九月からジュニアハイのクラスに転入してきた東洋系の男の子は、珍しいという理由で生徒たちの口の端に上った。  その転入生、ジュン・アネサキは、十二歳なら通常三人部屋に入るのに、最初から一人部屋を宛がわれた。  その特別待遇は(ねた)みより憧れの伴った憶測を呼んだ。広まった噂には、さらに憶測のみの尾ひれが付き、結果的に彼は、様々な経歴を語られることになった。  曰く“辛亥(しんがい)革命で亡命した中国皇帝の末裔” “アジアの血を引く英国貴族” “大物華僑の御曹司” “日本エンペラーの家系”その他さまざま。  どれもどこのおとぎ話だ、という話だが、単に寄付が多い富豪なのだろう、ではなく、そういった経歴が語られたのは、少年があまりにも美しく、どこか神秘的ですらあったからだろう。  一目でテーラーメイドと分かる、ブリティッシュスタイルのスーツに身を包み、きっちりとタイまで締めて授業を受ける。それはTシャツにジーンズがほとんどの学内でことさら目立った。いつもアルカイックな笑みを湛えて、神秘的にも見える彼は、背筋を常に伸ばし毅然としており、身長は六十五インチ(百六十五センチ)ほどなのに、実際会うとそれより大きく感じる、と生徒たちは口々に語った。  艶のある黒髪はウェーブがかかって、肩につかない程度の長さ。白磁のように滑らかなアイボリーの肌に桜色の唇。筆で描いたような弓形の眉、ツンと尖った鼻、濃い睫毛に縁取られた切れ長の目。瞳は焦げ茶色で、時々眼鏡をかけると、知的な印象になる。  彼の噂は瞬く間に全学年へ広がり、必然的に有名人となった。  声をかけたら笑いかけられた、と騒ぐ少年少女たちにとって、彼は夢の中の王子様だったのだろう。  マウラが言ったのは大げさではなかった。そんな噂に頷く人が少なくないほど、その頃の淳哉は奇跡のように美しかった。神の置き土産のように輝く、(はかな)いほど透明感のある美しさは、成長期のマジックと言えるものだとマウラは言った。  そして淳哉は、これがマウラの作戦だったのだということに気づいていた。  一度しか自己紹介していないにもかかわらず、気づけば誰もが淳哉を知っていた。おかしな話にはなっていたが、自分から広めていないのだから、嘘はひとつも言っていない。  それなら乗っかっておこうと考え、なにを言われても否定せずにニッコリと笑うだけに留めた。後でなにか言われたら「戸惑いのあまり笑って誤魔化した」とでも言えばいいのだ。  とにかく淳哉はこの学校を気に入った。合気道を習えるというだけではない。  コンコードの学校に比べれば、ずいぶん風通しが良さそうだと思えるからだ。クソにセレブリティなやつはいないし、些細な事で他人を(おとし)める噂も聞かない。皆それより自分の学習で手一杯なのだ。ドロップアウトしない為に、ここでは優秀で居続けるしかない。  出自や家柄や資産で不当に権力を持つ者が居た前の学校を思えば、こっちの方がずっと居心地が良さそうだと思え、淳哉はまた、マウラへの信頼を深めたのだった。

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