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三部 Lovers-14

「そんなバカな噂も、買った服が届いたら治まった。普通にジーンズはいてたら悪目立ちしなくなったしね。新しい学校は快適だったよ。故郷はどこって聞かれたら、マンチェスターって答えるしね」  軽い調子の声は、すっかりいつもの淳哉だった。 「前の学校は? 六年通ったんだろ? 寮の部屋は快適だって」 「ああ、それはもちろん、快適に過ごすための努力はしたからね。けど僕の母校って言ったらマンチェスターの方だな」  コンコードの学校について、それ以上語る気はなさそうだ。努力はしたと言っても、あまり良い思い出は無いのかも知れない。 「その忌々しいスーツも、すぐ育っちゃって着られなくなったから、後輩にあげたしね。ハイに上がってから自前のスーツは買ったけど、もっとラフな奴だったし」 「オーダースーツって、そこそこ高いだろ。もったいねえな」 「だってマウラが勝手に作ったんだし金出したの父だよ? 僕には関係無いって」  ニヤニヤと話を聞きながら、透はこいつの適当な軽いノリの元凶が分かった気がしていた。  いつもヘラヘラ笑いながら、こいつは考え過ぎるほど考えているところがある。およそ日常生活に必要のない知識を、こいつは持っていて、そこから深く思索している事が多い。話していて透がビックリするほど哲学的なところに到達していることもある。  なのに自分のことになると途端にいいかげん。そのときどう思ったか掘り下げようとしてもたいてい『覚えてないよそんなの』と笑うだけだ。  そのギャップは何だろう、と透はずっと考えていたのだが。 「おまえって、考える前に口と身体が動くとか言ってたけど、そもそも考えてないんだな」 「えっ、なに急に」 「いや」  ニヤリと笑ってやりながら、透は内心頷いていた。  なにかを思い出そうとする途上で、子供時代に頭痛がした記憶が恐怖心を呼び、おそらく無意識にそれを回避する癖が付いたのだろう。考えないようにすることで、その記憶すら忘れようとしたのかもしれない。  学業や生きる術など、必要とされる知識は貪欲に吸収しつつ、生活する上で不要な過去の思い出などは『必要の無いこと』とした。つまり必要の無いことは思い出そうとせず、それについて考えることすらしなかった。  思い出しにくいこと、それをイコール思い出す必要のないこと、と位置づける。それが発展して、分からないことイコール分かる必要のないこと、としてしまったのではないか。おそらく無意識に。  人と対するときに生まれる感情を不要と断じていたのだとしたら。感情という非合理的なものを排除しようとすれば、思考経路は単純になるが、対する人に与える印象は冷たくなってしまうだろう。  ソコを掘り下げることが出来たなら、コイツの妙に冷静で冷たい部分も、理解出来るかも知れない。理解出来たらなんとかしてやれるかも知れない。  そんな風に考えが進んでいることなど、おくびにも出さずに紅茶のカップを干して「おい、紅茶入れろよ」と声をかけ、カップを持った手を突き出した。 「はあい~、どうぞ~」  ヘリウムを充填した風船か、というくらいふわふわ飛んでいきそうな軽さでクラシックスタイルの磁器を手にした男は、大げさにポットを高く上げて紅茶を注ぐ。そんな仕草はまるで場末のイケてないホストだが、スキルもないのにそんなことをするから、紅茶は派手に飛び散った。 「ばか、なにやってんだ」 「はははっ! 零れちゃった、ごめんごめん」  しかし楽しそうに笑う淳哉に、自然と微笑んでしまう。  透の笑顔を見て、嬉しげに笑みを深めた男は、零れた紅茶を拭こうともしないで、自分のグラスにも紅茶を少しいれると、ドボドボとブランデーを注いだ。紅茶の香りが少しついたブランデー、といった割合だ。  せっかく整えたテーブルはすっかり水浸しのまま放置で、溶けかけた氷を指で回して旨そうに一口飲むのを見て、透は吹き出してしまったが、すぐに眉を寄せる。 「おい、キッチンからふきん持ってこい」  驚くべき腰の軽さで「Yes,sir!」と言いながら持ってきたふきんを、淳哉は当然のように渡そうとした。それをじっとりと半目で見てから視線を上げ、ご機嫌な恋人を睨みつける。 「…………おまえが拭け」 「え、やってくれるんじゃないの?」  わざとらしく驚く淳哉に、透はニヤリと笑いかけた。 「つうか、ここ帰るとき、掃除はおまえがしろよ」 「ええっ! なんで急に!」 「家じゃいつも俺がやってんだ。今日明日はおまえがやれ」 「そんな! 得意な人が得意なことやろうよっ!」 「言っとくが、俺は別に掃除得意じゃないぞ」 「だって、僕なんて掃除下手だよっ!」 「いばるな」  しかし淳哉は大威張りだった。 「アメリカじゃ教室だってトイレだって掃除夫がやるんだぞっ! 放課後はみんな遊びに行っちゃうんだぞっ!」 「ここは日本だ。教室もトイレも音楽室や美術室も生徒がやる。もちろん、自分の家も、お兄さんの家もな。ここはお兄さんの別荘なんだからおまえがやるの当然だろ」 「そんな! 無理だよっ!」  やりたくないことを全力で回避する、こういうときのこいつはなかなか可愛い。なので透はときどきからかって遊ぶのだが、今これを言いだしたのは作戦があったからだ。 「じゃあ、俺も手伝ってやってもいいけど」  ぱあっと顔が明るくなった。分かりやすい。だがこいつは結果的になにもやらずに済ませようと画策するに違いない。 「その代わり、これからは俺が聞いたこと、誤魔化さないでちゃんと答えると約束するか」 「いいよ、そんなのぜんぜんっ! だから僕一人で掃除とか、無理なこと言わないでよ」  満面の笑みの向こうに、この場限り、後で誤魔化してやるという意思が()けて見える。  こうやって結果的に望み通りにしてきたのであろうコイツのやり口は、透もかなり分かってきていたし、やらざるを得ないように仕向ける方法はある。 「ちゃんと契約書も交わそうな?」  そう言ってニヤリと笑いを向けると、淳哉は口を閉じ笑みを消した。  たいていのものに対して従順とは言い難い態度を取るコイツが、『契約』には甘んじて拘束されるようだ、というのは分かって来ていた。  おそらく子供の頃から意に染まぬ思いを押し殺し『契約』に従ったこと、そして父親が『契約』には従っていたことも、こいつの思考経路に作用している。契約社会であるアメリカ育ちであることも、理由のひとつとなっているかも知れない。  理詰めで考える癖で、透はそう推察していた。 「透さんって、意外とあくどいよね」  そう言った淳哉は、ニッと笑っていた。 「失敬だな、おまえ。恋人を良く理解している、とか言えよ」 「……つまり、信用してないってことだよね」 「まあな。今の気分がいつまでも続かないだろう、つうくらいは読めてる」  そう言ってカップを干すと、淳哉はハハッと笑った。 「なんかさ、分かった気がする」 「なにが」 「透さんを、なんで好きになっちゃったのか」  透がハッとして見ると、淳哉はにんまりと、とても嬉しそうに笑っていた。 「プライドが高くて、本当に欲しいもの、透さんの場合は知識なのかな。それは何としても手に入れる。そして頑固だ。誰がなにを言おうが考えを曲げようとしない」 「……悪かったな」  軽く睨む透を、淳哉は笑いながら抱きしめ、額にキスをして髪に頬を擦りつけた。 「悪くないよ、ぜんぜん。ていうかさ、表面的には正反対かもだけど、僕らはずっと深いところが、きっととても似てるんだ」  最高だよ、と囁く、柔らかなテノールが、心地良く透の耳に届いた。  嬉しくなった透からキスを求めると、呆れるほどの絶倫野郎はキスを深め、身体を触り始め、……またセックスに持ち込もうとする。  その手をやんわりと抑え「俺はもう眠い。また明日な」と言うと、淳哉はニッと笑って手を止める。 「了解。明日ね」  耳許に囁いた淳哉に笑い返しながら腿をバシンと叩くと、楽しそうに笑った。

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