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三部 Lovers-15

 二階へ上がり、ベッドに入ると淳哉は透を抱きしめる。  その腕は甘えるように、足は拘束するようにまとわりついて離れない。毎晩そんな感じなので、透としてもベッドに入った瞬間から淳哉の腕の中に入るのは当たり前になっている。  最初は寝苦しいと抵抗してみたが、実のところ透も淳哉の体温を感じる方が安眠できるので、真剣にイヤかと聞かれたら否定するしか無い。  そして健康そのものに見えるこいつは、意外なことに寝付きが悪く、驚くほど睡眠時間が少ない。常に透が先に眠ってしまい、その逆は一度もないのだ。そして必ず先に起きている。  透が目覚めたときには、すでに身支度も調えた上で朝飯を用意していて、自分はもう食べたと本を読んでいるか筋トレなどしている。同居前から食事は作ってくれていたが、引っ越して一日目の朝、朝食を食べないと言ったら「ダメだよそんなの!」と激しく主張し、少しでもいいから食べろと強制されたのだ。それ以来、毎日朝食を取るようになったのだが、そのせいか、体調がすこぶる良い。  夜のマッサージといい、毎日体調を考えていろいろしてくれるのだ。どんなにに感謝してもしきれないと思う。  いつも文句を言ってはいるが、掃除をしないくらい、大した欠点じゃないと思っている。  そして一緒に生活してだいぶ経つのに、透はこいつがボーッとしているところを見たことがなかった。常になにかと動いているのだ。  筋トレをしたり、走りに行ったりと、まずじっとしていない。動いていないと思えば、なにかの知的活動をしている。つまり本を読んでいるとか、DVDを見ているとか、パソコンに向かっているとか。  TVを見ていても、やたらリアクションをとるので見ていて飽きないのだが、それでは休まらないのではないか、と透は考えていた。  翌朝、やはりいつも通り、目覚めるとベッドに淳哉はいなかった。階下に降りると、暖炉に火が入り、朝食が用意されている。淳哉はこざっぱりと身支度も調えた姿で、ソファで足を組んで本を読んでいた。 「おはよう」  透が声をかけると本を投げ出してソファから立ち、駆け寄ってきて透を抱きしめ、キスした。 「おはよう透さん。ごはんできてるよ」 「ありがとう」 「ぜんぜん」  嬉しそうに笑う顔は、幸せそうに見える。  こいつは否定したが、昨夜聞いたこいつの子供時代は、普通に考えて幸せなものじゃなかった。本当なら保護されてしかるべき年頃に、自分を(よろ)う方法を身につけてしまったこいつを哀れだとも思ったが、それより今、こうして自然に笑えるこいつは凄い、という感慨の方が強く残っている。  そして透は、自分にできることがあるならなんでもしてやろう、という思いを新たにしていた。  透がキッチンに入り、自分で紅茶を煎れる間に、フルーツヨーグルトを冷蔵庫から出した淳哉がそれをテーブルに運ぶ。昨夜水浸しになったテーブルは、一応拭かれていたがおざなりで、透はきれいに拭き直さなければならなかった。  ソファに座り、食事を取り始める透に満足げな笑みを投げた淳哉は、隣に座ってコーヒーを飲みながら、さっき投げ出した本を読み始める。透の食事中に、こいつは煙草を吸わない。  今日読んでいるのは英字の本で、アメリカ経済についての論文集のようだった。  いつも思うが、読む本に一貫性がなさ過ぎだ。  普通に小説本やマンガも読むが、それ以外、つまり英文学、心理学、哲学、民俗学など、論文書もよく読んでいる。透の中世音楽についての論文も読んでいたし、物理や数学など理系こそ読まないようだが、それ以外なら節操がないほどだ。  やがてページをめくる手が早くなるのは、没頭し始めたサインだ。こうなると周りが見えなくなり、物音も耳に入らないようで、もの凄い集中力だといつも感心する。  だが今日はいつもと違う。ここは別荘、休んで力を抜いても良い場所なのだ。 「なあ淳哉」  案の定、一度声をかけたくらいでは気づかない。透が脇腹をつついてやると「ひゃ!」と声を上げて、ページをめくる手を止めた。 「おまえ今日くらいは楽にしてさ、少しは気を緩めたらどうだ?」  そう透が言うと、「なんで?」と意外そうに目を見開いた。 「もったいないじゃん時間が」 「もったいないだって?」 「そうだよ」 「おまえなあ……」  透は食事をしながら、ため息混じりに続けた。 「リラックスする為に俺たちはココに来たんだろ? たまにはボーッとするとか、そういう気を抜く時間も必要だぞ」 「え~、だって時間無駄にしてると思うとイライラするでしょ」  当然だとばかりに言う淳哉に、透は反論した。 「おまえいつもそんな感じだろ。けどな、頭を空っぽにしている時にこそ、ひらめきって来るもんだぞ。心も体もリラックスすることって大事なんだ。絶対にそういう時間は必要なんだよ」  透が言うと、なるほど、と呟いた淳哉は、読んでいた本を閉じて、ぽんとそこらに投げた。 「こら、ちゃんと片付けろって」 「黙って透さん。ぼーっとするんだから」 「おい、そういうのは、今から始めます、ってもんじゃないぞ」 「いいから黙ってて」  毅然と言ってソファに身を預け、目を閉じる様子を、透はひっそりと笑いながら見る。  こいつはやたらと人当たり良くて、いつも笑顔を絶やさない。どこに行ってもフレンドリーな姿勢を崩さずに、出会う人を魅了している。  だが実のところは、基本的に人を信用していない。信用しないから内心を明かさず、むっつりしていると面倒だから笑っている。そういう考え方をするやつだ。  なのにいったん信用したら、大丈夫かと心配になるほど素直に全てを受け入れる。マウラという名前は、今までも何度か耳にしていたが、そういう意味で世話になったひとだとは知らなかった。淳哉はその人をありえないほど信頼して、助言を素直に聞き入れるようなのだ。  日本で淳哉の世話をしている男性には定期的に会っているが、『わたくしと面談していることは、淳哉様にはご内密に願います』と言っていたから、おそらくマウラとは違い、距離のある関係なのだろう。  そして今、こいつは透の言ったことを信用し、意識的にぼーっとしようとしているわけだ。  そんなこと、普通は考えないだろう、と笑ってしまいつつ、自分に全てを預けてくれる男が可愛くないわけがなかった。だがやりつけないことが続かないということも、透には分かっていた。  案の定、三分もせずに「あ~っ!」と大声を出す。 「無理! むずむずしてきて我慢出来ない。イライラするし!」  目を開けて身を起こした男に、ニヤリと言ってやる。 「やっぱりな」  すると淳哉は嬉しそうに言った。 「でも今考えたんだけどさ」 「つうかおまえ、ぜんぜんぼーっとしてないじゃねえか」 「だから聞いてって! 僕さ、エッチしてる時って頭空っぽだよ。きっとものすごくリラックスしてエッチしてるんだね」 「……おまえな…」  呆れた透を、嬉しそうに見つめ、頬にキスして、耳許に囁く。 「だから今日も、リラックスさせてよ」

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