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三部 Lovers-18

「結局その人とはもう、遊ばなかった。なんかさ、面倒になっちゃって」  三杯目になったブランデーのグラスを揺らしながら、淳哉はクスクス笑っている。 「だって街まで出れば、女の人引っかける場所なんてたくさんあって、その人にこだわらなくてもセックス出来たしね。昼間なら堂々と学校から出られるわけだし、遊ぶ場所も不自由しなかったしさ。こだわる理由が無いっていうか」 「ろくでもないな、まったく」  眉しかめて漏らした声に、ハハッと笑った恋人に目をやりながら、透は思う。  その女性は、おそらく純粋な恋心を十四歳の淳哉に抱いてしまったのだろう。些細なプレゼントを喜んだこと、必死に言い訳したことなどから、そう推察できる。  ショップのスタッフとして美しい、と影ながら見ていた少年と近しくなり、情を交わしたことで、いつしか本気で愛しむ心が生まれていたのだろう。過去の彼女が奔放であったのだとすれば、恋を知ってから、それまでを悔やんでいたかも知れない。  十四歳から見れば大人に見えたのだろうが、二十一歳など、まだ未熟と言っていい年令だ。  とはいえその年齢での七歳差は大きい。  その女性は、まだ年若い、美しい少年を、本気で愛してしまった自分に戸惑っていたのかも知れない。  愛情をストレートに向けることに怯み、押し殺そうとしていたのかも知れない。  だから積極的に言葉にすることを躊躇ったのかも知れない。  その人の感情を、その頃の淳哉は分からなかったのだろうか。  いや、感じたに違いない。  感じたからこそ逃げたのだ。その女性からも、自分の感情からも。  おそらくそれ以降も、愛情を寄せる女性は現れたに違いない。だが淳哉は自覚した無意識で拒否し、それ以上考えることをせずに成長してきたのではないか。 「そういえば、デニスがさ」  淳哉がククッと笑いながら言ったので、透は深まる思索を中断して見返した。 「しばらくして彼女ができちゃって、遊びに行こう、女の子引っかけに行こうよって誘っても断るんだよ。『もう女といいかげんに付き合うのやめろ』とかいって、僕らに説教なんてしてさ。来るたんびに『本当に好きな子を作れ』とか『その方がセックスも百倍気持ちイイ』とかさ、ずっと言うんだ。そのくせ彼女とケンカしたとか言って部屋に来て泣いてるし。バカじゃないのって言ってやったんだけどね、バカはおまえだとか言い返すしさ」  苦笑気味の淳哉を見ながら、透は微笑ましい気分になった。  その少年は、淳哉達より少し早く、ほんの少しだけ大人になったのだ。おそらく好きな娘ができて結ばれたことで、無上の喜びを味わったのだろう。  だから、誰かを心から想うこと、想う人に想われた時の悦びを知った時、それを伝えて同じように幸せな気分になりたかった。大切な友達だからこそ、そういう感情を分かち合いたかった。そうなのではないか。 「そうそう、デニスってお菓子の代わりにプロテイン食うようになってさ、ケニーと競うみたいに筋トレなんてしちゃって、凄いマッチョになったんだよ。そんなのに部屋でめそめそされたり説教されたりとか面倒な感じで。しょうがないから、もう来るな、とか言っちゃった。あいつが来ると部屋がきれいになったんだけどね」  そう言って肩を竦めた淳哉は、ゴクリと喉を鳴らして酒を飲んだ。  少年は口惜しかっただろう。なぜ伝わらないかと焦れったくなっただろう。  心が伴えば、セックスはただの処理ではなくなる。友人を大切に思うからこそ、本当に悦びの伴うセックスがあることを教えたいのに、伝えられない自分を責めたかも知れない。けれどおそらく彼女がそんな少年を慰めたのだろう。そう考えて、透は微笑んでいた。 「まあでも、結局また彼女とケンカしたって部屋に来てメソメソしてたんだけどね。部屋の掃除は自主的にしてくれたから、元通り」  ハハッと声を上げ笑った淳哉は、また酒を飲み、目許に笑みを乗せて透をじっと見つめた。 「でもさ」  と言って言葉を切り、目を伏せて続ける。 「分かっちゃった」  そう言って目を上げたとき、笑みは照れくさそうなものに変わっていた。 「ここで、透さんがいなくなった時、デニスの言ってたことが分かった」  思いがけない言葉に、透の目が見開かれる。 「ていうかさ、透さんとエッチした時、ビックリするくらい気持ち良かったんだ。もうとまんないってくらい。なんでかって考えて、なんでか分からなくて、セックスの相性がめちゃくちゃ良いんだって思った。だから離したくないんだって思ってたんだけど、あの時、違うんだなって。もう逢えないって思った時に……分かった、ていうかさ」  見つめ返す視線は、嬉しい言葉に柔らかくなり、透は、ほわり、と笑う。すると淳哉も嬉しげに笑みを深めた。 「そう言えば、あん時、めちゃくちゃ泣いたんだったな」 「そうだよ。目が溶けるかと思った」  囁くような声で言うと、淳哉の腕が伸びてきて、抱き締められた。 「おい」 「ねえ、大好きだよ、透さん」 「……俺もだよ。おまえの事大好きだ。……いや」  今までこの言葉を、誰かに対して使ったことはなかった。自分などが使うにはおこがましいと感じていた。あるいはどういう意味かを分からないまま使うのが恐ろしかったか。  そうだ、透自身がこれほどまでに人を愛するということなど初めての体験なのだ。自分自身より大切な誰かがいると言うことが、いかに幸福なことか、自分も知らなかった。だから使わなかった言葉。 「愛してるよ」  だがこの男になら言える。  いや、言わなければならない。  これがそういう感情なのだと、教えてやらなければならない。 「俺はおまえを、愛してるよ」

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