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四部 シニア・ハイ-7

 あれから淳哉は集中力を復活させることができて、自分の中で遅れたと感じていた部分はしっかり取り戻せた。合気道の稽古も問題無くこなせて、自分への満足も以前通りのレベルまで復活している。  そして次の火曜日、家庭教師の日。  ジャスは来ないだろうと思っていた。  もし自分が男の手で無理矢理イカされたとして、そのときちゃんと対処出来ず(あり得ないけど)逃げ出してしまったとして。  まあ、もしもそんなことがあったとしたら、気まずくてどんな顔して良いか分からないだろう、と想像したからだけど、だとしても呼び出すかナンカして捕まえようと思っていた。なにしろ彼は雇われてるわけだから「ちゃんと仕事をするべきだ」とか言えば断れないはずだし。  なのにジャスは三日後、次の家庭教師の日にちゃんと来たので、淳哉はとても愉しい気分になった。  彼は、ちょっと変わった家庭教師だ。  ていうか彼の他に家庭教師なんていなかったんだけど、他の教師とはだいぶ違う。  以前の学校で、独特の書き方で覚えるべきを羅列していく淳哉に、教師達はそうではない、覚えるだけでは無く考えることが重要だと指摘した。それに淳哉が反抗したのは、自分なりに考えてやっていたし、結果も出していたからだ。  まず詰め込むことを優先していたのは、それらの整理が不得手だという自覚があり、少しでも早く賢くなりたかったから、まずは得意分野、『覚えること』から攻めて行こうという考えからだったし、なにも考えてない的な言いがかりには腹が立った。しかしたいていの教師は、理由を言っても「言い訳するな」とか言って聞こうとしない。  なんだけどジャスは違った。  家庭教師としてやってきた最初のとき、ジャスは淳哉の勉強にやり方を聞いて、ひとつひとつ、これはなぜ? と問い、誤魔化しを許さずに答えさせた。  少しでも言い淀んだりすると、そこに突っ込んで、淳哉自身がしっかり理解してから次に進む。その過程で、淳哉は自分の考えが甘かったことや、曖昧にしたまま放置していたことが少なくなかったことを、いやでも自覚させられた。最初の一週間はその作業に費やされ、学習という意味で時間を過ごすようになったのは次の週からだった。  そこまでで自覚していた淳哉は学習方法の転換を考え、終えていた。それを話すと「なるほど、すごいな」とニッコリ笑い、ジャスは頭を撫でた。淳哉は『可愛い』と言われる以外で撫でられたのは初めてだったので戸惑った。  学習中に質問を向けると、まずその場で答えられることと時間を必要とすることに分けて、答えられること以外は保留とし、次回必要な資料などを持ってきて根拠を示しつつ説明するのだが、その時ジャスは、なぜ疑問に思ったのかを聞いた。どこが理解できていなかったかを含め、淳哉自身に考えさせていたのだ。  ジャスは淳哉の勉強法が偏っていること確認し、なにごとも深く考えようとしない淳哉に思考を掘り下げていく癖を付けさせようとしていたのだった。そこから発展して、議論する時の方法論も、淳哉は知らずに身につけていった。  ジャスが用心深く、高慢とも言える自意識に触らないようにしていたので、淳哉はこの家庭教師と共に勉強をすることに不快を感じていなかっただけなのだが、ディベートの授業(クラス)やクラブで上位の成績を獲得した。  この学校ではライバルと目される他校と定期的に対抗ディベートが行われるのだが、その代表の一人に選ばれたのだ。選ばれれば負けたくないがために、そこそこの結果を出して、そこまで至って自分にディベート力がついていることに気づいたのだった。  そして過去、面倒だという理由で、ディベートのクラスをちゃんとやっていなかったと自覚し、変わったのがジャスの指導によるものだと言うことを、さすがに理解したのだ。  しかしその力、つまり討論(ディベート)で勝利を得るノウハウは、無自覚にそれ以外の場でも活用されていた。  それは主に『愉しいこと』をより『愉しく』するために。  プライベートで人を煙に巻いたり、自分の望む行動を取らせたり、といったこと。つまり仲間の言う『悪だくみ』において、である。  ジャスを部屋に招き入れると、家庭教師はいつも通り椅子に座り、テキストやファイルを取り出して、淡々と仕事を進める姿勢だ。まるでなにも無かったみたいに。  前回、持ち帰ったのであろう資料を開いた。 「この間、ジュンが言ってたことにも関連してるね」  言いながらページを捲り、開いたところで文字に指を走らせる。 「これだ。認知心理学の中で、オプティカルフローの……」  声が止まったのは、淳哉の左手がジャスの右手の上に重なったからだ。 「どうしたの? 続き、教えてよ」  何食わぬ声で言いつつ、淳哉の右手はペンを走らせる。家庭教師は額に吹き出た汗を親指で拭いながら、小さく咳払いした。 「……オプティカルフローの特性について、……ここで、語られ……ジュン」 「なに?」  淳哉はペンを放り出し、椅子を動かしてジャスにピッタリ寄り添っていた。家庭教師の手の甲を、手入れした指先で撫で、手首へと滑らせる。 「ち、…近いよ。少し、離れて」 「なんで?」  指は二の腕へと上がり、ポロシャツの半袖の中へ入り込んだ。女性とは違う、腕の筋肉質な触感は、淳哉にとって悪くないモノだった。指をそこから動かし、脇を経由して胸へとなぞっていくと、身体を強張らせていた家庭教師は、ピクッとしつつ「やめなさい」と言った。 「オード・ジャスティ・スミス。この間は気持ち良かった?」  耳許でそう囁いて、そこに舌を伸ばす。「……なにを、言い出す、んだ」微かに震えを帯びる声を無視してチロリと耳殻を舐り、「ねえ、ジャスって男が好きなの?」問いかけながら耳朶に軽く歯を立てると、肩がビクビクと痙攣のように動いた。耳が真っ赤になり、そこから赤が広がっていく。先日のように汗がこめかみから噴き出して流れる。 「……やっぱりそうなんだ」  言いながら胸をまさぐってみた。女じゃなくても胸って有効かな、などと考えていると、絶え間なく噴き出る汗にポロシャツの胸がしっとり濡れ、ささやかな乳首がうっすら透ける。そこを指で撫でると若干息を荒げて微動した。おお、と思ってグリリと押すと、また肩が揺れた。  やはりジャスは逃げない。けれど赤い顔のままきつく目を閉じてる。 「やっぱりこういう期待して来たんだ?」  耳を舐りながら続けると、家庭教師はぴくぴくと肩を揺らしつつ、震える声を漏らす。 「……違う。俺は、仕事だから…」 「だって逃げないじゃん? 触れるな、ってい言えば済む話なのに、それも言わない」  男相手じゃ勝手が違うかと思ったけれど、同じだ。 「また気持ち良くなりたいんだよね。そうなんでしょ?」  興味のないフリしながら、実は誘われるのを待ってる女と一緒。  これは押せば落ちるパターンだ。  淳哉は胸を弄っていた手を股間へ降ろして撫でた。予想通り、そこはすでに熱を孕んで硬くなっている。  なるほど、男は分かりやすくて良いな、と思いつつ、耳の後ろにキスして低い声で囁いた。 「ねえ、男同士のエッチ、教えてよ」  夕食後、部屋へ来たフランツが、呆れたような声を出した。 「おまえ、ここでヤったのか」  乱れたベッドのシーツに、血液の汚れと精液のシミがあるのを見つけたのだ。 「我慢しろよ」 「できるかよ、我慢なんて」 「きついの分かるけど、手コキにしとけよ」 「そのつもりだったんだけどさ」  ニッと笑ってやると、フランツは大げさに溜息を吐く。 「つうか学内の女なんて。しかも血が出たってことはバージン? 二重にやばいって」 「バージンじゃないし」  そう言って淳哉は声を低めた。 「女でもないよ」

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