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四部 シニア・ハイ-15

「おい、噂のケイトからだ」  フランツが手に持った封筒をヒラヒラさせながら部屋に入ってきたのを見て、淳哉は顔を顰めた。 「なんでおまえが持ってくるんだよ」 「おまえが避けてるからだろ? 道場で待ち構えてたぞ」  あの翌朝、彼女を寮へ送り届けるまでは何食わぬ顔で過ごしたが、それ以来二週間、淳哉はケイトに連絡を取っていない。  ベドフォードから帰ってすぐ、フランツにはあらましを話したのだが、冷徹なアーリア人はいつも通り甘くはなく、声も表情も厳しかった。 「親のこととか言い過ぎだろ、バカが」  と冷静に言われ、 「だってその話すると黙るから」  言い訳する淳哉の話を難しい顔で聞いていたフランツは、 「おまえゴム使っただろうな」  と聞いた。 「いや、使ってない」  と答えた淳哉の頭をバシッと(したた)か張った。 「だってバージンだったんだよ? 初めてのセックスで妊娠とかありえないだろ? 生の方が気持ちイイし」 「アホか」 「ヘンなこと言い出したの、ヤった後だよ? 予測つかないって」 「知るか。俺には関係無い」  突き放されて、その時の会話は終わっていた。  いわゆる“清い交際”ってやつは、今までやったことなかったし、なんかいも同じ女の子と会ったり話したり、なのにセックスしないなんて淳哉的にありえなかった。けれどフランツを賭に勝たせる為に時期を待っていたのだ。  二人で話をしていると、わりとすぐにディベートが始まる。楽しめるうちは良いけど、だんだん面倒になる演説を聞きたくないと思うと、淳哉は子供の頃の話をした。それで彼女が黙るからだ。それ以外の意味なんて無い。  これだけ手間暇かけたんだし面倒な演説にも我慢したんだから自分にご褒美と思って生でヤった。  それがありえない誤解を生んだ可能性に思い至り、淳哉はひとり、背筋を凍らせた。つまりケイトは、自分が淳哉にとって特別だと曲解したのだ。  冷や汗をかきながらどうするべきか考えたが、良い方策は見つからず、とりあえず淳哉は逃げることにしたのだった。  ケイトは最上級の十二年生で多忙だし、三週間ほどの交際期間で彼女の行動パターンは分かっていたので、出没しそうな場所から遠ざかり、合気道の稽古ですらさぼっていた。道場に来られたら逃げようがないからだ。  これくらいあからさまに避ければ、その気はないと分かるだろうと思ったのだが、敵は粘り強かった。日に何度も電話が来るし、メールも頻繁だ。内容はいつも同じ。  “あなたが本当に欲しいものがなにか、私には分かってる”  “怖がらないで。一歩踏み出すことが必要よ”  “なにがあっても私だけはあなたを見捨てないってこと、覚えてて”  思い込みに満ちたひとりよがりのアプローチは、気分を萎えさせるだけでなんの効果も生まない、と言ってやりたいが、それで敵がどう出るか読めないし、想像するだに面倒でアクションは起こしていない。  しかし淳哉はもう、うんざりだった。 「連絡が取れない、病気なのかと聞かれたぞ。電話に出ろよ。メールも無視するな」 「やだよ」  あくまで素っ気ない口調を維持しつつ、淳哉は本を読み続けたが、フランツはその頭を軽く小突いて眉をしかめた。 「自分できっちり始末付けろよ。事実、俺は迷惑してる」 「ああ、悪かったよ」  本から目も上げずに淳哉は続ける。 「でもまあ、ほっとけばそのうち飽きるだろ。それまでちょっとの間……」  言い終えぬうちに、本と目の間に封筒を差し出され、言葉を切って眇めた目でフランツを見ると、アーリア人は口の片方だけ少し上げて、皮肉な笑みを浮かべていた。 「おまえらしくもない。なにびびってる」  そのままでは本が読めないので渋々受け取り、そのままデスクに放った。内容はだいたい分かっている。おそらくメールと同じだ。 「びびってない。めちゃくちゃ面倒くさいだけだ」  強がってそう言ったが、フランツは鼻で笑ってDVDプレイヤーのスイッチを入れ、美沙緒の送ってきた新作を鑑賞し始めた。淳哉はそれをチラリと見てから読書に戻ったが、文字を追っても内容が入って来ない。溜息をついて本を放り出し、頭をかきむしってベッドに倒れ込む。  そう、淳哉は怖かった。 (家族だって? そんなモノ要らない。そんな形に意味なんて無い)  暖かい家庭を最も大切だと考える人がいるのは知っている。そういう人は家族を大切にすればいい。否定するわけじゃない。だからこっちのことも認めてくれ。そうじゃない考え方だってあるんだ。 (誰もが持っているものだから当然欲しがるなんて決めつけるな!)  叫びだしたい気持ちを抑え、淳哉は起き上がって本を拾い、ページを捲った。 (余計なことは考えるな。やるべき事は、山ほどあるんだ)  しかしいつも簡単にやってくる優しい集中はなかなか訪れず、さらに淳哉を苛立たせるだけだった。  週末だけでなく、クラスが同じ時にも、なるべくフランツと行動を共にした。  ケニーは選手に選ばれて、かなり多忙になったし、キースも主役に抜擢されて練習場に入り浸り。十一年生になって多忙になったデニスはステディとの時間を最重要視するようになり、自然、(つる)むのがフランツだけになったのだ。  合気道もまったく行っていない。  どうした、と師範から連絡が来たのも当然だった。十二歳で始めてから、熱があっても道場へ通うことを休まなかった淳哉なのだ。  個人的な問題が起こったので、しばらく休むと伝えると『確かに最近、雑念が多かったようだ』と納得され、『身辺が落ち着くまで、自己修養に努めなさい』と言われてしまい、唇を噛みつつ了承するしかなかった。  そんな生活がさらに一ヶ月も続くと、そもそも耐えることに慣れていない淳哉は限界を感じ、もう読むこともしなくなっていたメールを開いた。  そこに『重要なお話があるので、連絡を下さい』とあるのを見つけた淳哉は、決着を付けてやる、と考え、ほぼ二ヶ月ぶりにケイトへメールを送った。  やりたくなくともやらねばならないことであれば、前向きに向かっていける。けれどやりたいことを我慢するなんて、そんなことは基本やってない。何より大切に考え、修練を積んでいた合気道から離れるのも、もう限界だった。  逃げ続けても、強気の女弁舌家はあくまで執拗で諦める素振りも見せない。ケイトと話を付けるのは、やらねばならないことだった。

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