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四部 Lovers-19

 この別荘に来て、透に請われるまま語ったことで、いつのまにか古い記憶をなぞってしまっていた淳哉は、モップを杖にぼうっと窓の外を眺めていた。  ちょうど紅葉がイイ感じで、秋の真っ青な空に映えて、なかなかキレイじゃん、なんてニヤニヤしてるんだけど。  掃除をさぼってるかたちだけど、透に「こら」とか言われたらなんて返そうかなあ、なんて考えてたりする。  この別荘には稀哉と何回か来てるけど、ほぼ外で遊ぶための基地扱いで、ここにいるときは雨だったりなんだよね。窓の外なんて愉しくないし、ゲームしたり、ちょっと深刻な話してたりな感じで過ごしてて。  後始末も稀哉に「やっておいてね~」なんて言いっ放しでOKだった。稀哉を迎えに来た美沙緖にお任せしたりもしたし、そんな感じだったから、こんな風に掃除を言いつけられたのも、やりたくないなあと思いながら、まったり景色を眺めたりってのも初めてだ。  まあ、そんなこと考えるのは、やっぱり気分が良いからだろう。二日連続でたっぷりエッチ出来たし、透に聞かれるまま色々話して、なんとなくだけど身体まで軽いような感じがする。  気のせいだろうけど。  透はこっちに来ることになったきっかけについて聞いたけど、笑って誤魔化したらそれ以上聞いて来なかったので、イイことにした。つまり十年生から十一年生頃のことは話してない。  自分の事は好きだけど、あの頃って今よりもっと自分のことしか考えてなかったし、ゼンゼン我慢なんてしてなかったし、我ながら笑っちゃうくらい最低だったよなあとか思うようなこと、わざわざアピールする必要ないでしょ。  そもそも今までの人生で女性を殴ったのは、あの一回きりだしね。  まあ今でもケイトのことは好きになれない。  あんまり誰かを嫌うことって無いんだけどね、彼女だけは別格だよ。  あれ以来、女性と付き合う時は距離感を慎重に測るようになったから、良い勉強になったと今は思えるし、あの時期マジで愉しかったから、やっぱり良い思い出なんじゃない? あの五人組は今でもメールのやりとりとかしてるしね。  でもアレがなければたぶん、僕はアメリカで働いてグリーンカードもゲットして、今とは全く違う生活してたろうな、とは思う。  透と出会えたのは日本だからだと考えれば複雑だけどね、いち英語教師になってるなんて、あの頃、想像だにすることの無かった選択だよ。    あの後、けっこう大ごとになったんだよな。 『驚いただけなんだということは分かっているわ。だってあなたは家族が欲しいんでしょう?  でも急だったから驚いたのよね。すぐに嘘だと言って笑うつもりだったんだけれど、驚かせすぎたわね、ごめんなさい。  嘘をついたことは謝るけれど、あなたもいけないのよ。  あまりにも放っておかれたから、仕返しをしたかっただけなの。  この私を放置なんてするからよ。分かったらもう逃げないで、ちゃんと向き合ってちょうだい』  翌日かな、ケイトから来たメールで目一杯力抜けた。  安堵と、ついで訪れたのは無気力で、怒りの感情は湧いてこなかった。そんなのより自分を嫌いになりそうで、それをどうにかする方が大事って言うか。  だからメール返信もせずに着信拒否。もう二度と係わりたくなかったしね。  けど彼女は道場や教室に押しかけてきて、「大丈夫よ」とか「もう怒ってないわ」なんて見当違いな笑顔で寄ってきた。それでやっと気づいたんだけど、彼女に対してものすごい嫌悪感ができてて、指一本触れられたくなかったし避けまくったよね。彼女の指が絶対に触れないように身を躱し続けて、言葉も目線も返さなかった。  なんかさ、嫌いって感情は、ゼンゼン愉しくないし、もうコイツはいない者として扱おうって思って。少しでも愉しい方が良いじゃない。  まあ、周りがなんだかんだ言ってたし、彼女が焦れていることは察したけど、愉しくないことについて考えようとは思わなかったんだよね。  そうそう、一度寮まで押しかけて来たんだった。男子寮、しかも一番古い寮だからさ、勝手に女子が入ってきたって大騒ぎになったんだ。すぐ寮の外に押し出されたのに金切り声を上げて呼ぶから、仕方なく寮の入り口までは行ったけど、彼女がいるだろう方向に顔も向けなかった。 『迷惑ですよねホント。頭おかしいんじゃないかな』  とか、みんなに言って、うるさかったことについては一応、謝罪したけど、それだけ。  その場にいた全員、なるほどって感じでドアの外見てたっけ。それきり聞かなくなって、忘れてたんだけどね。  ただ、すぐにイヤでも認識させられた。彼女の父親が『娘を不当に傷つけた』という理由で訴えたからだ。  客観的に見れば、カフェの前で男が女性に暴力を振るった、としか見えないわけだし、目撃者は大勢いただろう。僕はなにも隠ぺいしてなかったから、訴えを起こすのは簡単だったんだろうな。  慌てて学校までやってきたマウラに、どういうことかとか訊かれ、何にも隠さず正直に話した。酒を買ってたことも含めてね。マウラが多忙なのは重々知っていたから申し訳ないと思ったし、酒の購入以外では誓って嘘をついてないってことも分かって欲しかったし。  ていうかホント、なんか投げやりな気分になってたんだよな。  呆れかえったマウラには厳しく叱責されたけど、きちんと弁護士を立ててくれて、優秀な弁護士は一度きりのセックスが同意のものであったことを証明した。そしてカフェでの会話やその後のつきまといなんか、ケイトの落ち度を並べ立て、最終的に示談で済んだのかな。訴えは取り下げられた。  そして一月の終わり、誕生日のすぐ後くらい。(タカオ)が寮にやって来た。 「要らぬ力も付けたようだな」  薄く笑って言った、それは意外にも初めて見るような親しげな笑みで、一瞬で笑みが消えた崇雄の顔を見ながら、ああ、もうここでの生活は終わるんだなって悟ったんだ。 「国内の危険もおおむね去った。これ以上マウラに迷惑をかけるべきではないだろう」  淡々と四月から日本の高校へ通うよう指示したときはもう、いつも通りだったけど。  あれほど行くことに抵抗のあった日本だったのに、それもいいかも、と思えたのはなぜなのか、深く考えなかったから分からない。  そんな事を思い出しつつ、本当に未熟だったなあ、でも十七歳だったんだもんなあ、なんて思ってしまうあたり、ビックリするくらい自分が好きだなあ、と淳哉はひとりで笑ってしまう。 「こら、ぼーっとしてるな。ちゃんと磨け」  キッチンから出てきた透が叱責の声をかけてきた。想像通りの声がかかったので嬉しくなっていたら「なにニヤついてるんだ」としかめ面になった。 「いや、僕って自分のこと好きだな、という自覚が」  それを聞いた透は、たちまちしかめ面から笑顔になる。 「それって笑うとこか?」  ククッと笑った透に、嬉しくなった。 「え~、だって馬鹿みたいじゃない?」 「つうかボーっとするな」  またしかめ面で指摘され、笑み満面で「は~い」と返事をして、床磨きの作業に戻る。  昨夜も思う存分、好きなだけエッチ出来て、透は何度も「愛してる」って言った。  なんというか、非常に満足してる。掃除の手伝いくらい、なんてことない。とかいいながら隙を見てさぼっちゃうんだけど。 「ちゃんと磨けよ。暖炉の始末もだぞ」  言いながら透は二階へ上がった。掃除とベッドリネンの始末を命じられてやったんだけど、掃除に関して信用無いからなあ、チェックしに行ったんだろうな、と思いながら、淳哉はモップを放り出して暖炉へ向かう。床磨きより愉しそうだし。  暖炉をざっと始末し、床を適当に磨き終えた頃、二階から透が降りてきた。 「やれば出来るじゃんか」  おお、これって初めての掃除に関するお褒めの言葉だ。ちょっとテンション上がる。 「こっちもちゃんとやったよ。これでいいよね」 「どれどれ……ん、キレイになってるな」 「でしょう? もっと褒めてよ。褒めれば伸びるタイプだからさ」  甘えて言いながら、透を背後から抱きしめた。 「ようし、じゃあこれからおまえの掃除当番決めるか」 「ええ~っ! それは無いよ~!」  抱きついたまま不平を鳴らすと、透は何も言わずにククッと笑って抱きしめてる腕を軽く叩いた。  透の髪に鼻先を埋め、そこにキスして息を深く吸い込む。昨夜も僕が洗った髪は、シャンプーの香りと透の匂いが混ざっている。 「ねえ、透さん」 「んー? なんだ?」 「僕さ、愛してるって言われたこと、前にもあったよ」  透は「へえ」、と声を漏らしつつ腕の中で振り返り、ニヤニヤ笑いながら鼻先を摘んでくる。 「ちょっとやめて、透さん痛い」  マジで痛かった。透さんって指の力強いんだよ。ピアノやってたからなのかな。 「どうせお前、そんなこといっぱい言われてるだろ」  透は鼻を解放しながらニヤニヤしてる。 「じゃなくて! ゆうべ透さんが言ったみたいなやつだよ」 「へえ?」  透は大好きな優しい笑顔で見上げてきた。 「良かったな」  そう言いながら胸を拳で軽く打つ。今度はゼンゼン平気だったけど、また「痛いよ」と不平を漏らすと脇腹を攻撃されたので、慌てて離れて距離を取り、両手を挙げて拡げて降参の意志を示す。 「ねえ、ちょっとは妬ける?」  問いかけたけれど、透はにやりと笑った。 「どうだかな。それより荷物、車に運んどけ」  シッシッと手を払うように動かし、くるりと背を向けて 「忘れ物が無いか見てくる」  とだけ言ったのだった。

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