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五部 インターバル -日本

 ※この章では、英語は「」、日本語は『』、で表しています。分かりにくいかもしれませんが、よろしくお願いします。       * * * 日本に来たのは1月半ば。  小ぶりのスーツケースひとつ抱え降り立った、ここはマンチェスターよりあったかいんだ。雪もないしね。  まっすぐ『ANESAKI』本社ビルに行くよう指示されていたので、めちゃくちゃ風が強くて髪は乱れまくるし歩きにくいし、悪態つきながらタクシーに乗り向かう。  偉容を誇るようなビルに到着し、ラフなダウンジャケットとジーンズTシャツにスニーカー姿でご大層なエントランスに入ると、警備員に止められた。それを手でいなし、澄ましこんだ受付の女性に名前を言うと、誘導されたのは父ではなくその秘書、コマのところだった。  期待していた自覚はなかったけれど、自分を待ち受けている白髪交じりの小男を見てダメージを受けた。  無意識にでも父という存在に自覚していた自分を叩き潰したい衝動にかられたが、どんな相手だろうと初手から弱みを見せるような愚を犯すべきではない。  ツラッと笑顔を維持しつつ『危険はおおむね去った』の意味について尋ねると、コマは心得たように頷いて語りだしたのだが、まあ概ね予想通りの話だった。  姉崎崇雄が『ANESAKI』の一番上の椅子に座った。それまでトップだった淳哉にとっての祖父(存在を想像したことも無かった)は、ここ数年健康を害しており、ほとんどの業務を崇雄が代行していたので実質的にトップと言えなくもなかったが、半年ほど前の株主総会で公式に承認されたのだそうだ。  祖父をはじめとする姉崎に連なる者たちにとって、崇雄は便利に使えるよくできた入り婿という認識だったが、外部の人脈や崇雄に賛同する親族を使い、反対派親族の所有株を巧みに減らしていた。つまり血筋がどうと叫んでいた者どもに、かつての発言力は無くなっているのだ、時代は血筋以外のものを求めていたということだ、等々語ったコマは誇らしげだった。  そして祖父の体調はさらに悪化し、淳哉の排除を目論んでいた父の妻も余命宣告を受けた祖父にかかりきりで、淳哉を気にする余裕を無くしている。 「遅かれ早かれこうなると思っておりました。と申しましても、予想していたよりも、信じがたいほど早い決着ではございましたが」  と笑んだ。彼は慇懃な態度を崩さなかったが、淡々とした説明の中に祖父に対する敬意は見えなかった。 「社長はどのような情況でも冷静に、先々まで見据えたうえで、常に最も適切な行動をなさいました。その積み重ねにより、信頼を勝ち得ることができたのです」 「ふうん」  そんなことどうでもいい。ていうか、十一年かかってんじゃない。早くもなんともないじゃん。  このひと、信用できるのかな。  マウラとの契約は切れちゃったし、「いつでも連絡してちょうだい」と言ってたけど、もう頼れないのは分かってる。マウラはもう親戚のおばちゃんポジションでしかない。  それでも彼女がいなければ弱くて愚かな子供だった僕がこの年まで生きながらえるのは難しかったかも、というのは理解してる。それに目的を達成しようと突き進むエネルギッシュな生き方は、僕の将来的な指針とすることができると思ってる。ぶっちゃけ面倒だと思わなかったとは言わないが、なんだかんだ言って彼女のことは大好きだ。  多忙なマウラを煩わせてしまったことには心から謝罪したし、女の子を殴ったという事実は反省したと伝えたけど、今回の行動については自分に非があるとは思えなかったから謝罪はしていない。  彼女のことを心から敬愛しているから、悪いと思ってないことで謝るような不誠実なことをしたくなかったし。「これからもずっと愛してる」と伝えて、僕的に熱烈なハグしてお別れした。  部屋にあったもろもろは、仲間に託してきた。売り払うなり好きにしてくれって、まあぶん投げた。膨大なアニメDVDと最新のプレイヤーをゲットしたフランツが異常に興奮してたのには笑ったけど、ケニーやキースが泣いてたのが意外っちゃ意外だったかな。まあ、今生(こんじょう)の別れってわけじゃない。連絡はいつだって取れるし、毎日顔を合わせなくなって忘れるようなら、それはその程度の関係だったということだ。  コマの指示するホテルに入ると体のサイズを測られ、日本語でいろいろ言われた。ていうかこいつ英語分かるくせに、ホテルに来てから日本語しかしゃべらない。なんで? と聞いたら『日本語のレッスンを受けていただきます』だって。めんどくさい。  そっからホテルに閉じ込められてレッスン漬けの毎日だよ。日本語のレッスンだけじゃなく、日本にしかない教科についてのレクチャーとか、ANESAKIの概要とか、まあいろいろ。  常にレッスンしてるかレクチャー受けてるか、夜も必ず部屋に誰かいて外に出れない状態が続く。2週間も経ったらストレスでおかしくなりそうだったんだけど、父から電話が来て、「これこそがお前の受けるべき罰だ」と言ったので、罰なら仕方がないと歯を食いしばった。  我ながら頑張ってさらに3週間ほど。ホテルの部屋に修道服のような黒いスーツとバレエシューズのような靴が届けられた。黒いスーツは学校に行くとき着る必要があり、靴は校内に入るとき履き替える必要があるとか。面倒くさいなと言ってもコマは『そういうものなのです』と日本語で言って笑ってるだけ。もうこの辺になったらコマに何言ってもしょうがないって諦め気分はあったけどね。いくら策を弄してもどう突っ込んでも食い下がっても、コマって顔も言うことも変わらないから。  で、その修道服を着て四月から通うって学校へ連れていかれた。校長に挨拶したり、入る寮の部屋を教えられたり。まあ行く先が分かったことでちょっと気分は上がったよね。この状態が永遠に続くわけじゃないって分かったわけだし、目標があれば単純にモチベーションは上がる。  またホテルに監禁状態になったけど、僕は学校へ行く日を目指して頑張ることにした。

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