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五部 高校二年-1

 そして四月。  前日に寮に入り、荷物を置いて同室とフレンドリーな挨拶を済ませてから次に行ったのが「ショクインシツ」というところ。入ると全員男で、みんなダサダサなジャケットを着ていて、当たり前だけど東洋人ばかり。なんとそこは教師全員が使う共同オフィスだったんだ!  驚いたよ! デスク一つに資料が収まるわけがないし、独自の研究をしたいときなんて、絶対困るだろ? どういうシステムなんだ?  コマに聞いたけど『そういうものなのです』と笑ってるだけ。僕は「ああそう」と返して肩をすくめた。コマに食い下がっても効果ないのは学習してたし、知りたいことは後で他のやつに聞けば良いわけだし。  さて、そこは男子校だった。UKには有名な男子校があったりするし、ステイツにも男子校はあるし、男しかいないのは当然。そこは問題ない。  見る人全員東洋人なのも、ここは日本で、単一民族国家だということを知っているから、違和感がないとは言わないけど納得できる。  そのうえで僕は今、非常に奇妙な体験をしている、と言わざるを得ない。  だって教室にいる全員が同じ服を着てるんだよ? 僕らは単なる学生で、警官でも消防士でも、ましてクソったれなピザ屋の店員でもないのに意味わかんないよね? というか僕も同じ服を着てるわけだけど、マジ意味不明。  さらに教師が言う通り黒板(ブラックボード)の前に立ったら『ジコショーカイしなさい』と言われたわけで。それはなに? と聞いたら自己紹介(self-introduction)だと言われたんだけどさ、それってこんな雰囲気でするもの? 晒し者感すごいんだけど。  おおよそ四十名弱の同じ服着た黒い髪の男ばっかり(これがまず異様)が黙って僕だけを見つめてるんだよ? うそでしょ? の感情を乗せた目線を送っても、教師は促すように咳払いをするだけ、ぜんぜん助けてくれそうにない。  自分を知ってもらう行為って、もっとフレンドリーな感じでやるんじゃないの? という気分はあるけど、こうなったらキースの真似だ。舞台に立った心持ちになってしまおう!  僕は肩を竦めて首を振り、両手を拡げて満面の笑顔になる。 「Hi! 僕はジュンヤ・アネサキです。ジュンと呼んでください。マンチェスターから来たばかりで日本のことはまったく分からないけど、勉強は負けないつもり。Thank you for listening!」  英語で言ったら、同じ服を着た男ども(オーディエンス)は足を踏みならす音と机を叩く音を立てた。  オーウ、もしかして歓迎されてない? アウェイ感すごいな。 『静かに!』  教師が野太い声を張り上げると、物音はピタリと止んだ。なんだこれは。軍隊か? 『姉崎、日本語はまったく分からないのか』  と、日本語で聞いても、ホントにまったく分からなかったら、なにを言われたか分からないじゃないか、と思いながら、『あー、少しは?』ニッコリと返した。 『なら、できる限り日本語を使いなさい。日本語で自己紹介をやり直せ』 「え、日本語で自己紹介?」  英語で問い返すと、教師はうっそりと頷いた。 (英語分かるんなら英語で言えよ)  ていうか昨日から同室になったアキラも寮監だというおっさんも英語で話しかけてきたよ? そうだ、今朝アキラが食堂へ案内してくれて食事を取ったけど、英語で会話しながらだったし、まあ荷物整理とか慣れないことしてたから会話自体あんまりしてないけど。学校に来てからまったく日本語で会話していなかったんだよ?  いきなりハードル高いなとは思ったけど、日本語のレッスンは受けたし、英語で通すわけにいかないのも理解してる。なんとか直訳の自己紹介を終え、指定された座るべきデスクに落ち着いて、ひっそり溜息を吐いた。  今朝シャワーを使えなかったので、なんとなくすっきりしないし。  ここの浴室はシャワー室ではなく、大きなバスタブに湯を溜める方式で、これはちょっとした驚きだった。日本の公衆浴場というものについて知識はあったけど体験したことは無かったから、逆にエキサイティングな気分でバスタブに浸かった。でも身体はざっとしか洗わなかった。シャワーブースの仕切りがないから、いつも通りに洗ったら周囲に飛び散るだろうし、いきなりネガティブなイメージ持たれると面倒かなと思ったし、朝早く起きて人の少ないときに洗えば良いと思ったしね。  なのに今朝、バスタブに湯が溜まっていない時間は浴室を使えないと聞かされて大ショックだよ! 「バスタブに湯を溜めるのは好きにすれば良い、けれどお湯が出ないわけでもないのにシャワー禁止!? まったく意味が分からない!」  アキラは何度も頷いて「そうだよな、シャワーくらい使っても良さそうなもんだ」と言ったから、僕はヒートアップした。 「そう思っているなら、なぜ行動しないんだ? これは重大な問題だろ?」 「見た目日本人だけどアタマん中まるっきりアメリカ人だな、おまえ!」  アキラは顔をくしゃくしゃにして大笑いしながら言った。 「ヘイ、なぜ笑う? 別にジョークは言ってないぞ」 「あ~、分かってる、分かってるよ、でも面白い!」  げらげら笑うアキラは放置することにして、とにかく時間だからショクインシツ経由で教室に来たわけだけど。 (寮を出て教師のオフィスまで三分もかからないなんて! 幼稚園(キンダーガートン)並みの距離感じゃないか。しかもなぜ靴をいちいち履き替える? なんだってそんな面倒なことをするんだ?)  もちろんマンチェスターやコンコードの学校が桁外れに広い敷地を持っていたという認識はあった。けれど何もかもおかしすぎる。  授業の進め方もランチ時間の過ごし方も、今までの常識は一切通用しない感がすごくて、いちいち苛立ったけど声を上げても現状がすぐに変わるわけではない。  日本に来てから培った忍耐力を発揮して、僕は夜まで待った。監視のない時間に気晴らしすれば良い。  ガールハントは最高の気晴らしだ。外国に行ったとき、いち早くその国に慣れるには、女の子と遊ぶのが一番、……と誰かが言っていたような気がするし、心優しい女の子は『日本語を練習したいです。教えてくれますか』と言えば、たいていついてくるしエッチもできる。何度も訪日しているから、可愛いくて軽い女の子がどこにいるかはだいたい分かってるしね。  まあ一応、同室のアキラには出かけると伝えた。 「いいけど、八時に点呼だからな、それまでに戻れよ」 (点呼! ここは軍隊か?)  反射的に嫌な気分になったし、ニヤっと笑ってるアキラが好意から言ってるわけではなさそうに見えたけど、僕は軽く手だけ振り塀を越えて街へ出た。この学校には警備員もいないし塀も低い。セキュリティーはザルもいいとこ。  僕は愉しく時間を過ごし、点呼ギリギリに部屋に飛び込んだ。  アキラは驚いた顔をしたけど、点呼の上級生がドアを開くと何食わぬ顔で『二人、揃ってます』と答えていた。 「ヘイ、アキラ、慣れてるな!」  陽気に声をかけると、アキラは片眉を上げて日本語で言った。 『調子に乗るなよ。ここは日本で、ここは伝統ある学校なんだ。自覚を持って貰わないと困る』  日本語を話すことはあまり無いが、しょっちゅうアニメを見ていたしレッスンも受けたので聞き取りはできる。  淳哉はしっかりと意味を理解し、アキラの自尊心を傷つけたらしいと悟った。  これは謝罪をすべきだろうと考え、僕は言葉を選ぶ。こういう場ではフランクな言い方をすべきだ。 『すまねえ。オラ気をつけるぞ』  アキラは顔をくしゃくしゃにして大笑いした。

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