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五部 高校二年-2
「レッスンで覚えた日本語では、これからの生活が楽しくないものになってしまうだろう」
そう考えてフランクな会話を心掛けていた淳哉だが
転入生が話す日本語がアニメキャラのセリフになりがち、という噂は、ただちに広まった。
“アメリカ帰りのやつ、けっこう笑えるらしいぞ”
それは転入生が話す日本語がおかしいという噂は、ただちに広まった。高校生の好奇心を擽 るに充分すぎる、おいしいネタであり、噂を聞いた者が入れ替わり立ち替わり声をかけてくる状態となった。
そんなことなど知らぬ淳哉は(転校生ががそんなに珍しいのか?)と不思議に思いつつ、いちいち丁寧に笑顔で応える。もちろん‟お堅いやつ”などと思われたくないから、若者言葉だと信じる口語を使って。それは必ず爆笑を呼んだ。
淳哉はアニメキャラクターの話し方こそが‟若者の使う言葉”であると信じていて、キャラクターの話し方を模倣していたのだ。それは必ずしも間違いではないし、同じものを一緒に視聴していたフランツであれば問題無かっただろう。彼は本当にアニメが好きでストーリーやキャラクター毎の個性も理解していたし、日本語のクラスも取っており正しい会話や日本のカルチャーも含め習得していたのだから。
しかし、その横でなにかやりつつ半端に見聞きするだけでOKとしてしまった淳哉は違った。DVDを提供した美紗緒の趣味もあって、鑑賞していたアニメはファンタジー色の強いもの、1990年代から2010年代のものが多く、さらに淳哉の記憶に残っているのは個性の強いキャラばかり。彼の信じる‟若者の使う言葉”は、一般的ではないキャラの半端な物真似の寄せ集めになっていたのだ。
取り澄ましたような笑顔からレトロ気味のアニメキャラの物まねが飛び出すというのは、かなりの破壊力を伴うギャップで、高校生たちにはギャグとしか思えなかった。
どうやら日本語を笑われているらしいと理解してから、『どこが違う?』と聞くようになった。なんとか笑いを修めようと努力しつつ、みんなが正しい言い方を教えてくれると、真剣な顔で正しい言い回しを何度も復唱する。その姿も新たな笑いを呼び、一緒になって笑う彼に対する評価は徐々に‟おかしな日本語を連発するのに平気な顔してるし、めっちゃ陽気なやつ”へと変わっていく。
いかにも鍛えた体躯、常に背筋を伸ばして堂々と歩き、整った顔立ちには自信に満ちあふれた笑みを貼りつかせていて、英語を話す転入生。当初‟なんかスカしてる”と遠巻きにされがちだったが、弄られて一緒に笑いつつもギャグをいち早く覚え、くだらない話や下ネタも大好き。いつしか周囲には常に笑いが溢れるようになり、ネガティブなイメージは払拭されていく。
‟話しかけてみろよ”
‟面白いやつだぜ”
‟ちょっと教えるとすぐ覚えるし”
そうしてどこにいても淳哉の周囲に人が集まるようになり、証言はどんどん増えていく。
‟朝メシ三回おかわりしてた”
‟メシ食うのめっちゃ早い”
‟食堂のおばちゃんに、コーヒーは落としたてを飲ませろって食い下がってた。つわもの~”
淳哉の行動はなんでも噂となり、面白がりの高校生たちにより話はふくらんで、さらに注目されるようになった。
‟アメリカで合気道やってたんだって”
‟でも正座は嫌いだってさ”
‟風呂使うのめっちゃ早いけど、シャンプーとかめっちゃ飛び散る”
‟朝、ロビーで筋トレしてた”
注目を浴びることには慣れている。ゆえに淳哉は、よってたかって笑われようが揶揄されようが卑屈にならず物怖じもせず、ニコニコと笑顔まで作り堂々とした態度を崩さなかったし、自己主張も忘れなかった。
‟朝にシャワー使えるようにすべきだって熱弁してた”
‟寮抜け出したこと無いのかってビックリしてた”
‟カラオケ連れてったけど、ありえない音痴”
‟酒も飲むし、タバコも吸うぞ。優等生って感じじゃない”
そしてアメリカにいた時以上に曖昧や疑問を放置しなかった。これからここで暮らすのに、どんなことだろうと曖昧なまま放置はできないと考えたからだ。疑問を感じるごとに級友や寮生に説明を求め、満足のいく回答が得られなければ教師や寮監に説明を求める。答えに納得が行かない場合や必要を感じれば改善を要求することも厭わない。そこではジュニアハイから鍛えたディベート力が発揮される。
いかにもアメリカ的な権利意識に裏打ちされた、アジテーション能力に特化したような弁舌なのに、語彙の中にアニメから来る言い回しが混じるのだ。淳哉の言動はおもしろおかしく広まった。やがて生徒には『陽気で行動的で良く口が回る転入生』として受け入れられたが、教師や寮監へ要求した殆どは却下された。
たとえば何度要求しても、朝の食堂で落としたてコーヒーを手に入れることはできなかった。けれど話題の転入生の要求に賛同するものが一定数集まれば、それはちょっとした運動 となり、実を結ぶこともあるのだ。
朝にシャワーを浴びたいという要求は、朝練後に汗を流したい運動部の連中の共感を呼び、正式に寮会議で議題となり、学校側に上申された。その結果、六時半から七時半までという短時間ではあるがシャワーを使用することが許可され、使用時間後は運動部などが持ち回りで清掃をすることとなった。
そうして早朝の浴室に、むさ苦しい行列ができるようになり、朝の筋トレ後にシャワーを浴びる習慣を取り戻すことができて淳哉は満足した。さらに淳哉は共闘したみんなで深夜、寮の娯楽室においてハメ外し気味の宴会めいたものを開催し、寮監に大目玉を食らった。
運動部の連中と廊下に並んで正座をさせられ、英語まじりの苦悶の声を上げて助けを求める転入生。そういったあれこれが自然に親しみを育てていき、いつしか転入生の印象は『面白がりでかなりエロい、調子いいやつ』へと変わっていた。
彼らはいつしか転入生を自分達のテリトリーへ受け入れ、二ヶ月も経てば日本の寮生活に馴染みきって、日本語もおおむね正常となっていた。
* * *
学校以外では、アメリカでのマウラに相応する立場で淳哉の生活を援護する者がいた。父の秘書である小間 である。
あくまで物腰柔らかく、誠実で穏やかな表情と口調を崩さない小間は白髪の目立つ小男で、初対面の挨拶を英語で交わした後、微笑んで言った。
「あなたがお生まれになった時のことを覚えていますよ」
しみじみと淳哉を見つめた孫を見るような表情から、その時点では与 しやすいおっさん、という印象を受けた。
「ご立派に成長なされましたな」
目を細め英語で言った彼が、実はかなり食えない人物であると、すぐに思い知らされる。
『以前と同じ事が、ここで許されるとはお考えになりませんように』
なぜならすぐに日本語で、穏やかな笑顔で、釘を刺されたのだ。
「え? なんのこと?」
笑って誤魔化してしまおうとしたが、小間の手綱 は緩まない。いつ集めたのか、彼は驚くべき情報量をもって淳哉のアメリカでの生活について把握しており、具体例を出して行動を制限するよう求めてくる。命令ではなく、要求だ。
たとえば女性と交際するなら、少なくとも一ヶ月以上の継続した交際をした上で、別離は円満に行われるよう調整する、であるとか。常に法令遵守の精神を忘れないこと、すなわち飲酒喫煙など行うならけして露見しないよう手段を講じる、であるとか。
そのように穏やかな笑みで小間が突きつけてきたのは正義でも公正でもなく、公的に正しく見えるよう繕 うことだと知り、淳哉は興味を持った。それはマンチェスターでやろうとして失敗したことだったからだ。
『例えばですが、淳哉様』
事例を挙げて求める結果を提示し、可能かを問う。日本語では細かなニュアンスが伝わらないというと、この問答だけは英語で良しとされた。
提示した結果を導くことができるというと、「必ずできるのですね?」と言質 を取り、どのような方策を講じてその結果を導くのか具体的なプランの提示を求める。それに対する答えに小間がジャッジを下すのだが、少しでも危ういところがあれば最初から考え直すよう言い渡され、小間が及第と認めるまで問答は続く。
日本語のレッスンや教科のレクチャーの合間にホテルへ来て、生活に必要なあれこれを整えると問答が始まるということが続いた。その中で小間が求める淳哉のあるべき姿勢や考え方がどんなものなのか、なんとなく見えてきたような気がしていたけれど言葉として表すことができないまま、焦 れた淳哉に目を細め、小間は言った。
「端的に言って、"自覚”、でございますね」
穏やかな笑みを湛え、すっきりと伸びた姿勢で、どこか誇らしげに小間は続けた。
「ご自分が姉崎家の一員であることを、まずしっかりと自覚して頂く必要がございます。常に姉崎の名前を背負っている事を自覚し、行動の全てを律して頂かねばなりません。家名を汚さぬよう、細心の注意を払って行動する。それこそが社長の求められている、最大にして最も重要と考えられることなのですが。残念ながら、あなた様には、まだそういった自覚が備わっておられません」
こういう部分こそ、マウラと小間の最大の相違点だった。
マウラが重要と考え淳哉に身に着けさせようとしていたのは、淳哉がアメリカで独り立ちできる力を身につけることだった。しかし小間にとって最も重要なことは、父の望む方向へ淳哉を導くこと。つまり小間はあくまで父の部下なのだ。
「ていうか僕なんて傍流の亜流のゴミみたいなモンでしょ? そんなのほっといてくれないかな」
皮肉な笑いと共に言い返すと、小間は笑みを深めて「いいえ」と首を振った。
「たとえゴミであろうと」
「ゴミだってことは認めるんだ?」
「姉崎に名を連ねる以上、どんな方であろうと身を律して頂く必要があります。それにあなた様はゴミではございませんよ。社長の実子でいらっしゃいますし、幼少より米国へ遊学 なされ、優秀な学校で優秀な成果を修めた方として認識されております。このまま精進を重ねて頂き、将来、強力な戦力になられることを、私だけでなく社長も期待しておられますよ」
それを聞いて思わず鼻で笑った淳哉を小間は窘 めたが、淳哉は肩を竦めただけで改めようとはしなかった。
小間が社長と呼んだ父、姉崎崇雄は、来日して三ヶ月経って、いまだ会いに来ていないのだ。何の為に呼び寄せたのかすら疑問に感じているのに、期待などと言われて信じるなどできるわけがない。
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