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五部 高校二年-3
級友や寮生から日々受ける突っ込みに自覚を促された感じで、僕の日本語はすぐ改善した。
みんなと同じ話し方ができるようになったし、日本語を読むこともかなり理解を深められた。んだけど、日本語を書くことはなかなか上達しない。理由は明らかなんだけどね。
ていうか日本語のキーボード入力にはすぐ慣れたんで、必要なテキスト打ってたんだけど、予測変換という素晴らしいものがあるでしょ? それで正しい文章を素早く打ち出すことができたからさ、ペンを持って書くってことは殆どしなかったんだ。
というわけで漢字は読めても書けないのが多いし、読むことはできても聞き取りができない難しい言葉も多いし、まあ、まだ完ぺきとは言えない。
とりあえず『どうしても必要』なのだけガッツリ覚えるというやり方で、最初のテストはしのいだ。間違いがあっても帰国子女枠で許してとお願いしたら大丈夫だったし、その後もペンで文字を書くってのはあんまりやってない。だって他にやるべきことが多すぎるからさ、そこに時間取られてばかりってわけにいかないし。
得意の暗記法を活用して日本史を最初から覚えるとかね、ゼロからやんなきゃな科目もあったんだよ。理数系の科目なんか、新たに学ぶ部分があったりしたけど、前からやってたとこなら『設問さえ理解できれば』今まで学んだことをなぞる感覚でやれたし、最初のテストの結果も、まあまあ満足できた。
まあ、設問を理解すること自体が努力の対象だから、前みたいな余裕は全く無いんだけど、なんとかなりそうって感触はあった中、どうしても苦戦したのが古典。
最初に教科書を見た時、書かれているものがでたらめな象形文字の羅列としか思えず、『これを解読するなんて、考古学者の仕事だろう』と言ったらみんな爆笑してたけど、マジで文字と思えなかったし。僕って図形とか覚えるの苦手なんだよ。だから得意の暗記法も活用できない感じでさ。テストも悲惨な点数だった。けど古典の担当教師は僕が悪戦苦闘してたの見てたから、その努力を持って落第とはしない、と言った。
僕は学んだね。学びたいという意思とそれに伴う努力を見せれば、教師という生き物は満足するものなんだなってさ。
最初のテストが終わって、寮生活にも慣れてきて、ここでの生活もだいぶ落ち着いてきたなあ、と思ったので夜間外出を再開することにした。でもガールハントはやらないよ。
『女性と交際するなら、少なくとも一ヶ月以上の交際期間を保ち――』
なんて小間に釘を刺されてたけど、一人の女性と長期間付き合うなんて危険なことはしたくない、けどセックスはしたいじゃない。
そこで僕は考え方を変えた。
バレなければ問題無いならバレにくい相手と遊べばいい。パッと思いついたのは人妻、なんだけど、万が一バレた時のリスクがシャレにならないし、そもそもセックス大好きな人妻がどこにいるのか知らないし。
で、閃いたのはゲイをひた隠しにしている男。ジャスの例を見るまでもなく、セクシャリティを隠したいゲイというのはいるはずじゃない? なにしろ隠してるんだからバレる確率はかなり低いし、男相手でも勃つことは分かっている。要は相手を色っぽくさせてしまえばいいんだ。
問題は、日本のゲイにとって僕が魅力的かどうかだ。イメージで言うとマッチョでタフなタイプがモテそうなんだけど、それだと僕はアウトだし今までの戦略は使えない。違う方法論が必要になってくるわけだけど、まずは試してみようってことで。webで調べてあたりを付けたキャッチバーへ行ってみることにした。
点呼に返事してから出かけることにしたのは、点呼が過ぎたら朝までに帰れば大丈夫って教えてもらったから。
『伝統ある』学校にも色んなやつがいるってことだよねと言ったら、同室の旭 はむすっとしてた。今も『またか』って顔してるけどスルーして、窓から出て塀を越える。
タクシーで向かったのは、目当ての店近くのファミレス。そこでコーヒー一杯飲んでから歩いて店に入った。
店内は意外に広かった。ステイツでも行ったことないジャンルの店だし、若干緊張あるけど、いつもの笑みを顔に張り付けて奥へ進む。いきなり注目されてるみたいで、一瞬『ガキがなにしに来た』って感じかと思った。けど、すぐに興味を持たれているらしいと分かった。僕を見る目に覚えがあったからだ。
実は小さい頃とか、こういう感じで見てくるやつっていたんだよね。ほら、僕って最高に愛らしい子供だったじゃない? そういうのが好きな奴っているんだよ。
だからなんとなく分かる。僕もこういう目で女の子見てたのかな? あんまりそういうの出さないようにしてたつもりだけど。まあいいや、今はそれどこじゃない。
えーと、酒とか買わないとダメだよね。カウンターに行って自分で買うのかな。それとも座ったら店員が来る感じ? 暗いからはっきりしないけどソファはあるみたい。あー埋まってるかあ。うん、スタンドテーブルにも誰かいる感じ。じゃあカウンターで買うのか? どこにあるんだろ。分からないなあと思ってたら、『はじめてか?』声をかけてきたのはヒゲのないおっさん。
『奢るからついてこい』
と言われ、ついてく途中でどっかから伸びてきた手が、僕のヒップから背中にかけて撫でていった。その瞬間、ゾワッと鳥肌たった。また別の手が来て、それは払い落とした。
『酒はなにが……どうした。ビビったか』
おっさんがニヤニヤ言った。
『別に』
ニッと笑い返したけど、僕は周り中に神経向けてた。
なるほどこういう感じか。女の子に触られるのとだいぶ違うな。気を張ってないとダメだ。
カウンターには英語のメニューカードがある。マッチョな雰囲気のバーテンダーがうっすら笑いかけてきた。
『何にします? メニューは読める?』
「Tha’s fine. Forget about it.Uh…」(大丈夫、気にしないで。えーと……)
つい英語になったらバーテンダーはニヤッと笑った。
「What do East Coast babies drink. We have bourbon. Beer, too. Lager? Pilsner? We have the best ales. But we also have light beer and apple juice, lady.」(東海岸から来たベイビーは何を飲む? バーボンならそろってるぜ。ビールもだ。ラガー? ピルスナー? 最高のエールもあるが、ライトビールやアップルジュースもありますよ、お嬢さん)
西の方、なるほどこいつは英語が通じる。
「Budweiser please. Are you a West Coast rapper?」(バドワイザーください。あなたは西海岸から来たラッパー?)
正直どのビールがいいとか分からないけど即答する方が絶対カッコイイ。そして侮られたままではいけない。
「And I'm not a babe or a lady, unfortunately.」(それに、あいにく僕はベイビーでもお嬢さんでもないよ)
「Hella classy! Budweiser for you, young man. OK.」(お上品だな! バドワイザーな、ヤングマン)
『おい、英語できるのか』
おっさんが肩を叩いて言ったので「A little.(少し)」とウインクした。
そのままカウンターでおっさんとは日本語、バーテンダーとは英語でいろいろ話し、日本のゲイ事情なんか聞いた。
僕は二十歳くらいに見えるらしいとか、"抱かれる方”に見えるとか、相手探しに苦労はしなさそうだとか。学校では学べない日本のスラングもいくつか覚えた。今回は様子見だし、目的はじゅうぶん果たせたから帰ろうとしたら『送るよ』とおっさんが言う。寮を知られるとマズいので断ったんだけど『次はいつ来る』とかしつこい。
『僕はセックスの相手を探したいだけだ。家を知られたくないし、連絡先も教えないよ』
『なら、お前は教えなくて良い。俺の電話番号を教えるから、次は連絡をくれ。公衆電話からなら、お前の番号は分からない』
押し付けられたメモを手に、僕は帰った。
窓から部屋に戻ると旭はぐっすり寝ていたので、自分のベッドに入って満足のため息をつく。
考えてみれば、男の方が性欲強いしモラルは緩い。セックスしたいだけなら女の子より好都合かも。うん、バレなさそうだし、セックスだけってことならゲイの方が気楽っぽい。
数日後、点呼を終えてから僕はまた窓から出て、先日の店に行くことにする。寮から近すぎず遠すぎない距離感が都合良いし、サンフランシスコ訛りの英語を喋るバーテンダーがいるし、そんな危ないやつはいない感じだったし。
タクシーを降りて店に向かう途中、だんだんワクワクしてくる感じに、そうそうこの感覚だよ。イイ女じゃなくイイ男をうまく攻略できるか否か。これは最高にエキサイティングなゲームだ。賭けする仲間がいないけど、結局は個人プレーだから。でも例えば、フランツは相手をじっくり攻めて落とすタイプ。キースはトークで盛り上げてなし崩しに行くタイプ。ケニーはイケてる感を全面に出して、来るのを待つタイプ。
そして僕は速攻即断即決タイプ。
ほとんど直感で行くから相手のタイプは一定しないし、数打つので拒否られる数も多い。でもセックスできるという意味でいえば成功率は高い。
見た目で推測し、会話のジャブで性格を読んで作戦を立てる。女の子だと香水とかアクセサリーや髪や服装なんかで、ある程度パターンが読める。攻略は速攻、うまくいけばOK、無理ならすぐ引く。でもすぐ次に声をかけるようじゃ、がっついてますって宣言するようなモンで、少なくともこっちが優位に立つには良い作戦じゃない。
とか言って、ここは日本だし相手は男だし、今までの経験がどこまで活かせるかは未知数。慢心は良くない。
店に入ってカウンターへ向かいながら品定めの目で視線を巡らせた。物欲しそうな顔にならないよう、得意のアルカイックと言われるスマイルを顔に張り付けて。いくつかの意味ありげな表情が帰ってくるので、内心ほくそ笑む。
(けっこうがっついてるのいるなあ。これなら少し選んでも大丈夫そう)
カウンターに到着すると、バーテンダーは僕を覚えていた。
『久しぶりだな。どこで遊んでた?』
『あ~? あーマジメしてた。遊んでないよ』
日本語が少しつっかえてしまった。
「楽に話せよ」
ウインク寄越しながらバーテンダーは英語で言ってニヤリと笑う。
「OK、そうするよ」
「オーライ。またバドワイザーか、ボーイ?」
「うん、それでいい」
その場で金を払ってグラスを持ち、店内に散らばるスタンドテーブルの一つにつく。
一口飲んで、ゆっくりと視線を巡らせた。
前回と同じく、いくつかの視線がこっちを向いてる。探るようなもの、熱の籠もったもの、さりげなさを装うもの、さまざまだけど、バーテンダーが言った通り、僕の容姿は男相手でもイケるらしい。
大きな路線変更に迫られないことは、一つ安心できる要素だ。ホッとしつつグビグビとビール飲んでたら、いきなりテーブルにグラスが置かれた。ウイスキーのグラス? 視線を上げると、このあいだ話しかけてきたおっさんだった。にやにやしてる。
『覚えてるか? この間、うまい酒を教えてやっただろう』
ニッと笑って『もちろん』と答えたけど、なに話してたかなんて覚えてない。おっさんの日本語が難しかったし、あんまり興味なかったし。
『また違う酒を教えようか。うまい酒を出す店を知っているんだ』
目を細めて言葉を切ったおっさんは、視線を周りに巡らせながら声を低める。
『……どうだ、行ってみないか。これから』
言うと寄せていた顔を離し、少し胸を張るように姿勢を正してグラスを持ち上げ、ニヤっとした。
背はそんなに高くないし、身体も薄い。よく言えば知的な風貌。なのにあえてジャンクな態度を作っている感じで、正直似合ってない。
おそらく普段は猫背気味。今胸を反らしたのは自分を大きく見せたいから? こっちが若いから侮ってるのかもだけど、もともと偉そうにすることに慣れてるっぽい。普段から命令する立場かな。それに薬指。指輪の痕がある。おそらく結婚してる。
男の姿勢や服装、口ぶりからそんな推測を立て、頷く。立場が高くて結婚してるなら、自分がゲイだというのは隠したいだろう。
(なるほど、優位に立ちたいタイプか。うん、使えるパターンあるな)
ニッコリ笑い返し、自分から男に顔を寄せる。
『酒も良いけど』
そのまま声を低め、視線に意味を込めて見つめる。
『違うことも教えて欲しいな』
おっさんは一瞬息を呑み、すぐに息だけで笑った。余裕ある感じを醸し出して手にしたグラスを少し上げる。
『いいだろう。おイタなガキにご褒美やるよ』
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