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五部 高校二年-4
おっさんはノリと名乗った。
ノリはタクシーに乗って移動する間もずっと酒の話を続けていて、歴史とかまで滔々 と語ってた。難しい日本語が多くて半分も理解できなかったけど、いかにも興味をそそられたような顔を作ったら、どんどんテンションを上げてたからいいと思う。
むしろ調子に乗ってくれて、気分良くセックスできればいい。面倒な手続きは省略したいから機嫌良くさせときたい。前にセックスしてからひと月近く経ってて、もうすぐセックスできると思ったら、ガマンの限界が急速に来てた。
なのにタクシーを降りて、ノリが押した扉の向こうは洒落た感じのバーだったのだ。
(マジ!?)
冗談じゃない、酒のレクチャーはもういらない。どうしてもセックスしたい。もうガマンは無理!
(くそっ、またあの店に戻る? すぐセックスできる相手を探す? まさか!)
歯ぎしりしそうになりつつ、店に入ろうとするおっさんの腕を引いた。
『ホントに酒? 他のことじゃなくて?』
思わず真剣な顔と声で言うと、ノリは少し視線を逸らし『……っ、そ、……うだな』喉に引っかかったような声を出して身を翻し、近くのシティホテルへ向かった。
ホッとしてついてくと、フロントへまっすぐ向かってベッドルームが二つある部屋を指定し、『ツレが来るから』と意味不明のことを言ってる。
「Huh ? What are you talking about ?」
『黙ってろ』
ニヤニヤしながら言われ、もうなんでもいいと思いながらエレベーターに乗る。『ツレって?』と訊 ねたら、ノリはニヤリと言った。
『他にも来るってことだ』
(なんだそれは。ほかに誰かいたらセックスできないじゃないか。いやそれとも3Pとか? それなら経験ある。フランツと4Pしたこともある。もうなんでもいい、早くヤりたい)
イライラしながら上階に到着したエレベーターを降り、部屋で二人きりになると、待ちきれずにノリを抱きしめる。
『ねえ、誰か来るの? それまで待つの?』
『そうじゃない』
耳元で聞いたのに、ノリは腕から逃れ、落ち着いた様子で部屋を歩いて備え付けのバーカウンターでなんかやってる。また酒かと頭が熱くなった。
『男二人で部屋を取れば、要らぬ邪推を産むだろう。俺とお前じゃビジネスにも見えないしな。だが連れが来ると言えば、フロントや周りにいた連中は、俺たちが女を呼んでいると勝手に解釈してくれる。それなら下世話な想像をされるだけで済む。……そういうことだ』
『……どういうこと?』
難しい言葉が多い。問いながら歩み寄ると、ニヤリと笑ったノリは、ショットグラスを差し出した。氷も無く、ウイスキーが半分くらい注がれている。
『さっき言っていた酒だ。アイラモルトの一つで、ボウモアという』
『ねえ、酒の話をしにきたの?』
片眉上げ問うても、ノリは『飲んでみろ』とグラスを押しつけた。飲まないと負けな感じがしたので、ひとくち飲んでから文句を言ってやろうと思い、グラスを掴んで一気に呷る。けど酒は思いがけない香気で、心構え無しに喉を通った強いアルコールに激しくむせた。
醜態 を晒してる悔しさとゲホゲホ出る咳で顔が歪む。生理的な涙も出てきた。揺れる肩にノリの手がかかり、もう一つの手が背を軽く叩いた。
『ばか。一気に飲むやつがあるか。こいつはもっと味わう酒だぞ』
『…っ、だって、酒、なんてっ…っ』
ちょろい、と言いきれず、ゲホッとひとつ大きく咳が出たらなんとか治まった。呼吸を整えながらノリを見る目に恨めしい気持ちがこもる。酒はそれなりに慣れているつもりだったけど、ウイスキーをストレートであんな風にあおったのは初めてなんだ。
ノリはミネラルウォーターのビンを差し出して、『まあ飲め』と言った。喉がいがらっぽくなっていたので、奪うようにビンを取り、礼も言わずに喉を鳴らして水を飲んだ。
『落ち着け。がっつかなくても、俺だってその気だ』
声に目を向けると、ノリは照れくさそうに笑って飲み干したビンを奪う。僕の肩を押してスツールに座らせると、さっきの酒のグラスをまた差し出してくる。
「Again ? No more .」
顔の前で手を振った。もう頑張って日本語喋る気になれない。カッコよく繕うのも今更だし声は投げやり。
なのにノリは『いいから。味わってみろ』とグラスを押しつけてくる。これ以上みじめなのは嫌だけど、飲まないのはやっぱり負けな気がして受け取る。
満足げに頷いたノリは、諭 すような口調になった。
『そっと少し口に含んで、少し温めてみろ。しばらくすると鼻に香りが通る。それから飲み込むんだ』
じっと見てくるし、言う通りにする。
確かに酒の香りが口の中に広がった。ボストンの港で嗅いだことのある、磯の香りが少ししたような気もする。癖はあるけど、なんとなく不思議な感覚に目を見開いた。バーボンは飲んだことあったけど全然違う。
『どうだ。イケるだろう』
ノリは笑みのまま言ったけど……
「I don't know, but …… Not bad …… maybe 」
『そうか』
満足げなノリは僕からグラスを奪い、今度は自分が口に含んだ。見ていると、強引に僕の後頭部の髪の毛を引っぱる。面食らったまま顎が上がり、顔が上向きになるとノリの顔が近づき、唇が重なった。
唇の狭間から舌が侵入し、同時に温い酒が口内に流し込まれる。さっきより強い香気を感じつつ、目を白黒させてたら、構わず酒を纏った舌がねっとりと口内を犯した。鼻を通る酒の香りに酔ったような気分になりつつ、久しぶりに感じる他人の舌に、情動は一気に盛り上がり、目を閉じて衝動のまま自分からも舌を絡める。
互いの唾液は酒の香気を纏 って情動の炎に油を注ぐ。争うように舌を絡め合いながら体勢を変え、気づいたらノリの両腕を掴んでカウンターに押さえつけ、のしかかるように股間の昂ぶりを押しつけていた。
ノリの手が胸を軽く叩くから、ちょっとハッとして唇を浮かせた。でも股間を押し付けたままだし腰は自動的に動き、ノリの顎に荒い息がかかる。
『がっつき過ぎだ』
息だけで笑ったノリが囁いた。
『……まあまだ若いからな、分からんでもないが』
「Because I'm here to have sex .」
もうやけくそになって言った。盛り上がっちゃって抑えが効かない手はノリの身体をまさぐり、股間をグリグリ押しつける。ノリも息を荒くしてたけど、喉を震わせるみたいにクッと笑ったので顔を見た。
くっきりした二重の目が笑みで細くなっていて、目尻に深い皺が2、3本刻まれている。知的な感じで整ってると言える顔だと思うけど、ここまで近いとちょっと間抜けに見えるな。
なんて、ほとんど欲望に支配された脳の片隅でぼんやり品定めしてる自分がいる。
『おまえ最初っからギンギンな目つきで』
そう言葉を切って、ノリが笑みを深める。イラっとした。
(そんな筈ない。そりゃあヤリたくて堪らなくなってはいたけど、見せないようにしてた)
しかしノリは『自覚なしか』と笑って肩を押すので、仕方なく身を起こす。するりと身を躱したノリがジャケットを脱いでソファの背に投げた。
『誰でもいいから犯してやる、とでも言っているような。あれじゃあ逆にやられてしまう』
振り返ったノリをにらむ。
『今までは、女だけか』
確認のような声が返った。
『男は慣れてないな?』
まるで教師みたいな言い方。確かに男をハントしたことはないけど、負けた感じで唇を嚙む。
『なるほどな』
ノリは笑みを深くしながら歩み寄り、僕の肩を押して、椅子に座らせようとする。抗う力も抜け、素直に腰を落とすと、覆いかぶさるように顔を近づけ、『覚えておけ』低く言う。
『男相手に女と同じ手が使えると思うな。おまえに捕食されるのをただ待つような、都合の良い奴なんてほとんどいないと思え。おまえの見た目は捕食される側だと自覚しろ』
「I don't take defeat easily .」
『そう見えるってことだ。それは自覚しとけ』
にらみ返すと「アンダスタンド ?」日本訛りで重ねる。引く様子がないので、しかたなく頷いた。
「グッド 」
ニヤリと笑い、肩をポンポンと叩いてノリが身を起こす。
『それともう一つ』
「Huh? You're kidding, right ? You're still talking ?」
思わず出た声に、ノリは一瞬笑ったけど、すぐに顔を引き締め、
「リッスン 。イッツインポータント 。」
日本訛りで声を低めた。
『ああいうところにいる男は、たいていがゲイであることを隠している。どこで誰が見ているか分からない人目のある場所、ホテルなどでは特に体裁を繕う。どこからセクシャリティーがバレるか分からないからな』
『……そ、……そう、なんだ?』
思いがけず真剣な様子に、若干気がそがれて適当に返したら、ノリはしかつめらしい顔で『そうだ』と言った。
『おまえは何度も聞いたが、あれは駄目だ。察しろ』
そう続いた声にコクコクと頷き返す。正直なに言ってるか分からない。
『女を呼ぶ、そういう下世話な男なら、こういう部屋に男二人で入っても不自然じゃない。女好きと思われることは、むしろ隠れ蓑になる。ゲイだとばれることこそを恐れるのだ。そういった部分を理解しない、迂闊なやつの相手など誰でも嫌がる』
どうやら『ツレが来る』と言った理由を話してるんだ、ということはなんとなく分かった。けどやっぱりノリの言葉は難しくて、分からない部分が大半だ。だから『分かったか』ともう一度言われ、反射的に聞いた。
『え、じゃあ、あなたは僕に抱かれない?』
真面目に聞いたのに、ノリは呆れたような声を出した。
『聞いてなかったのか』
『聞いてたよ!』
だいぶ日本語には慣れたけど、まだ英語と同じレベルじゃないんだ!
『でも日本語難しい。それに重要なことだ』
意思をきちんと伝えられない焦れったさで暴れ出しそうになりながら、僕的には最大に辛抱強く言った。
『ねえ、ヤらせてよ。やり方は分かってる。ちゃんと気持ち良くする』
必死に言い募ると、毒気を抜かれたような表情になったノリは呟くような声を出す。
『……いや。まあ、いいが』
「Thank God !」
ホッとしてノリに抱きついた。
「So let the lovemaking begin !」
耳に囁きかけ、ノリを抱き上げる。
『おいっ!』
慌てたようにしがみついたノリに、もう一度囁いた。
『Just shut up .』
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