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五部 高校二年-6

 アメリカ式の個人主義というにも過剰な淳哉の言動は、こわごわながら日本の高校生たちに受け入れられたが、同時に『勝手なやつ』『手に負えない』という評価を受け、距離を置く者が多くなった。  淳哉自身、いままで『個性』として受け入れられていたらしい自分のキャラクターが、ネガティブなイメージで見られるようになったようだと気づいたが問題とは考えず、むしろ喜ばしいとすら思っている。  当初、周囲に頼る必要があったのは、基本的なこと、つまり日本的な決まり事、学校や寮ですべきこと、すべきではないこと、タイムテーブルなどを早急に理解する必要があったからだ。しかしその時期はもう終わった。そうなれば、用もないのにどうでもいい話をしてくるやつは正直、迷惑だった。  常軌を逸した記憶力を発揮する時、脳内で思考にふける時、淳哉は驚くべき集中力とともに周囲を遮断する。それを中断されることは強い不快感を伴うので話しかけられたくないのだ。重要なことなら、もちろん受け入れるし、教えてくれてありがとうと笑顔も向ける。だがどうでもいい話しかしないやつが遠巻きにヒソヒソするだけで直接話しかけてこなくなったのは、むしろ幸いだったのだ。  そして同室の旭のことも、淳哉は『どうでもいいことで話しかけてくる面倒くさいやつ』と認識していたので、むやみに話しかけてこなくなって良かったと考えていたのだった。  旭が同室になったのは、学校側の配慮によるものだった。  淳哉は知らないことだが、ここは父、崇雄の母校である。  有名大学への進学率を上げることを第一としているこの学校では、現在も機会に恵まれない優秀な学生を奨学生として受け入れている。過去、優秀な中学生だったが家庭に恵まれなかった崇雄を先代の理事長が見出し、奨学生として入学を許可していたのだ。  その崇雄がいまや力のあるOBとなり、少なからぬ寄付を約束したうえで息子の転入を申し入れてきた。提示された米国での成績は有数の進学校としても満足するべきもので、むしろ海外の有名大学への進学さえ見込めると学校側は認識した。海外進学の実績を欲していたので、歓迎すべき生徒と思われたゆえに、転入試験なしで受け入れたのだ。  しかし学校側には懸念があった。ほとんど日本語を話さないと聞いたので、まずひとつは言葉の問題。そして慣れない環境にいきなり入って順応できるだろうか、という部分である。環境に適応できず、実力を発揮できない状態になるのは望ましくない。  そこで交換留学生として一年間渡米していた旭と同室にした。少しでも早く日本語に慣れさせ、日本の学校に順応させよう。日本に慣れるためのインターバルとしての旭、である。  しかし予想を遥かに上回る速度で日本語習得を果たし、結果を残すための努力を怠らない転入生の姿は、懸念が杞憂であったと胸を撫で下させるにじゅうぶんだった。  旭は転入生と同室になってくれないかと打診を受けた当初から、仲良くなって早く学校に慣れてもらおうと強い意欲を持って待ち構えていた。  留学したことで1年留年している旭は、なんとなくクラスに溶け込めないでいたのだが、『自分は他の学生とは違う』という自負も持っていた。  アメリカで過ごした一年は、自信と共にそこで学ぶことの難しさも実感させていた。アメリカは日本でいう高校までが義務教育なので、旭の留学先であった中西部の公立高校の学生は玉石混交。  あくまで学生の自主性に任せる考え方で、やりなさいと強制されるものが少ない中では、積極的に学ぶ意思を持ち続けなければ自分のレベルを保つことは困難だ。ゆえに自分自身で主張すべきことが多々あったのだった。  活発に主張を述べるクラスメイトに、日本の学校の雰囲気との差違に、ひたすら驚きつつ、学力を落とさずに新たなものを吸収しようと、必死に学んだ一年間だった。  さらに米国の大学への進学も考えて、いろいろ調べていたため、転入生が居たという学校名を聞いて驚いた。全米でも優秀と言われる学校は多数あるが、その中でトップテンに数えられる学校。進学の業績が高く、アイビーリーグのみならず、英国やフランスの難関大学へ進学する学生数は全米でトップクラス。卒業生には財界や政界の大物も多く、かなり優秀でなければ在学し続けること自体が困難であると噂の高い学校。  そこで優秀だったという学生が、どんなやつなのか。恐ろしく切れるやつ? それとも怜悧なやつか。いや努力を惜しまない上にアメリカ的な明るさを併せ持つような、尊敬できる人格者なのでは?  いずれにしろ自分はその転入生に敵わないだろうという諦めと、それでも吸収できるものがあるなら自分の向上に費やしたいという意欲、そして自分以上に異分子となるだろう転入生の支えになってやれれば。そんな様々な思いで転入生を待ち構えていた。  しかし現れた淳哉は切れ者には見えず、不安そうになったり落ち込んだりも一切なく、陽気で猥談が好きな浮ついたやつで、転入生に対する幻想はすぐに消えた。  勉強中など旭が声をかけても無視するのに、日本語に困った時などお構いなしに質問の雨を降らせるという自分勝手。人の都合は無視するのに自分の都合には他人を巻き込むのだ。そのくせ個人の問題だと言い切るときは、助言しようとしても関係無いと遮断する。しかも笑顔で。  英語まじりの冗談を連発し、一年留学していたことでクラスに馴染みきれなかった旭より先にみんなと打ち解けた。転入二週間後には部屋に数人が集まり大騒ぎ、という蛮行があり、迷惑なのでやめてくれと言うと「なんで? 一緒に楽しもうよ」と言い出して周りを煽る。おかげで旭は『面白みのないやつ』というレッテルを貼られた。  最初のうちこそ自分が転入生を手助けして、少しでも早くこの学校に馴染ませてやろう、心の支えになってやれれば、などと殊勝なことを考えていたが、同室になって一ヶ月後には適度な距離を保つことを心がけるようになった。  淳哉が遠巻きにされるようになって、教師たちは期待の転入生が孤立している状況に気を揉んだ。いかに本人が平気な顔をしているいても実は鬱屈を抱えているのではないか、あの態度は虚勢を張っているだけなのではないか。そう考え、旭にフォローするよう言ったのだが、素直にうなずきつつも旭の見解はまったく違った。  普通の人間なら教室や寮で孤立したりコソコソ噂されたりしたら神経が参るだろうに、まったく気にしていない。どころかへらへら楽しそうだ。同室だからこそ、それがポーズでないのはよく分かっていたのだ。  顔は良いしカッコつけなのに、大食いの上早食いで、仕草や表情がいちいち大げさだったりして目立つ上、陽気で冗談好きなので、すぐにクラスに馴染んだ。一見人当たりも良いので、寮長や教師には面白がられて構われる。  しかし同室から見れば、やりたいことは自分の意思を通して行動するくせに、やりたくないことは笑って誤魔化してやらずに済ませようとする勝手なやつ、である。掃除はしないし生活態度もいい加減、夜遊びどころか朝帰りするし、一部の素行が怪しい連中とつるんでいるようだし、とても仲良くできそうにない。  というか、夜は旭が寝る時間もまだ勉強しているし、朝は旭が起きたらすでに筋トレやジョギングまでしてシャワーを浴びて食事も済ませ、勉強している。そのうえ遊びに出かけるしバカ騒ぎするし、どうなってるのか分からないレベルでいろいろやっている。  活動量も行動力も集中力も理解の範疇を超えている。というかこれは多分、他の人間がやったら破綻する。生物として種が異なると考えるしかない。姉崎から学べることなど微塵も無い。それが旭の見解で、ただ自分に火の粉がかからぬようにと、それだけに気を使うようになっていた。

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